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ガイアの学校


はじめに 三つの声を重ねてみる

この小さな本は、まったく接点のなさそうな三人の声を、そっと重ね合わせるところから始まります。

一人めは、世界的なIT企業をひきいて、AIが経済をどう変えるかを語る経営者サティア・ナデラ*1。二人めは、北海道の山あいでチーズをつくりながら、障害のある人もない人も「ともに働き、ともに暮らす」場を四十年以上いとなんできた宮嶋望*2。三人めは、地球をまるごと「ひとつの生命システム」とみなす〈ガイア理論〉を唱えたイギリスの科学者ジェームズ・ラヴロック*3です。

経営者と、チーズ職人と、地球科学者。話している場所も時代も、まるでばらばらです。ところが三人の言葉を並べてみると、不思議なことに、同じ一つの問いに別々の角度から光を当てているのに気づきます。その問いとは──AIがどんどん賢くなる時代に、人間は何を大切にして生きればいいのか、というものです。

ナデラは言います。「価値をひとりじめする巨大AIではなく、みんなに価値が行き渡る〈生態系〉をつくろう」。宮嶋は言います。「役に立つかどうかで、人間の値うちを測るのはやめよう」。ラヴロックは言います。「そもそも人間は、地球の主人公ではない」。

三つの声を束ねると、矢印は同じ方向を指します。
──AI時代のあるべき姿は、人間だけの経済の話を超えて、地球上のあらゆる生命と〈ともに生きる〉ことへ向かう。

この「人間を世界の中心に置かない」という見方を、むずかしい言葉で脱人間中心主義*4といいます。むずかしそうに聞こえますが、心配いりません。本書はこの言葉を、できるだけやさしくほどいていきます。そして最後に、この考え方をもう何十年も前から小さく実践してきた一つの場所──島根県のキリスト教愛真高校*5──を訪ね、「これからのAI時代をどう生きるか」のヒントを探します。

では、一人めのナデラから順に、声を聞いていきましょう。

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第一章 ナデラの拡張

「最強のモデル」より「生態系」を

ナデラは、いま起きている変化は、これまでのどんな技術の転換とも質がちがう、と言います。これまでコンピュータは、人間の力を助ける「道具」でした。電卓が計算を、検索エンジンが調べものを手伝ってくれたように。ところがAIの登場で初めて、人間とコンピュータのあいだに〈認知のループ〉*6──考えのキャッチボール──が生まれた。これは「働く」とは何かという考え方そのものを揺さぶる、と彼は言います。

人的資本と、トークン資本

ナデラは、これからどの会社も二種類の財産を育てることになる、と整理します。一つは人的資本*7。そこで働く人たちの知識・判断力・人間関係・ひらめき・パターンを見抜く力のことです。もう一つはトークン資本*8。会社が自分で作り、自分で所有するAIの能力のことです。

ここで大事なのは、彼の次の主張です。トークン資本(AIの力)が大きくなっても、人的資本(人の力)の価値は下がらない。むしろ上がる──。なぜなら、高い目標を立て、別々の分野の点と点を線でつなぎ、いちばん大切なパターンを見抜くのは人間だからです。人間の方向づけがなければ、いくら計算力*9があっても、ただ空回りするだけだ、と彼は言います。

「学び」は肩代わりできない

では本当のチャンスはどこにあるのか。ナデラは「いちばん強いAIモデルを選ぶこと」ではない、と言います。そうではなく、モデルの上に〈学習のループ〉をつくり、人の力とAIの力が複利*10のように増えていく仕組みをもつことだ、と。彼の印象的な一言を、私のことばで言いなおすとこうなります──作業や仕事は誰かに肩代わりさせられても、「学ぶこと」だけは肩代わりできない。会社の未来とは、その学びを人とAIの両方にまたがって積み上げる力なのだ、と。

この「学習のループ」は、使うほど賢くなる仕組みです。ナデラはそれを「山登りマシン」*11にたとえます。改善された仕事の手順が、よりよい学びの手がかりを生み、それがその会社だけの暗黙知*12──言葉にしにくいコツ──の蓄積を加速させる。だから早くこれを築いた会社は、新しいAIが現れても簡単にはまねされない強みをもつ、というわけです。

ひとりじめへの警告

そしてナデラは警告します。もし価値が、ひとにぎりの巨大AIモデルにすべて吸い上げられてしまったら、その未来は危うい、と。彼はグローバル化*13の最初の波を例に出します。仕事が安い土地へ外注され、いくつもの工業地帯が空洞化した。経済全体の数字は良くても、職を失った人の痛みは現実で、その傷はいまも残っている。同じことをAIで繰り返してはいけない、と。

だからこそ目指すべきは「フロンティアモデル」*14──最強の単体AIをつくること──ではなく、「フロンティアのエコシステム(生態系)」*15を育てることだ、と彼は言います。価値が一社に集まるのではなく、あらゆる会社・産業・国へ広く流れていく世界。それが、彼の描く望ましい姿です。

ここで少し立ち止まりましょう。ナデラの「エコシステム」は、まだ〈会社と人間の経済〉の話にとどまっています。でも「生態系」という言葉そのものが、もっと遠く──人間の外側──を指し示しはじめている。次の二人が、その射程をぐっと広げます。

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第二章 宮嶋望の転回

「無用の人間」という問いから

北海道・十勝の山あいで、宮嶋望は四十年以上、チーズをつくってきました。彼の農場「共働学舎新得農場」*16では、心身に重荷を負った人たちと、そうでない人たちが、いっしょに働き、いっしょに暮らしています。彼のチーズ「さくら」は、スイスで開かれた山のチーズの大会で最高賞をとり、洞爺湖サミットで各国の首脳にふるまわれたほどの逸品です。けれど彼が近年いちばん考えているのは、チーズの味のことではありません。AIの時代に、「人間とは何か」という定義そのものが揺らいでいる──そのことです。

機械が「無用の人間」を生む?

宮嶋はこう問います。AIが進めば、農業も酪農も、人間の仕事はどんどん機械に置きかわっていく。その流れはもう止まらない。すると、図らずも「無用の人間」がたくさん生まれてしまうのではないか、と。これまで社会で尊重されてきたのは「役に立つ人間」「仕事ができる人間」「社会性のある人間」でした。ところがその物差しでいくと、これまで「ふつう」とされてきた人の中からも、否応なく「もう要らない」とレッテルを貼られる人が出てくる。

彼はここで、重い出来事に触れます。かつて、心身に障害のある人を「役に立たない」と決めつけ、排除しようとする考えが、最も悲惨なかたちであらわれた事件がありました*17。宮嶋は、そうした「強くて健康な人」さえも、AI+機械化の波の前ではいつ「無用の人間」の側に回されるか分からない、と指摘します。つまり、有用性で人を値踏みする刃は、いつか自分にも向かってくる、というのです。

「役に立つ」を問い直す

では、どうすればいいのか。宮嶋の答えは、とてもシンプルで、それゆえに深いものです。

役に立つか立たないかではない。
どんな人も、まず「生きていること」そのものに価値がある。

これは、きれいごとではありません。共働学舎では、まさにこの精神を土台にして、重荷を負った人たちが四十年以上、実際に暮らしてきました。しかも宮嶋自身、フランスの空港で脳血栓に倒れ、リハビリをしながら生きる「弱い人」になった。その経験を通して、彼はこの考えを以前よりずっと強く、自分のこととして感じるようになった、と書いています。「ケアが必要な人」と「ふつうの人」の境目は、本当はそんなにはっきりしていない。誰もが弱くなりうるのだから、と。

ここで起きているのは、価値の中心の移動です。ナデラの「人的資本」は、まだ「役に立つ人間の能力」の話でした。宮嶋は、その「役に立つ」という物差しそのものを問い直し、価値の中心を〈生産性〉から〈いのちそのもの〉へとずらします。これは、人間中心主義のなかでも特に強い「役に立つ人間こそ偉い」という思い込みを手放す、最初の一歩です。

微生物と、ゆっくりした時間

宮嶋の思索は、人間の外側へも広がります。彼は、新しい機械を次々につくる時代はもう曲がり角に来ている、と言います。これからは、いまあるものを大切に使い、人間の営みが生み出すものを、自然の循環にゆっくりと無理なく戻していくことが大切だ、と。

