All My Loving ― 68歳になって、もう一度「愛する」ということを考えた ー 2026年8月8日(土)R8
今日も食堂で、ビートルズの曲が流れていた。
その中で、ふと心に残ったのが「All My Loving」だった。
何度も聴いている曲なのに、今日はいつもと少し違って聞こえた。
優しい曲だと思っていた。
でも、よく聴いてみると、そこにはかなり強い情熱がある。
「これから離れてしまう恋人に、自分の想いを全部送る。」
そんな歌だ。
そして私は、ふと「All My Loving」というタイトルが気になった。
「All My Love」ではなく、「All My Loving」。
日本語にすれば、どちらも「僕の愛を全部」というような意味になる。
けれど、なぜか印象が違う。
「Love」は「愛」というもの。
それに対して「Loving」には、「愛していること」「愛しいと思っている気持ち」のような、動いている感情があるように思える。
だから、
「僕の愛を全部、君に送る」
というより、
「君のことが愛しい、この想いを全部、君に送る」
というほうが、この曲には似合う気がした。
離れていても、君を想っている。
会えなくても、気持ちは君のところへ向かっている。
その「愛している」という動きが、Lovingなのかもしれない。
そして今日、この曲を聴きながら、私は自分自身のことを考えた。
68歳になった今、私は夫を愛しているのだろうか。
一緒にいることが当たり前になっている。
空気のような存在で、喧嘩もする。
腹が立つこともある。
若い頃のように、相手を見て胸が高鳴るような感情は、もう自分の中にはないように思う。
若い頃は、筋肉隆々の人が好きだった。
スポーツマンに憧れた。
素敵な人を見ると、心が動いた。
「この人が好き」と思う気持ちには、憧れや、ときめきや、情熱があった。
では、今の私の中にあるものは何なのだろう。
あの頃の「好き」と、今の「愛情」は、同じものなのだろうか。
それとも、長い年月の中で、愛というものの形そのものが変わったのだろうか。
「空気のような存在」というのは、愛がなくなったということではないのかもしれない。
若い頃には「好きだから一緒にいたい」だったものが、長い年月を経て、「一緒に生きてきたから、この人は私にとって特別な存在」というものに変わっていく。
それもまた、一つの愛なのかもしれない。
けれど――。
今日「All My Loving」を聴いていたら、私はもう一度、あの熱い「Loving」を経験してみたいと思った。
もう一度、誰かを熱く想ってみたい。
会いたいと思ったり、声を聞きたいと思ったり、その人のことを考えるだけで心が動いたり。
「私、まだこんなに誰かを好きになれるんだ」と、自分自身で驚くような気持ち。
そんな相手がいたらいいな、とふと思った。
もちろん、今すぐそんな相手がいるわけではない。
現実には、なかなか難しいことだと思う。
それでも、そう思った自分が少し嬉しかった。
68歳になっても、心のどこかにまだ、そんな情熱が残っている。
「もう若くないから」と、すべてを終わったことにしなくてもいいのかもしれない。
若い頃の愛と、68歳の私が感じる愛は、同じ形ではないだろう。
でも、誰かを愛しいと思う気持ちそのものは、年齢だけで消えてしまうものではないのかもしれない。
今日、食堂で優しく流れていた「All My Loving」。
優しく聞こえるのに、その奥には、若いポール・マッカートニーの熱い想いがある。
そして、その曲を68歳の私が聴いて、もう一度「熱く愛してみたい」と思った。
それだけでも、今日この曲を聴いた意味があったのだと思う。
「All My Loving」。
僕の愛を全部、ではなく――
君を愛しいと思う、この想いを全部。
そんなふうに、この曲を聴いてみたい。
そしていつか、私自身の人生の中にも、もう一度そんな「Loving」が訪れたらいい。
そう思った、2026年8月8日だった。
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