25年越しの答え合わせ—イタかった高校時代の私と、同じ学び舎にいた妻へ
「自分軸」を提唱している自分が言うのも恐縮だが…。いや、違う。だからこそかもしれない。
とにかくイタいことばかりして、本当に言いたいことを言えなかった自覚が一番大きいのが高校時代だ。
小学生の頃も好きなコに告白できなかったことがやや心残りなことはある。でも、今となっては小さい頃の話として片付けられている。いや、確かに小2の終わりに引っ越す前、両想いだったコにちゃんと伝えたかったというのはあるが、当時の思い出は普段が充実していた印象が強い。
中学の頃は、勉強面で圧倒的さは徐々に薄まり、自身が「アイデンティティ」だと思っていたものはどんどんなくなっていった。部活では、尊厳的なものはなくなり、こちらもいい思い出はない。
ギターを始めたり、初めて作詞作曲をした時期であり、「感性」という意味では多感の時期が後押しして、今でもこのときの感覚を追っているところはある。だが、日常の充実度で言えば、黒歴史に近いし、そして、それは自分の力不足を痛感しているので、そこまで後悔もない。
しかし、高校は違う。
入学した高校は県内有数の進学校であり、早々に上位グループから落ちた。
だが、部活では仲間に恵まれ、本当に楽しかった。
元々、小学生のときに「身長が高い」という理由で、大して仲も良くない友人に誘われてバスケ部に入った。価値観が合わないグループが主軸の部活に楽しさなどあるはずもない。しかし、高校では部活が生活の中心になった。
自主・自立の校風が強く、今でも本当にいい高校だったと思う。
だが、そこにあったのは圧倒的後悔だ。
もっとうまく立ち回れたら。もう一度あの頃に戻れたら…。
そんないつもは鼻で笑ってしまいそうな、転生やループ願望を根強く感じていたのがこの時代だ。
ちなみに、どのくらいの後悔なのかと言うと、受験期後期は、往年の名作桂正和先生の『I"s』を読んでは泣き、「いったい自分はこの3年間何をしていたんだろう」と泣きじゃくり、泣き疲れて寝るということを繰り返していた。
そう、結局、この一言が私の高校時代に対しての自己評価そのものだった。
25年振りの同窓会
そんな折、高3当時のクラスLINEから同窓会のお知らせが届いた。
卒業後に作られたこのグループに、私はこれまで一度も顔を出したことがなかった。
だが、今回は確信があった。ここに行くことで、過去の自分を清算できる。絶対に行くと決め、早々に返信をした。
しかし、時期としてはかなりキツい時期だった。
まず、妻が6週間の入院中であり、その間に義母の逝去もあった。
「外泊許可」という思いもよらない手段で一時的に妻が自宅に戻ってきたことで、なんとか参加できそうな土台ができつつあったタイミングだ。
さらに、同窓会当日は、中3の長男の修学旅行出発日でもあり、午前中は末娘の運動発表会も重なっていた。家事の大きな戦力である長男を見送り、長女と連携して末娘の行事に参加する。
なぜ、ここまでしてまで同窓会に行きたいのだろう?
慌ただしく家族の予定をこなし、都内の会場に向かう電車の中で、ふとそんなことが思い浮かんだ。
結局そのときには分からなかったが、ここが自分の人生において、私自身が「大きく引っかかっていると感じている」部分だという確信は、揺るがなかった。
心の奥底にあった、本当の想い
そして、実際に参加してみてわかったことがある。
私は何も知らなかったし、「知りたかった」のだ。
異性との交友関係が少なく、一方的な恋心や妄想こそ多いものの、ちゃんとした人間関係を育めなかった自分。自己中心的にイタいことばかりしていた自分を謝罪したいという想いが強いものだと思っていたし、確かにそれも一つだった。
だが、まずもって思い知らされたのは、自分が周りの状況も、一人一人のことも、全然知らなかったということだ。
それを痛感したのは、修学旅行の思い出話に差しかかったときだ。
当時の私は班のリーダーだったが、頭の中はスケジュール進行のことや、当時付き合っていた校外の彼女のことでいっぱいだった(ちなみに、初めての彼女でもある)。自分の役割や、自分の世界にしか矢印が向いていなかったのだ。
しかし、同じ班のメンバーから明かされた裏側の状況は、私の見えていた景色とはまるで違っていた。私が気づかないところで、彼らはクラス内の複雑な人間関係に気を配り、担任とも連携を取りながら、うまく場を調整してくれていたのだ。
部活内で少しいじられていた立場の人間が、実は誰よりも大人で、俯瞰して周りを見ていた。
私は、人に興味がなかったのだ。相手のことを知ろうとしていなかっただけだった。
好き勝手なことばかりやっていて、私のことをよく思っていない人もいただろう。でも、長い年月による風化や美化があったとしても、彼らは当時の私の至らなさを確かに受け止めてくれていた。
「あのときに、もっと言ってよー」と、今のフラットなコンディションだからこそ、お互いに笑い合うことができた。
正直、「あのときのオレ、何してたんだよ」とは今も思うところではある。でも、途方もない年月が経ったものの、ようやくこの状態になれたことがうれしい。
適応障害でミドルエイジクライシスになり、本当に自分がやりたいこと、ずっと前からやりたかったことの扉を開けていき、noteを含めて内省を繰り返した。
フラットなスタンスで話を聞く機会は、自身が仕事としてやっているインタビューライティングにももちろん生きているし、人付き合い全般で生きている。
試行錯誤をして歩んできた道。そのなかで、自分が納得できた道が、ちゃんと受け入れられたような感覚になる日だった。そう、能力とかキャリアとか年収とかそういう比較からは外れて、自身が胸を張れる思考や接し方ができたことが何よりうれしかったのだと思う。
何が自分を変えたのか
ここまでは、自身の成長を噛みしめるような内容になっていたが、忘れてはならないことがある。
私一人で、ここまで自分が納得できる方向にこれた訳では決してない。
間違いなく、妻であり、家族のおかげだ。
そして、そんな妻も在学中はまったく知らなかったが、実は同じ薬高生であり、薬園台高校の思い出話が、出逢いを後押ししてくれる最後のピースとなった。
妻の入院期間も、改めて子どもたち一人一人としっかり向き合う時間をくれたし、それぞれが協力し合って、私のワンオペなどではなく「ワンチーム」として家の中を切り盛りすることができた。
いよいよ、あと1週間強で妻が帰ってくる。2月の約3週間の手術入院。そして、今回の約6週間の入院。本当に色々なことがあったが、間違いなく自分の中で大きな意味を持つ期間となった。
そして、今回の同窓会は、自分の中の根っこに絡みついていた、大きなこじらせをようやく浄化できたような気がする。
日付が変わって今日は、週に1度の妻の面会日。
今日も、話したいことがたくさんある。
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