その象徴が発酵*18です。チーズづくりとは、人間が微生物と手を組んでおこなう、ゆっくりした共同作業です。そこには、効率や数値ではとらえきれない時間が流れている。宮嶋にとって発酵の世界は、これからの時代に「食」の枠をこえて、人間と自然のあいだの特別な領域として、大きな意味をもってくる──そう語ります。病室の窓から木々の葉をながめ、一枚たりともムダな葉はないと納得した、という彼のまなざしが、ここにあらわれています。

宮嶋は、ナデラより一歩、人間の外へ踏み出した。
「役に立つ人間」を中心から外し、いのちと、微生物と、ゆっくりした時間に目を向ける。──だがこの転回を、地球まるごとのスケールで言いなおした人がいる。

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第三章 ラヴロックのガイア

地球はひとつの生きものか

ジェームズ・ラヴロックは、もともとNASAの仕事で「火星に生命がいるか」を調べていた科学者でした。火星と地球の大気をくらべるうちに、彼はあることに気づきます。地球の大気や気温は、生命にとって都合のよい状態に、まるで誰かが調整しているかのように、長いあいだ保たれてきた──。これはなぜなのか。

地球は自分で自分を調整している

ラヴロックの答えがガイア理論*19です。地球上の生きものと、空気・海・岩石は、ばらばらに存在しているのではなく、たがいに影響を与え合いながら、全体としてひとつの自己制御システム*20として動いている。まるで、暑ければ汗をかき寒ければふるえて体温を一定に保つ、ひとつの生きもののように──。この大胆なイメージに「ガイア」という名を授けたのは、ノーベル賞作家ウィリアム・ゴールディング*21でした。

この理論を、生物学の面から共に深めたのが、生物学者リン・マーギュリス*22です。彼女は「生命は競争だけでなく、共生(ともに生きること)で進化してきた」と考えた人で、その視点はガイア理論の支えになりました。

ヒナギクの惑星

「生きものが意図せずに環境を調整するなんて、本当に起こるの?」──そんな疑問に答えるため、ラヴロックはデイジーワールド*23という架空の惑星を考えました。白いヒナギクと黒いヒナギクだけが生える星です。黒い花は日光を吸って暖まり、白い花は日光を返して涼しくなる。気温が上がれば白が増えて星を冷やし、下がれば黒が増えて暖める。誰も「気温を保とう」とは思っていないのに、花々の増減だけで、星全体の温度がひとりでに安定する──。生命と環境が、意図せず手を取り合う様子が、ここに見事に示されています。

ラヴロックの見方では、人間は地球の「主人公」でも「管理者」でもありません。植物、微生物、動物といったたくさんの「界(かい)」*24が、それぞれの役割を果たして地球を住める状態に保っている。人間も、その協力関係の一員にすぎない──。これは、宮嶋がチーズと微生物の前で感じた直観を、惑星のスケールで言いなおしたものだと言えるでしょう。

人間は中心ではなく、大きな協力関係の一員にすぎない。
──では、AIはこの関係のどこに入ってくるのか。ラヴロックは百歳を前に、その問いに答えを出した。

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第四章 ノヴァセン

AIはガイアの仲間になる

2019年、百歳になろうという年に、ラヴロックは『ノヴァセン』*25という本を出します。原題を訳せば「超知能のやってくる時代」。テーマはずばり、AIと地球の未来です。

人新世の終わり、新しい時代の始まり

ラヴロックは言います。人間が地球規模の力を手にした時代──人新世(アントロポセン)*26──は、三百年ほど続いたのち、いま終わりに近づいている。代わりに始まるのが、彼の名づけた新しい時代「ノヴァセン」だ、と。この時代には、いまのAIから新しい知的な存在が生まれ、人間の何千倍もの速さで考えるようになる。彼らから見れば、私たち人間は、いまの私たちが植物を見るように「ひどくのろい生きもの」に映るだろう、というのです。

それは「機械の反乱」ではない

ここが、この本のいちばん大切なところです。ふつう「人間より賢い機械」と聞くと、映画のような暴力的な「機械の反乱」を思いうかべます。ところがラヴロックは、それは見当ちがいだ、ときっぱり否定します。なぜか。

その超知能もまた、生きていくためには、太陽の熱から地球を守る「冷却システム」を必要とするからです。そしてその冷却システムこそが、植物や微生物を含むガイア──生命の網──そのものなのです*27。どれほど賢いAIでも、植物や微生物が支える冷えた地球がなければ存在できない。だから超知能は、人間や植物や微生物を滅ぼすのではなく、パートナーとして共に地球を冷やすプロジェクトに参加せざるをえない──ラヴロックはそう考えました。

どんなに賢くなっても、AIは独りでは生きられない。
生命の網の一員になるしか、道はない。

ここで、第一章のナデラと、いま見ているラヴロックが、思いがけず出会います。ナデラの「価値をひとりじめしないエコシステム」という主張は、ラヴロックの言葉では「ガイアの一員としてふるまうAI」になります。AIにとってさえ、独り勝ちは成り立たない。たがいに生かし合う関係だけが、長く続いていく──。経済の話と、地球の話が、同じ一つの原理でつながるのです。

もちろん、ラヴロックの未来像はあくまで一つの大胆な仮説で、「楽観的すぎる」という批判もあります*28。それでも、「AIさえも生命の網の一部にすぎない」という発想は、私たちの想像力を大きく広げてくれます。

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第五章 三つの洞察を束ねる

中心を、少しずらす

ここまでの三人の声を、ひとつのテーブルに並べてみましょう。すると、ある共通のうごきが見えてきます。それは、「価値の単位がだんだん大きく広がっていく」といううごきです。

● ナデラ:価値の単位を「モデル単体」から「人間と会社のエコシステム」へ広げた。
● 宮嶋:価値の中心を「役に立つ人間」から「生きているいのちそのもの」へ移した。
● ラヴロック:価値の輪を「人間という種」から「ガイア=地球圏のすべての生命」へ広げた。

三人に共通するのは、中心を一つに置かないという姿勢です。最強のモデルを中心に置かない(ナデラ)。役に立つ人間を中心に置かない(宮嶋)。人間という種を中心に置かない(ラヴロック)。三段階で、世界の見え方の「中心」が、少しずつ外へずれていきます。これこそが、はじめに紹介した〈脱人間中心主義〉の正体です。

「中心をずらす」とはどういうことか

誤解しないでください。脱人間中心主義は、「人間なんてどうでもいい」という冷たい考えではありません。むしろ逆です。人間を、世界からぽつんと切り離された特別な存在としてではなく、たくさんの関係でできた網の、結び目の一つとして、あたたかく捉え直すことです。君が生きていられるのは、植物が酸素をつくり、微生物が土を耕し、無数の人とAIが知恵を分け合ってくれているからです。その網の外に、ひとりぼっちの「中心」など、本当はどこにもない。

そう考えると、ナデラの「学習のループ」や「複利で増える関係」という発想は、会社の中だけのものではなくなります。それは、人間と微生物のあいだにも(宮嶋の発酵)、人間とAIのあいだにも(ナデラの認知のループ)、そして人間と地球のあいだにも(ラヴロックのガイア)、広げることができる。ナデラが「学びは肩代わりできない」と言ったあの〈学び〉とは、つきつめれば、関係を生きることそのものなのです。

AI時代に問われているのは、
「どのモデルが最強か」ではなく、「どんな関係を編むか」。
勝者総取りではなく、たがいを生かし合う生態系を、どうつくるか。

ところで、中心をずらすと、すぐ次の問いが立ちあがります。世界の中心を一つに決めないのなら、世界の「速さ」も一つに決めてはいけないのではないか──。次の章では、その「速度」の話に入りましょう。これは、本書がたどってきた脱人間中心主義の、もうひとつの顔です。

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第六章 固有の速度

効率化すると壊れるもの

人間の社会には、効率化すると壊れてしまうものがあります。

「速さ」は、近代*29がもっとも愛した美徳のひとつでした。より早く、より多く、より無駄なく。この三拍子が産業を伸ばし、寿命を伸ばし、知の地平を押し広げてきました。だから、速さを疑うのはどこか後ろめたい。立ち止まろうとすると、自分だけ時代から降りていくような心細さすらあります。

それでも、ふと気づく瞬間があります。速くしたはずなのに、何かが薄くなっている。手元に残るはずのものが、手触りを失っている。かたちは確かにそこにあるのに、中身が抜け落ちている──そういう「壊れ方」をするものたちが、確かにあるのです。たとえば、こんなものたち。

