# 未来へ向けた挑戦(42) 広がっても、失われない由縁― カワヅザクラはなぜカワヅザクラであり続けるのか ―
二月の終わり。
水泳レッスンの帰り道、
「あそこにも咲いているよ」
「こっちにもあるよ」と教えられた。
濃いピンクの花。
梅なのか、桜なのか。
私は正直、よくわからなかった。
そういえば昔、バスで
伊豆の 河津町 へ
早咲きの桜を見に行ったことがある。
けれど私は車酔いをしてしまい、
美しさを十分に味わえなかった。
あれが
カワヅザクラ だった。
今では静岡市内のあちこちでも見かける。
全国にも広がっているという。
ふと、思った。
もしどこにでも咲くのなら、
カワヅザクラの値打ちはなくなるのだろうか。
「早咲き」という特徴も、
各地で当たり前になったら、
珍しさは消えてしまうのではないか。
それでもなお、
人はあの桜を「カワヅザクラ」と呼ぶ。
なぜだろう。
考えてみると、
由縁は「早く咲くこと」だけではないのかもしれない。
1950年代、河津の土地で
偶然見つかった一本の苗木。
山と海に囲まれ、
少しだけ春が早く訪れる町で生まれたという物語。
その物語ごと、桜は運ばれている。
苗木は広がっても、
名前の中に「河津」は残る。
土地の記憶を背負ったまま、
別の土地で咲いている。
だから、広がっても消えないのだろう。
桜は桜として咲く。
けれどカワヅザクラは、
「河津」という由縁をまとって咲く。
人も同じかもしれない。
どこへ移り住んでも、
どれだけ環境が変わっても、
自分が生まれた土地や、
育った時間は消えない。
珍しさが価値なのではない。
物語があることが、価値なのだ。
二月の冷たい空気の中で咲く濃いピンク。
それはただ早いだけではなく、
まだ寒い世界に「もうすぐ春だよ」と告げている。
広がっても、失われない由縁。
それはきっと、
形ではなく、
物語の中にある。 未来へ向けた挑戦かもしれない。
#未来への挑戦
#広がっても失われない由縁
#カワヅザクラ
#河津町
#静岡
#桜
#土地と記憶
#早春
