「かつてこの町に巨大遊郭があった」

前に、熊本・西区の「二本木」地区は散策したことがある。この地区は、日本でも屈指の遊郭街(遊女屋が集まる地域、今でいう風俗街)であったことを知る人も少なくなっていると思う。

通りに私娼が蔓延る中、明治7年に“お上”が管理下に置こうと、この地区に遊郭の設置を許可してから、昭和33年に「売春防止法」が設定されて姿を消すまで、特に、大正から昭和初期に、大変な賑わいを見せたという。全国から女とヤりたい男客がやって来たのだ。

女優・山田五十鈴の父親がここの遊郭の出身である。有名なカントリーミュージックの大御所、チャーリー永谷も同様だ。

全国でも、軍部が設置された場所には、大抵近くに遊郭が存在し、大変な賑わいを見せる。特権意識を持ったストイックな軍隊だからこそ、性欲が喚起されるのだろう。遊女に入れ込みストーカー事件を起こす者も少なくない。客には、捕虜となったロシア兵もいたという。

二本木遊郭の名を全国に知らしめたのが、明治33年に起きたとされる遊女による日本初のストライキである。地方から無理矢理に身売りされて来た遊女が、毎日客の相手をさせられ徹底的に搾取され、客を取れなかったり、逃げ出したりすれば、ムチ打たれるなどして虐待され、奴隷のように扱われる中、“自由廃業”(楼主の同意なしに遊女を辞めること)を求めて立ち上がったのである。

遊郭で身体を痛めつつ生きるしかなかった遊女たちの現実は、単に可哀想という感傷だけでは済まされないだろう。

遊郭は、確かに“負の遺産”ではあるが、全てを明らかにすることによって、人間がどのような営みを積み重ねて、今に至るのかを知ることは有意義なことであると思う。歴史には必ず裏が、闇があるものだから。

遊郭は、政財界の要人たちが訪れる社交の場でもあった。歌舞伎や落語の材料にもなり文化と共にあった。周辺の町にも大きな活気をもたらした。

その影で、遊女たちは凄惨な仕打ちを受けて、逃げ出し自殺する者も少なくなかった。そして、その怒りが“自由廃業”運動として広がり、命懸けで楼主に対抗した。これも女性の自立への過程のひとつなのである。

遊郭ほど、生身の人間の赤裸々な生のありようが見られる場所はないだろう。昔、風俗大好きだった俺がいうから間違いはない。

責任のある大人の女性が、自分の性をどう扱おうが自由であると俺は思う。

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TOMOKI 脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。