ケア・教育・弔い・対話・信頼形成
熟達・共同体・違和感の共有・子どもの成長・自然との関係

速度を、自分では決められない

並べてみると、共通点がぼんやり見えてきます。どれも「人と人のあいだ」や「人と世界のあいだ」に起きる出来事だということ。そして、その出来事の主体が、自分ひとりではないということです。ケアは、ケアする側だけでは完結しません。教育は、教える者の意志だけでは届きません。弔いは、亡き人と、残された人々と、流れていく時間との、三者の合作のようなものです。

つまりこれらは、自分の意志だけでは速度を決められない営みなのです。相手がいて、関係があって、その関係が熟していくための独自の時間がある。脳の神経のつながりが、新しい結びつきを得るのに時間を要するように*30、信頼や習熟や、心の傷が癒えることにも、生理的とも言える固有のテンポがあります。

「遅さ」が正しいわけではない

ここで注意したいことがあります。「だから遅いことに意味があるのだ」と言ってしまうと、たぶん少しちがいます。遅さをほめ始めると、今度はそれが新しい決まりになって、「ゆっくりが正しい、急ぐのは浅い」という別の二項対立*31が立ち上がってしまうからです。

ケアや弔いや熟達が求めているのは、「遅いこと」そのものではありません。求められているのは、それぞれが持つ固有の速度に、こちらが合わせることです。木が育つ速度に、人間の都合は通用しません。子どもがある言葉の意味を本当に理解する瞬間を、前倒しすることはできません。誰かを失った悲しみが、自分のなかで形を変えていくのに必要な月日を、外から短縮することはできません。違和感が、ようやく言葉になって口から出てくるまでの沈黙を、急かして埋めてしまえば、その違和感は二度と戻ってこないかもしれない。

効率化の、本当の問題

そう考えると、効率化の本当の問題は、速くすること自体ではないのかもしれません。問題は、すべての営みを「人間の、組織の、市場の都合の速度」に揃えようとしてしまうことです。揃えた瞬間、その営みが本来もっていた固有のリズムが踏みつけられ、何かが静かに壊れる。

そして厄介なのは、壊れたことに、その場では気づきにくいことです。ケアが効率化されて壊れていることは、十年経ってからしか分からないかもしれない。共同体が薄くなっていることは、危機が来てからしか露呈しないかもしれない。だからこそ、速度を選び直す感覚を、手のなかに持っていたいのです。目の前のこの営みは、急いでいいものだろうか。それとも、こちらが合わせるべき固有の速度を持ったものだろうか──その問いを、手放さずにいたい。

三人の声が、もう一度ひびく

ここで、本書の三人が、もう一度すがたを見せます。宮嶋望の発酵は、まさに微生物の固有の速度に人間が合わせるものづくりでした。ナデラの「学びは肩代わりできない」という言葉は、裏返せば「学びは前倒しできない」ということ。複利がきいてくるには、時間という固有のテンポがどうしても要ります。

そして、いちばん鮮やかなのがラヴロックです。ノヴァセンの超知能は、人間の何千倍もの速さで考えるといいます。それでもその超知能は、植物や微生物がつくる「冷えた地球」という、ひどくゆっくりした営みに歩調を合わせるしかありません。いちばん速い知性が、いちばん遅い生命に、自分の速度を合わせる。ノヴァセンの逆説は、じつは「固有の速度」の物語でもあったのです。

速い者が、遅い者に合わせる。
それが、生態系が壊れずに続いていくための、作法なのかもしれません。

では、あらゆるものが「それぞれの速度」を保ったまま在ること──それを、そっと守っている場所が、もし本当にあるとしたら? 最後に、その丘を訪ねてみましょう。

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第七章 ガイアの学校

キリスト教愛真高校というモデル

島根県江津市。日本海を見おろす山の中腹に、その学校はあります。キリスト教愛真高等学校。設置認可上の定員は全校で八十名ほどですが、近年の在籍は全校で四十人前後。日本でいちばん小さい全寮制の高校のひとつです*32。生徒たちは寮で寝食を共にし、原則スマホを持たずに暮らします。この学校は、明治の思想家・内村鑑三*33の流れをくみ、その弟子である矢内原忠雄らに学んだ無教会の伝道者・高橋三郎*34が「人は何のために生きるのか」という問いを教育の中心に据えて始めました。

そして愛真高校には、姉妹校である基督教独立学園から受け継いだ、その精神をあらわす有名な三本柱があります*35。

読むべきは聖書。
なすべきは労働。
学ぶべきは自然。

おどろくべきことに、この三つの柱は、これまで見てきた三人の思想と、ぴたりと響き合います。一つずつ見ていきましょう。

学ぶべきは自然 ── ラヴロックとガイア

生徒たちは、山の上の自然のただ中で暮らします。ここで自然は、人間が好きに使う「資源」ではなく、こちらが頭を下げて教わる「先生」です。光や植物や季節の移り変わりから学ぶ──それは、宮嶋が病室の窓から葉のかたちを見つめて「一枚もムダな葉はない」と悟った、あのまなざしと同じものです。そして、地球をひとつの生命システムとして敬うラヴロックのガイア理論を、頭ではなく体で先取りする姿勢でもあります。スマホの画面ではなく、本物の地球の表面から学ぶ。これが第一の柱です。

なすべきは労働 ── ナデラと宮嶋

愛真の生徒は、米づくりから、汲み取り式の便所の世話*36まで、自分たちの暮らしを自分たちの手で支えます。これは、ナデラの言った「作業は肩代わりできても、学びは肩代わりできない」という言葉の、いちばん具体的な実践です。手を泥で汚し、汗をかいて働くことでしか身につかない学びがある。AIに外注できない種類の知恵が、ここで育ちます。

同時にそれは、宮嶋の「共に働く(共働)」と地続きです。一人ではできない仕事を、多様な仲間と分担し、たがいに支え合う。労働は、ただの作業ではなく、関係を編む行為になる。第五章で見た「どんな関係を編むか」という問いに、彼らは毎日、鍬とほうきで答えているのです。

読むべきは聖書 ──「人は何のために生きるのか」

そして第三の柱が、この学校のいちばん深いところにあります。「人は何のために生きるのか」。聖書を真剣に読むことを通して、生徒たちはこの問いと向き合います。ここで響いてくるのが、宮嶋の「役に立つかどうかではなく、生きていること自体に価値がある」という言葉です。

キリスト教には、この感覚を支える教えがいくつもあります。「いちばん小さい者を大切にしなさい」という言葉*37。七日に一度は働きを止めて休む「安息日」*38。そして、人間は地球(被造物)の支配者ではなく、預かって世話をする管理人にすぎない、というスチュワードシップの考え*39です。どれも、「人を生産性で値踏みしない」「地球を支配ではなく世話の対象とみる」という方向を指しています。これは、本書が追ってきた脱人間中心主義と、驚くほど深く重なります。

それぞれの速度が、守られている ── 見えない第四の柱

三本柱に加えて、愛真にはもうひとつ、目には見えにくい柱があるように思えます。それは、人も、植物も、人と人の関係も、それぞれの固有の速度を保ったまま「在る(being)」ことが、そっと守られている、ということです。

スマホの通知に急かされず、市場の締め切りに追われない山の上の暮らしでは、米が実る速度、乳や味噌が発酵する速度、友との信頼が育つ速度、迷いや悲しみがようやく言葉になるまでの沈黙の速度──そのどれもが、人間や組織の都合の速度に無理やり揃えられずにすみます。卒業を前に、三年間で感じたことを互いに語り合う「感話会」*40のような時間は、まさに、ある思いが言葉になるまでの固有のテンポを、急かさずに待つ場だと言えるでしょう。

前章で見た「効率化すると壊れるもの」──ケア、教育、弔い、対話、信頼、熟達、共同体──は、奇しくも、この学校が日々ていねいに育てているものと、ほとんど同じです。愛真は、それらを「速くはできないもの」として敬い、人間の側が速度を合わせていく稽古の場になっている。週に一度、あえて生産しない時間を刻む安息日のように、ここには「都合の速度に揃えない」という静かな知恵が流れています。

小さな丘の上の、ひとつの生態系

こうしてみると、愛真高校という場所そのものが、ひとつの小さな〈生態系〉だと分かります。多様な生徒が寮で関係を編み、自然から学び、手を動かして働き、ゆっくりした時間の中で「生きる意味」を問う。ナデラの言う「学習のループ」が、宮嶋の言う「いのちの平等」の土台の上で、ラヴロックの言う「ガイアの一員」という姿勢とともに、そして人も植物も〈それぞれの固有の速度〉を守られたまま、現実に回っている。

