きみの未来を奪うのは #未来のためにできること
「どうして、こんなコトをするの!?」
今までは、街中で聞いたとき、言った母親のほうにイヤな視線が集まっていた言葉。
想像の何倍も冷たい声色を発しているのが、自分の口からだと気づくのに少し時間がかかった。
当然、相手は何も言えなくなる。
それは理由を聞いているような問いかけでありながら、意味するところはまるで違うからだ。
そこにあるのは「禁止」だけ。
SDGsの冊子が小学校でも配られるようになった。「環境」と名が付く学部を卒業した身としてはうれしくもあり、それでも実態を思うと複雑な感情もある。
だが、過去のISOやCSRと言った企業だけが率先する話と違い、粒感の違いはあるが、かなり自分ゴトに近くなったことは本当に素晴らしいことだと思う。
「レール」という概念はますます散り散りとなり、個人がしっかりと情報を収集し、取捨選択する必要な時代になった。相対的に経済力が弱まるということで、誰もが下を向く必要は本来はないが、無責任に「希望を持て」ということも違う気がする。
だからこそだ。
わたしたちは、いや、少なくてもわたしはしっかりと聴く必要があるのではないか。
なぜ、そう思ったのか。そういうことをしたのはなぜなのか。
言葉通り、「なんで、それがいいと思ったのか」聴く必要がある。
そして、急に聞かれても子どもたちも困ってしまう。
だから、わたしたちも、言語化と説明をめんどくさがらずに行う必要があるのではないか。
「余裕がなくなった」
いや、元より働くことは、可処分時間をすべて会社に捧げることだったのかもしれないし、昔はそれでよかったのかもしれない。
だが、それは分業してただけだし、子育てとの分業だけでなく、生きる意味の切り分けとも言える。
時間があれば、お金があれば、余裕があれば。
きっと、これらは同じ構造をしているような気がする。
老後の余暇時間にのんびりと。
体が思うように動かなくなった後で、できることは、今考えるそれと同じだろうか。
だからと言って、今無茶な計画を立てるのも早計だろう。
自分の思考や選択を言語化すること。そして、相手の話をちゃんと聴くこと。
それは、一人ひとりの人生を豊かにするために必須レベルの話だし、その相手が子どもなら、なおさら未来への影響は大きいはずだと信じたい。
と言いつつ、わたしも腰が重いが、1日10分だけでいいから、ちゃんと子どもたちとちゃんと話をしよう。
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