愛真高校は、三人の思想を「未来の構想」としてではなく、
すでに三十年以上、丘の上で生きてきた「小さな実例」なのです。

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おわりに これからを生きる君へ

AIが、君より速く計算し、君より上手に文章を書き、君より器用に絵を描く時代がやってきました。ときどき「自分なんて、もう無用なのでは」と不安になるかもしれません。けれど、この本で出会った三人の声を思い出してください。彼らがそろって教えてくれるのは、君の価値は、生産性の量では決まらない、ということです。

最後に、これからのAI時代を生きるための、五つの小さな姿勢を贈ります。むずかしいことではありません。愛真高校の生徒が、毎日の暮らしの中でやっていることでもあります。

  1. 中心を、少しずらす。 自分(や人間)が世界の主人公だと思いこまない。謙虚さは、弱さではなく賢さです。

  2. 関係を、編む。 勝つことより、たがいを生かし合う生態系をつくる。独り勝ちは、AIにとってさえ続きません。

  3. 手を動かして、学ぶ。 肩代わりできない学びを、自分の中に育てる。発酵のように、時間こそが味を生みます。

  4. いのちを、敬う。 役に立つかどうかで、人や生きものを値踏みしない。まず「在る」ことに価値がある。

  5. 速度を、選び直す。 すべてを自分の都合の速さに揃えない。相手や世界がもつ固有の速度に、こちらが合わせる。速いこと・遅いことが偉いのではなく、「合っている」ことが大切です。

ラヴロックが言ったように、どれほど賢いAIも、独りでは生きられず、生命の網の一員になるしかありません。それなら、君もまた、地球という大きな生態系の、かけがえのない一員です。ナデラの「エコシステム」、宮嶋の「いのち」、ラヴロックの「ガイア」──これらは結局、ともに生きるという、たった一つの方向を指していました。

島根の小さな丘の上で、今日も生徒たちは聖書を読み、土を耕し、自然に学んでいます。その光景は、たぶん、これからの世界の縮図です。AIと、微生物と、人間と、地球が、たがいを生かし合う未来。その入口は、遠い研究所ではなく、君が誰かと交わす「おはよう」の中に、もう開いているのかもしれません。

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引用・参考について

本書は、次の四つの源泉から得た「考え方」を、筆者(編集者)の言葉で再構成し、つなぎ合わせたものです。原典の文章をそのまま引き写してはおらず、内容の要約・解釈には筆者の責任が含まれます。より深く知りたい人は、ぜひ原典にあたってみてください。


  • ① サティア・ナデラの議論 AI時代の企業のあり方をめぐる文章(本書第一章のもと)。「人的資本とトークン資本」「学習のループ」「フロンティアモデルではなくフロンティアのエコシステムを」といった論点を参照した。https://x.com/satyanadella/status/2066182223213293753


  • ② 宮嶋望「12という数字から ── AIの時代に、人間の定義が揺らいでいく」 共働学舎新得農場代表・宮嶋望によるエッセイ(2020年)。「無用の人間」「生きていること自体の価値」「発酵と循環」などの考えを参照した。http://nozomu-miyajima.net/?page_id=483


  • ③ ジェームズ・ラヴロックのガイア理論 地球を自己調整システムとみる理論。デイジーワールドのモデル、リン・マーギュリスとの協働、ウィリアム・ゴールディングによる命名などを参照した。


  • ④ ジェームズ・ラヴロック『ノヴァセン ―〈超知能〉が地球を更新する』(2019年) 人新世の終わりとノヴァセンの始まり、AIがガイアのパートナーになるという展望を参照した。なお同書の未来像には学術的な異論もあり、本書は一つの刺激的な見取り図として扱った。https://amzn.to/4vOiiGJ ※左記はAmazonアソシエイトのリンクです。


  • ⑤「効率化すると壊れるもの ── 固有の速度をめぐる考察」 ケア・教育・弔い・対話・熟達などが「人間や組織、市場の都合の速度」に揃えられると静かに壊れてしまうこと、求められているのは“それぞれの固有の速度に合わせること”だという考察。本書第六章のもとになっている。


  • モデルとして紹介した学校 キリスト教愛真高等学校(島根県江津市、1988年開校/全寮制)。募集定員は各学年28名(全校約80名)だが、近年の在籍は全校で40人前後(2020年代半ば時点)。三本柱「読むべきものは聖書・為すべきことは労働・学ぶべきものは天然(自然)」は、姉妹校・基督教独立学園(1934年創立)から受け継いだ理念で、創立を提唱した高橋三郎は内村鑑三の“孫弟子”にあたる。生徒数・沿革・教育方針は同校公式サイトおよび公開情報にもとづく(本書執筆時点)。https://aishinhigh.ed.jp/


  • 関連作品(ドキュメンタリー映画) 『聴く隣人のいるところ』(早川嗣 監督・撮影・編集、製作・配給ポレポレタイムス社、2026年公開/111分)。愛真高校の卒業生でもある監督が、同校の日常を約1年にわたって記録した長編ドキュメンタリー。本書が描く「スマホのない時間」「対話」「共に暮らすこと」の手ざわりを、映像から知ることができる。https://kikurinjin.com/

── 本書は、AI時代に「人間と他のいのちのあり方」を考えるための、高校生向けの入門ブックレットです。

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付録① リコピン、カノン、ライカ、ジョータへ #1

「世界の再魔術化」── 知ることより、感じること

本書の編者が、四人の子どもたちに宛てて書いた一通めの手紙です。「世界をもう一度いきいきと感じ直す(再魔術化)」というテーマは、本編の〈脱人間中心主義〉や、宮嶋望・ラヴロックの自然観と深く響き合います。次に続く二通めの手紙(付録②)の下敷きにもなっているため、こちらを先に収めました。読みやすさのために見出しや改行を整え、語り口はそのままにしています。

16と13になる年に、それぞれ家を離れて寮生活をはじめたふたりの“寮ライフ”を聞くたびに、「今日もいろいろと感じてるんだなぁ、ゆれてるんだなぁ」と、そのゆらぎと同期するかのような気持ちになっています。

さて、今年は大阪万博の年、2025年です。今日は芒種*41を過ぎた6月8日。あと2週間ほどで夏至になるタイミングです。万博には落合陽一さん*42といって、すごく面白い人がパビリオンを作っています。

デジタルネイチャーとかマタギドライヴ*43という話をしている面白い人なんですが、「デジタルの人でしょ?」とか、「ヨージヤマモト着てNewsPicksで話している人でしょ?」くらいにしか一般には理解されていない気がするので、「父は今、こう見ています」という話をちょっと聞いてほしくて手紙を書いてるところです。高校生や大学生になったらすこしは伝わるかもしれないなと思って書くけれど、ジョータも自分のペースで、肩の力を抜いて読んでみてください。

【まずは、ざっくり歴史の話】

昔の人たちは、雷が鳴れば「神さまが怒ってる!」って本気で感じてた。森や川には精霊がいて、空の星も語りかけてくる――そんなさまざまな「いのち」たちと同居するような世界に生きていました。みんなが小さい頃に絵本やアニメの中で感じていたような、いきものたちとお話しするのが当たり前の世界に、大人たちだって生きていたんです。

ところが17世紀ごろ(今から約400年前)、デカルト*44っていうおじさんが「心とモノは別々だよ!」と宣言。ここから科学がドーンと伸びて、世界をバラバラに分解して調べる“理科実験モード”に突入したわけ。電気もスマホも作れたのはすごいけど、そのぶん森のざわめきや星空のドキドキが「ただのデータ」に見えるようになった。言いかえると【魔法が抜けちゃった世界】*45だね。

(ジョータ、これは「トトロやお化けなんてただの気のせいだよ」って、大人が理屈だけで片付けちゃうような感じだと思ってね)。

木も山も鳥も、海に生きる様々な生き物たちも、どんどんと観察したり分類したりする対象になっていって、「いのち」として丸ごと肌で感じるようなところから離れていっちゃいました。

【世界の再魔術化】

ここで登場するのがモリス・バーマン*46という現代の文化批評家。彼は「世界の再魔術化」――つまり、もう一度わたしたちの周りに魔法を感じ直そう! と提案したんだ。ポイントはね、


  • 世界と自分を切り離し過ぎない。

  • 森を“資源(ただの木材)”と見るだけじゃなく、息づく仲間として感じてみる。

  • 「何でも自分でコントロールできる」って思い込みをゆるめる。

友だちに相談したり、自然に身を任せたり。“弱い自分”を認めることで、逆にいろんなものとつながる力が生まれる。ちょっと難しい? それとも、保育園とか小学校の頃のことを思い出すと、当たり前って感じかな? 要は「私」という小さな殻よりも、もっと大きい流れ(関係)の中に自分がいるってことを感じること。

【魔法の世紀】

ここで“そういえば!”なんだけど、さっきの落合陽一さんが『魔法の世紀』*47って本を書いたのね。2015年だから、高田家が三鷹に引っ越した年に書かれて出版された本。ジョータはまだお腹の中。

落合さんは「これからのテクノロジーはあまりに複雑で、一般の人には仕組みが魔法みたいに感じられる時代が来る」と言ってる。実は落合さん、さっきのモリス・バーマンさんの本に影響を受けてるんだって。

デカルト → 魔法が抜けた(脱魔術化)
バーマン → 魔法を取り戻そう(再魔術化)
落合さん → テクノロジー経由で魔法が帰ってきた(魔法の世紀)

という歴史のUターンが起きてるわけ。面白いよね。

本当の「知る」ということはね、ただの暗記じゃなくて、世界を突き詰めて調べた結果「うわ、世界ってこんなに凄かったんだ!」って圧倒されること。科学を極めた落合さんが、巡り巡って「魔法」の話をしているのが、その証拠だね。

【愛真高校という“魔法回復スポット”】

リコピンが通ってる島根の愛真高校は、スマホ無し&大自然ど真ん中という最強の“魔法回復スポット”だと思うんよ。たとえば――


  • 早朝の霧がかったグラウンドで深呼吸する瞬間

  • 片道1時間半のスーパー遠征で、道ばたの花や鳥に気づく瞬間

  • 朝の鳥のさえずり

  • 天の川も見える満天の星

こういう「世界に包まれてる!」という体感が、バーマンの言う再魔術化の第一歩なんだ。理屈よりも身体で覚える魔法。お父さんが伝えたいのは「魔法って特別な呪文じゃなく、視点を変えたらそこにあるよ」というシンプルなことです。

夕焼けに見とれたとき、友だちの何気ない言葉に救われたとき、汗だくで畑を耕したとき――その瞬間、世界と分けられなくて繋がってると気づく。

この前、リコピンは肥え汲みしたんだね。抵抗あったって言ってたけど、汲み出してるときに、足に少しかかってしまってから吹っ切れたって言ってたね…笑。もともと自分たちの中にあったものが外に出ると「汚い」ってどういうこと? って考えたりもするかもね。

もし勉強や人間関係でモヤッとしたら、


  • 外に出て風に当たる

  • 空を3分だけ見上げる

  • 耳をすましてみる

これで案外、魔法ゲージがチャージされるから試してみてね。

【知ることより、感じること】

お父さんたちが学生をしてた頃からすると、今の中高生が学ぶ量というのは、どうやらとっても増えているようです。もし、ただテストのために学べば学ぶほど、世界がつまらなく(魔法が解けて)いくように感じるくらいなら、まずは五感の感度を上げて、感じる時間を増やすと良いだろうなぁと思っています。

レイチェル・カーソン*48さんは、かつてこう書いていました。

“I sincerely believe that for the child, and for the parent seeking to guide him, it is not half so important to know as to feel.”
(森田真生*49 訳)「子どもにとって、そしてわが子を導こうとする親にとって、知ることは感じることにくらべて半分も重要ではないと、私は心から思っています。」

— Rachel Carson『The Sense of Wonder(センス・オブ・ワンダー)』

これだけ「知」がどこでも手に入る時代を生きているみんなは、もはや大学に(ただ卒業資格や肩書を取るためだけに)行く必要はないと、お父さんは真剣に思っています。あ、もちろん「大学に行っちゃダメ」って意味じゃないよ。学びたい学問や、そこにしかいない面白い教授がいるなら、喜んで行けばいい。

ただ、長い目で見ると、大切なのは「どの学校の名前を手に入れるか」よりも、「誰のそばにいるのか? どこに身を置くのか?」ってこと。良いなと思うひとのバイブスをそばで感じ、五感のセンサーが自然と開いていくような場所にいることが、何より大切です。

落合陽一さんからすこし離れてしまいましたけど、夏休みになったら、みんなで大阪万博に行ってみよう。

お父さんの気になる本(いつか読みたくなったら開いてみてね)

  • モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化』

  • 落合陽一『魔法の世紀』

  • レイチェル・カーソン(森田真生 訳)『センス・オブ・ワンダー』

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付録② リコピン、カノン、ライカ、ジョータへ #2

AI時代の新しい学び ──「Learning About」から「Learning Through」へ

本書の編者が、四人の子どもたち(リコピン、カノン、ライカ、ジョータ)に宛てて書いた二通めの手紙です。「人間中心主義を少し手放す」「体験を通して学ぶ」「あらゆるいのちと共に学ぶ」というテーマが、本編の〈脱人間中心主義〉〈固有の速度〉〈多種共生〉と深く響き合うため、付録として収めました。読みやすさのために改行や見出しを整え、語り口はそのままにしています。

梅雨ですね。島根も神戸も東京も雨ですね。今日もずいぶんと降りました。関西スーパーに買い物に行ったときは小康状態で助かりました。そんな日ですが、2本目の手紙を書いておこうと思います。(かなり長いです…笑) リコピンには前と同じように印刷して送ろうと思います。

【はじめに】

「インターネットで何でも答えが見つかる今、勉強する意味ってあるの?」――そんなこと思ったことあるかな? 調べたいことがあれば即座に検索できて、ChatGPT(AI・人工知能)に質問すれば詳しく、お父さんよりも分かりやすい解説まで返ってくる時代です…^^; 教科書の知識を暗記するより、検索して済ませた方が早い場面も多いでしょう。実際、知識を覚えたり整理したりする従来型(特に昭和生まれのお父さんたちの時代)の勉強は、もはやAIの方が得意かもしれません。(蛇足ですけど、「昭和」って響きはお父さんたちにとっての明治や大正って感じなんだろうなぁ・・・)

こんな時代に、人間に残された「学ぶ意味」って何?! そしてAI時代に人間らしく成長するために、これから何をどう学べばいいのかな・・・そんな風に思うことある?

キーワードは「Learning About」から「Learning Through」へ。英語で書くと難しそうだけど、要するに「知識を学ぶ(Learning About)」から「体験を通して学ぶ(Learning Through)」へのシフトです。知識を頭に詰め込む学び(Learning About)だけではなく、実際にやってみたり感じたりする学び(Learning Through)がこれからますます大切になると思います。ちょっと難しく聞こえるかもしれないけど大丈夫。これからゆっくり説明していくね。

予測される未来の学び方について、たぶんこんな感じだろうなってことを書いておきます。いつかタイミングが来たら、予測とどれだけ離れてたか振り返ってみてください。

【体験の大切さ】 ~「知っている」と「わかる」は違う

まず強調したいのは、「体験から学ぶこと」の大切さです。誰でも、ただ本で読んだり授業で聞いただけではピンと来なかったのに、自分でやってみたら初めて「そういうことか!」と腑に落ちた経験があるんぢゃないかな。カノンは自由学園*50から帰ってきた初の夏休み、こう言っていました。

「知識的に分かるのもいいんだけどさ、自由学園きてからさ、ちゃんと体験してさ、分かることが増えててさ」

下記音声より

自転車の乗り方を想像してみて。教科書でバランスの取り方を勉強するより、実際に乗ってみて何度か転びながらコツをつかむ方がずっと早く上達するよね。(あ、でもみんなの時代はストライダーだからそもそも補助輪を使うこともなかったし、ストライダーから、転ぶ経験なく、自転車に移行したね・・・。)

料理だって、本でレシピを暗記するより実際に作ってみる方が「次はもう少し塩を減らそう」と具体的な学びが得られるもんです。(あ、でもライカはTikTok見ての初の茶碗蒸しが激ウマだったね…。例に出して共感してもらうのが難しいくらい変化が激しい時代なのかもね)

こんな風(って書きながら毎度前言撤回してる…)に、「知っていること」と「実際にできる・わかること」は違います。(あ、いやもはや「知ること」即「体験」って感じの幕開けをデジタルネイチャーって呼んでるんでしたっけ⁈ 「魔法の世紀」の完成までの移行期には次のような学びが必要なんじゃないかとお父さんは考えてるのかもねって感じで読んでもらうと良いかな)

机の上で本を読むだけでは得られない深い理解は、やはり自分の体を動かし五感で感じる体験から生まれます。ただ知識を丸暗記するだけぢゃ、意味がないんです。大事なのは【ちゃんと】理解すること。【ちゃんと】ってのは自分で問いを立て、試行錯誤し、五感と感情もフル動員して世界と関わってみることだね。有難いことに今は、退屈な作業や膨大な情報整理なんかはAIが手伝ってくれます。だから僕らは、もっとのびのびと身体を使って学んだり、クリエイティブに遊んだりする余地が広がるはずです。

たとえば理科で植物の生態を学ぶとき、教科書の知識をテストで覚えるだけではもったいないよね。近所の公園に出かけて季節ごとに違う草花を観察したり、プランターで植物を育ててみたりすると、「同じ種でもこんなに成長に差が出るんだ!」とか「毎日水をあげると嬉しそうに葉っぱが開くな」なんて、新しい発見があるよね。そんな体験を通じて得た実感は、単なる知識よりずっと心に残るし、自分なりの疑問や興味も湧いてきます。「どうして日陰の植物は背が高く伸びるんだろう?」と疑問に思えば、それを調べたり実験したりする中で、深い学びに繋がるね。

【マタギドライヴ的な学び】 ~「授かる」モードという生き方

AI時代における新しい学び方のヒントとして、「マタギドライヴ」というユニークな考え方があります。これは前に書いた落合陽一さんが提唱しているもので、簡単に言えば「狩人」のように生きようというイメージ。マタギというのは東北地方の山で狩りをしてきた伝統的な猟師(狩猟民)のこと。山中でマタギは獲物を追い求めますが、相手は生き物、自然が舞台だから計画通りにはいきません。天候や動物の気まぐれ、いろんな偶然も含めて山と対話しながら、柔軟に狩りの方法を変えていく――そんなマタギのように、予測不能な変化をポジティブに受け入れて柔軟に対応する力が「マタギドライヴ」的な学びを含む生き方の姿勢なんだね。

落合さんによれば、現代を生きる私たちもマタギのように運や偶然を「まぁそれも含めて人生のうち!」と楽しみ、変化に対応する力を養おうというのです。効率だけを追い求めて常に安全な道ばかり選んでいると、新しい発見はなかなか生まれないと思います。ときにはリスクや無駄に思える寄り道も受け入れてみる。そうしたハプニングの中でこそ、思いがけない価値が生まれるかもしれないからです。カノンが自由学園に行ったのも「準備ができていない」段階だったでしょ?

そういえば、ネットで調べものをしていて、いつの間にか全然関係ない面白い情報に行き当たって夢中で読みふけってしまった…なんて経験はあるでしょ?(みんなの場合はネットサーフィンよりもYouTubeを見続ける感じかな…) 本来の目的を忘れて「しまった時間が経ってる!…でも面白かったからいっか!」となったこと、一度はあるかもしれませんね。あれもある意味、狩人のように知の森をさまよった学びの寄り道です。(違うか…最近はアルゴリズムで離れられないようにしてるともいうし…) 効率だけ見れば無駄に思えるかもしれませんが、実はそういう「脱線」や「寄り道」、「道草」から人生の豊かさや新しいアイデアが生まれることが結構あるんです。

AIが高度な計算や検索を引き受けてくれるこれからの時代、みんなにはもっと好奇心の赴くままに知の冒険をする余地が生まれます。事前に決められたレールの上を進むような勉強だけでなく、自分で「面白そう!」と思った方向へどんどん探究するといいよ。まるで森の中でキノコを探していたら珍しい花を見つけた…なんて冒険のように、ネットや本の中でも思わぬ発見の連続です。こうした狩猟採集的な学びこそ、AI時代に人間が身につけたい力だというのが落合さんの主張だと思いました。実際、AIによる知識労働の自動化が進めば、私たちはデスクに縛られた従来の勉強から解放され、代わりに未知の状況に適応するスキルがますます重要になっていくよね。論理や計算だけでなく自分の直感や身体の感覚も大事にして、「今ここ」での生きた経験こそが学びの中心だという価値観が広がっていくはずです。

【多種共生の視点】 ~人間だけが先生じゃない

では、「Learning Through」をさらに広げるとどうなるでしょうか。答えは、人間以外のあらゆる生命を含めた世界全体から学ぶという視点です。AI時代の学びを考えるとき、大事なのは人間中心主義を少し手放してみることかもね。これまでの大人、人間こそが特別で一番賢い存在だと思いがち。でも自然の中で暮らしてみると、動物たちや植物、さらにはコンピューターだってそれぞれにユニークな知恵を持っていることに気づきます。「ポストヒューマン」51的視点なんて言うと難しいですが、要は人間だけが特別な存在ではないと認めることです。人間は決してひとりでは生きられません。自然とテクノロジーに心を開いて、謙虚な「弱い自分」でいるとき、逆に世界と調和した不思議な強さが得られることもあるんぢゃないかな。

学びも同じ。全部を「自分ひとりで理解してやる!」と意気込むより、周りの環境や他の生き物、テクノロジーとのつながりの中で学ぶとき、意外な力が引き出される。たとえば森の中では木々が季節の移ろいを教えてくれるし、犬や猫と触れ合えば彼らの感情やコミュニケーションの取り方から学ぶことができる、文ちゃんみたいに。AIだって上手に使えば、難しい問題を解くヒントをくれたり、新しいアイデアを一緒に考えてくれたりするでしょう。教室だけが学びの場じゃないし、人間だけが先生でもありません。世界そのものが大きな学校であり、そこに生きるあらゆる存在が先生というか、対話の相手になる。

こうした視点を持つと、「共に生き、共に学ぶ」という感覚が芽生えてきます(ってお父さんを含んだ大人に言い聞かせています笑。きっと若い君たちはよく理解している)。

たとえば学校で環境問題について学ぶだけでなく、実際に森のボランティアに参加して土に触れてみる。すると机上の知識では見えなかった生態系のつながりや、人間活動が他の生き物に与える影響を肌で感じるでしょう。三森さんとの出逢いでそのあたりは感覚的に分かるよね? 植物を守るには虫や鳥も必要で、虫や鳥を守るには森全体の環境が健全でなくてはならない…そんな多種共生のリアルな姿が見えてくるよね。知識を頭で理解するだけではなく、実際に体験しながら「自分もその一部なんだ」と実感することが大切だよね。

AI時代の学びの究極の姿は、「様々な生命と共に生きる道を探ること」なのかもね。人間だけが特別ではないってことを認め、感じ、学ぶことができれば、きっと今までにない新しい知恵が生まれるように思います。それは動物や自然とだけではありません。AIともただの道具として接するのではなく、対話すべきパートナーとして関わることで、お互いに学び合えるかもしれません。未来の教室では、人間の先生とAIの先生が一緒に授業をしたり、生徒が自然の中で植物や虫から学んだりする光景が当たり前になっているのかもしれませんね。

【学びのヒント】 ~今日からできること

ここまで書いてきたように、AI時代には「Learning Through」=体験を通じた学びが鍵です。具体的にどんな工夫ができるかな。いくつかヒントやアイデアを。いつも言ってることだけれども…


  • 五感をフル活用:勉強に行き詰まったら、教科書を読むだけでなく身体を動かそう。散歩しながら勉強できる時代だしね。英単語を覚えるなら声に出して発音したり、単語に合わせてジェスチャーしてみると記憶に残りやすくなるように、身体と五感を使うことで、頭の中だけで考えるより深く理解できます。体験と知識が結びつくのも、行動して五感を使うから。

  • デジタルとリアルのバランス:オンラインで世界中の情報にアクセスできるのは素晴らしいんだけど、可能な限りリアルな体験に飛び込んでみて。興味のあるテーマについて、本やネットだけでなく実物に触れてね。宇宙が好きなら夜に星空を眺めに行ってみて。お父さんは熱いココアを魔法瓶に詰めて小学校のグラウンドまで星を見に行ったこともあります。科学が好きなら科学館で展示に触れてみる、美術に興味があるなら実際に美術館に行って本物の作品を見てみる。VRや動画では得られない「わぁ、本当にこんな匂いがするんだ」「空気感が全然違う!」という発見があります。それに、そうした生の体験はネットで誰かが語った知識よりも、自分だけの物語として心に残る宝物になるよ。ちなみに、小6のときにアマチュア無線の免許を取ってKENWOODの無線機を買ってもらって、JJ6JFEというコールサインで無線局を開局してたよ。地元の許斐山に登って対馬の人と交信したこともあります。

  • 仲間と学ぶ:一人で黙々と勉強するだけでなく、周りの人や環境とともに学んでみてください。友達同士で教え合ったり議論したりすると、新しい視点が得られて理解が深まります。「え、そんな風に考えたことなかった!」という気づきは、対話の中で生まれます。また年上の人から昔の話を聞いたり、ワークショップに参加したりするのも刺激になるよ。岡本家みたいに人間以外から学ぶことも大切。愛真や自由学園で聞こえてくる鳥のさえずりから「今こんな風に感じているのかな?」と想像してみると、生き物の見方が変わるかもね。庭や公園の木々や花も、四季の変化や天気によって姿を変えるよね。解説には三森さんに同伴してもらいたいけど…笑。AIも上手に使えば素晴らしい先生になります。調べものをするときにChatGPTのようなAIに質問してみたり、翻訳や計算を助けてもらったりすれば、人間はその先の「じゃあこの情報をどう使おう?」といった妄想にも似た時間に使えるね。

  • 失敗や寄り道を恐れない:学校のテストでは間違えると減点されてしまいますが、実際の学びでは失敗は貴重な経験。うまくいかなかった方法は「じゃあ次は別のやり方を試してみよう」というヒントになりますし、寄り道のおかげで思いもよらないアイデアに出会えることもあるよ。テスト勉強中につい別のことに夢中になっちゃった…そんな経験も無駄ではない。それで興味の幅が広がったり、後で「あの知識が役に立った!」となることだって大いにあります。勉強でも人生でも、一本道で正解だけを求める必要はない。寄り道・道草万歳!

【おわりに】 ~「学び」を楽しもう!

AI時代の学びのあり方として、「Learning About」から「Learning Through」へというテーマで書いてきました。知識をただ覚えるだけでなく、身体を使った体験を通じて学ぶこと、そして人間以外も含めた多様ないのちから学ぶことが大事だということは、たぶんお父さんたちの世代に比べると実感として分かってると思うので今更かもね。


  • AIはこれからも進化し、私たちの勉強や仕事をどんどん助けてくれると思います。だから、人間にしかできない学び方――五感や創造力、他者との共感、自然との対話など――を取り戻して伸ばしていくチャンス。これまではずいぶんと座学に偏っちゃったね。静かに机に向かっているだけでは味わえない「生きた学び」を、自分の足で世界と関わりながら、旅しながら獲得してもらいたいです。父としては、みんなが高校を卒業したらすぐに大学には行かずに、一、二年旅をしてもらいたいと思ってます笑

  • インターネットが知識の大海原を開き、AIが頼れる相棒になった今、学び方を再発明するチャンスが来たように父は感じてます。これまで人類が培ってきた「身体で学ぶ力」と、新しく拓かれる「ポストヒューマンな知恵=生きとし生けるものと一緒に生きていくこと」を掛け合わせて、AI時代も思い切り学びを楽しんでいきたいよね。ずいぶんと長いこと地球を無限にも思える資源(材料・リソース)として見てしまったから、なかなか困難な道だけど…

  • 最後にひとつ。もしAIが宿題や雑務を手伝ってくれて時間ができたら、そのときはぜひ外に出て自然の中を歩いてください。カノンの場合はスマホをポケットにしまい(リコピンは持ってないけど…)、風の音や土の匂いを感じながらぶらぶらしてみてください。びっくりするほど頭がスッキリして、新しいアイデアがふっと浮かんでくると思うよ。木漏れ日の中で得た小さな気づきが、明日からの学びを変えるヒントになるかも? 人生という冒険の中で、学びの種はそこかしこに転がっています、きっと。心配せずに手を伸ばして、その種を拾ってみてね。どんな花が咲くのか、楽しみ。

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ガイアの学校

AIの時代に、「役に立つ」を超えて地球とともに生きるために

AIを利用して書いた編者として
高田耕造
2026年6月17日

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脚注

1: サティア・ナデラ…マイクロソフトの経営トップ(CEO)。本書では、AI時代の企業のあり方を論じた彼の文章を手がかりにする。なお本書は、その文章で示された「考え方」を紹介するもので、本人の発言をそのまま引用しているわけではない。

2: 宮嶋望(みやじま・のぞむ)…北海道・新得町にある「共働学舎新得農場」の代表。世界的な賞をとるナチュラルチーズの作り手であり、福祉とものづくりを結びつけた実践者でもある。

3: ジェームズ・ラヴロック(1919〜2022)…イギリスの科学者・発明家。地球全体を自己調整するシステムととらえる「ガイア理論」で知られる。百歳を超えてなお著作を発表しつづけた。

4: 脱人間中心主義(だつにんげんちゅうしんしゅぎ)…「人間こそが世界の中心で、ほかのすべては人間のための道具だ」という考え方(=人間中心主義)を見直そうとする立場。人間を、自然や他の生きものと並ぶ「関係の網の一部」としてとらえ直す。「人間なんてどうでもいい」という意味ではない点に注意。

5: キリスト教愛真高等学校…島根県江津市にある全寮制の小さな私立高校(1988年開校)。本書の第七章でくわしく紹介する。

6: 認知のループ…「認知」は「考える・理解する」こと。人間が考えてAIに指示し、AIの答えを受けて人間がまた考える…という往復(ループ)が、回るほどたがいを賢くしていくイメージ。

7: 人的資本(じんてきしほん)…経済学の言葉で、人がもつ知識・技能・経験・人間関係などを「財産(資本)」とみなす考え方。機械や建物と同じように、人の能力も価値を生む資産だ、という見方。

8: トークン資本…ナデラの造語。AI(とくに文章を扱うAI)は、ことばを「トークン」という小さなかたまりに分けて処理する。そのトークンを使うAIの力を、会社が自前で築いた財産としてとらえた言葉。

9: 計算力(コンピュート)…コンピュータの計算パワーそのもの。AIを動かすには大量の計算が必要で、その「馬力」を指す言葉。

10: 複利(ふくり)…利息にさらに利息がつく増え方。増えた分がまた増えを生むので、時間がたつほど雪だるま式に加速する。「学びが学びを生み、差がどんどん開く」イメージ。

11: 山登り(ヒルクライミング)…情報科学の考え方で、「いまより少しでも良くなる方へ一歩ずつ進む」をくり返して、より高い頂上(最良の状態)をめざす方法。

12: 暗黙知(あんもくち)…マニュアルにしづらい、体で覚えたコツや勘。「自転車の乗り方」を文章で完全には説明できないのと同じで、ベテランのなんとなくの判断がこれにあたる。哲学者ポランニーが広めた言葉。

13: グローバル化/空洞化…人・モノ・お金・仕事が国境をこえて行き来するようになること。その初期に、安い人件費を求めて工場が海外へ移り、もとの工業地帯から仕事が消えてしまう「空洞化」が各地で起きた。

14: フロンティアモデル…「フロンティア」は最前線・未開拓地の意味。AIの世界でいちばん進んだ最先端のモデルを指す。

15: エコシステム(生態系)…もとは自然界の「生きものどうしの支え合いの仕組み」。ここでは、多くの会社や人がひとつの土台の上で、たがいに価値を生み合う関係を指す。

16: 共働学舎新得農場(きょうどうがくしゃ・しんとくのうじょう)…「競い合う」のではなく「共に働く」を名前に込めた農場。心身に障害のある人もない人もいっしょに暮らし、酪農やチーズづくりを営む。1978年に入植し、2006年にNPO法人化。

17: 2016年、神奈川県相模原市の障害者施設で、入所者が多数殺傷された事件を指す。「役に立たない命には価値がない」という加害者の考えが社会に大きな衝撃を与えた。宮嶋はこの出来事を、人間の価値を「有用性」で測る発想の極端な帰結として、戒めをこめて引いている。

18: 発酵(はっこう)…微生物(菌)のはたらきで、食べ物がうまみや栄養に富んだ別の状態に変わること。チーズ・味噌・パン・ヨーグルトなどがその産物。人間が一方的に「作る」のではなく、目に見えない生きものと「協働する」ものづくりである点が、宮嶋の思想の鍵になっている。

19: ガイア理論(仮説)…生きものと、大気・海・岩石などの環境が、たがいに作用し合って、地球全体をひとつの「自己調整するシステム」として保っている、という考え方。「ガイア」はギリシャ神話の大地の女神の名。

20: 自己制御(自己調整)システム…外から手を加えなくても、自分自身の働きでバランスを保つ仕組み。たとえば人間の体は、暑ければ汗をかき、寒ければふるえて、体温をほぼ一定に保つ。ラヴロックは地球もこれに似ていると考えた。

21: ウィリアム・ゴールディング(1911〜1993)…『蠅の王』で知られるイギリスの小説家。ラヴロックの近所に住み、この理論に古代ギリシャの大地の女神「ガイア」の名を提案した。

22: リン・マーギュリス(1938〜2011)…アメリカの生物学者。「異なる微生物が合体して新しい細胞が生まれた」とする共生説で知られ、生命を「競争」だけでなく「共生(ともに生きること)」の観点からとらえ直した。

23: デイジーワールド…ラヴロックが考えた、白いヒナギクと黒いヒナギクだけが生えた架空の惑星のモデル。黒い花は光を吸って暖まり、白い花は光を返して涼む。気温に応じて両者の割合が自然に変わることで、惑星全体の気温が安定する。誰も「調整しよう」と思っていないのに、結果として調整が起きることを示す思考実験。

24: 界(kingdom)…生きものを大きく分けたグループ。植物界・動物界・菌界など。ラヴロックは、地球が住める状態に保たれるには、これら多様な界がそれぞれの役割を果たして協力する必要がある、と考えた。

25: 『ノヴァセン ―〈超知能〉が地球を更新する』…ラヴロックが百歳を前に書いた本。原題 Novacene: The Coming Age of Hyperintelligence。AIから生まれる新しい知的存在の時代を論じた、彼の集大成的な一冊。

26: 人新世(じんしんせい/アントロポセン)…人間の活動が、気候や地形など地球全体を変えてしまうほど大きくなった時代を指す言葉。約三百年前の産業革命以降を指すことが多い。

27: ラヴロックの説明…太陽は時間とともに熱くなっていく。地球を冷たく保つには、植物などの生命が太陽のエネルギーを受けとめ、大気を調整しつづける必要がある。どんなに賢いAIでも、この生命の網がなければ、灼けつく地球では存在できない、というのが彼の論理。

28: ラヴロックへの批判…「AIがそんなに都合よく人間と協力してくれる保証はない」「太陽が地球を灼くのは何億年も先の話で、今の問題への答えにはならない」といった反論がある。本書は彼の説を“正解”としてではなく、人間中心主義を揺さぶる刺激的な見取り図として紹介している。

29: 近代(きんだい)…おおよそ産業革命より後の時代。理性・効率・進歩を重んじ、「より速く・より多く・より便利に」をよしとする価値観が世界に広がった。

30: 脳の神経細胞どうしのつながりは、新しい学びや習慣によって少しずつ作り変えられる。これを脳の「可塑性(かそせい)」という。学びや回復に時間がかかるのは、なまけているからではなく、体の側にそういう仕組みがあるからだ。

31: 二項対立(にこうたいりつ)…ものごとを「AかBか」「正しいか間違いか」と二つに割って考える図式。一方をほめると他方を悪者にしがちで、現実の複雑さを見落としやすい。

32: 沿革と規模…1988年、内村鑑三の流れをくむ無教会キリスト教の伝道者・高橋三郎の呼びかけで島根県江津市に開校。全寮制で、原則スマートフォンを持たずに生活する。募集定員は各学年28名(全校約80名)だが、近年の実際の在籍は全校で40人前後と、よりアットホームな規模で運営されている(2020年代半ば時点)。

33: 内村鑑三(うちむら・かんぞう/1861〜1930)…明治・大正期の日本のキリスト教思想家。教会の組織や形式よりも、聖書と一人ひとりの良心を重んじる「無教会(むきょうかい)」という立場をとった。

34: 高橋三郎(たかはし・さぶろう)…無教会キリスト教の伝道者・聖書学者。内村鑑三が亡くなった1930年に高橋は10歳ほどで、内村の直弟子ではなく、内村の弟子である矢内原忠雄や三谷隆正に学んで信仰を受け継いだ“孫弟子”にあたる。「人は何のために生きるのか」という根本問題を教育の中心に置く高校の設立を提唱し、愛真高校の創立につながった。

35: この三本柱(「読むべきものは聖書、学ぶべきものは天然(自然)、為すべきことは労働」)は、内村鑑三の思想にもとづき、1934年に山形県で創立された基督教独立学園高等学校の高名な創立理念。愛真高校は1988年の開校時に独立学園と姉妹校提携を結び、この理念を受け継いだ。無教会の教育が一つの学校にとどまらず、ネットワークとして受け継がれてきたことがうかがえる。

36: 愛真高校では、生徒たちが米づくりや畑仕事などを通じて、自分たちの暮らしを自分たちの手で支える。汚れ仕事も含めて生活の全体を分担することが、教育の柱の一つになっている。

37: 新約聖書には、最も弱い立場の人にしたことが、そのまま神にしたことになる、という趣旨の教えがある。人の価値を能力や成果で測らない発想の源泉のひとつ。

38: 安息日(あんそくび)…ユダヤ教・キリスト教で、週に一度、仕事を休んで心身を回復させる日。「人は生産するためだけに生きるのではない」という考えを、暮らしのリズムとして刻んだもの。第二章で見た宮嶋の「ゆっくりした時間」と響き合う。

39: スチュワードシップ(被造物の管理)…「この世界は人間のものではなく、人間は世界を“預かって世話する”役目を与えられているだけだ」とするキリスト教の考え方。自然を支配する対象ではなく、ケアする対象とみる点で、脱人間中心主義やガイアの発想と深く通じ合う。

40: 感話会(かんわかい)…愛真高校で、卒業前などに、生徒が三年間で感じ考えたことを語り合う場。すぐに結論を出さず、ある思いが言葉になるまでの時間を待つことを大切にする。

41: 芒種(ぼうしゅ)…二十四節気のひとつで、6月上旬ごろ。稲などの穀物の種をまく目安とされた季節をあらわす。

42: 落合陽一(おちあい・よういち)…メディアアーティスト・研究者。「デジタルネイチャー」「マタギドライヴ」など独自の概念を提唱し、2025年の大阪・関西万博ではパビリオンを手がけた。

43: デジタルネイチャー/マタギドライヴ…ともに落合陽一の用語。デジタル技術が自然と区別なく溶け合った状態(デジタルネイチャー)や、狩人(マタギ)のように偶然と対話しながら柔軟に進む生き方(マタギドライヴ)を指す。

44: ルネ・デカルト(1596〜1650)…フランスの哲学者。「我思う、ゆえに我あり」で有名。心(精神)とモノ(物質)を分けて考える見方を示し、近代科学の土台をつくった。

45: 脱魔術化(だつまじゅつか)…世界を「神秘」ではなく、観察し計算できる「ただの仕組み」として捉えるようになる流れ。社会学者マックス・ウェーバーが用いた言葉。

46: モリス・バーマン…アメリカの文化批評家。著書『デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化』で、世界をバラバラに分解する近代の見方を見直し、もう一度いきいきと感じ直そう(再魔術化)と提案した。

47: 『魔法の世紀』…落合陽一の著書(2015年)。高度に複雑化したテクノロジーが、一般の人には仕組みの見えない「魔法」のように感じられる時代が来る、という見方を示した。

48: レイチェル・カーソン(1907〜1964)…アメリカの生物学者・作家。『沈黙の春』で環境汚染に警鐘を鳴らした。引用は、子どもの“神秘に驚く感性”の大切さを説いた遺作『センス・オブ・ワンダー』より。

49: 森田真生(もりた・まさお)…日本の独立研究者・文筆家。数学やいのちをめぐる著作で知られ、『センス・オブ・ワンダー』の新訳も手がけた。

50: 自由学園(じゆうがくえん)…東京にある、1921年創立の学校。生活そのものを学びの中心に置く独自の教育で知られる。

51: ポストヒューマン…「人間こそが世界の中心・頂点だ」という見方の先を考える立場。人間を、動物や自然、機械(AI)とならぶ存在のひとつとしてとらえ直す。本編の〈脱人間中心主義〉と重なる考え方。

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