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【掌編】おとしもの|チャレがや企画

久しぶりのチャレがや企画参加!
「嘘」の回、メッチャ参加したかったですが、諸々落ち着いて、気がついたときにはもう期間が過ぎていました。

ちゃんとお題をウォッチせねばですね!
今回のテーマは「おとしもの」です。


「そちらのお年を召した方のものではないでしょうか?」

ホテルのロビーに声が響いた。
受付に持ち寄られた、男物のハンカチを手に、私に聞こえるように言っている。落とし物を届けてくれた青年は、女性スタッフの声量に顔をしかめる。

届けてくれた人にかける言葉と私にかける言葉は、本来別であるべきだろう。そして、そのハンカチは私の物ではない。顔の前で手を横に振ったつもりだったが、スタッフは何を勘違いしたのか、「よかったです、はいどうぞ」と渡してきた。

渋々受け取りながら、ホテルを後にする。よくよく考えてみると、わかっていて押し付けてきたのかもしれないと思いつつ、確かにそのハンカチは私のものではないはずだが、私の好みにピタリと一致していた。

そういえば、落とし物と忘れ物はどう違うのだ。落とし物は意図せず、地面に落ちたもの。忘れ物は、テーブルや椅子などの上に置いてあったもの?では、意図的にテーブルなどに置いたものは?
そんなとりとめのないことを考えながら、今日も街を散歩する。

老い先が長くないことはわかっているつもりだ。何気なくブラブラすることに何の意味があるのだろう?この時期に得たものなど意味がない?命を浪費しているだけ?

確かにそうなのかもしれない。だが、逆に聞きたいのは、命を大切に使うとは何なのだろう?何か歴史に残るような大作や功績を残すことなのか。何かに一生懸命に取り組むことなのか。

私が落としたものは何だろう?それは、この先も「続く・できる」と無自覚に信じ切っていたものだろうか。時間を失っていく代わりに経験を得る?衰えていくものばかりではない?「衰え」と捉えるから辛い?それはそうだろう。では、そうした高説を唱える御仁たちは、結局どうするのだろう?

最初からなかったものと思うのではない。
もし、その力がなかったらと考える。そうしたら、たくさんの実績はなせなかったはずだ。すべての助けたかった人の力になれたわけではないが、救えた人もいたと気づいた。

落とし物はいつ来るかわからないが、確実に、突然起こり続ける。
そういうものだと知っているかどうか、なのかもしれない。
人は、「失くした」悲しみに耐えられないから。

だが、それを「あったはず」ではなく、ただ事実として受け止めたとき、一喜一憂することもなく、それはわれらが大地のごとく、神木の大樹のごとく、盤石な心を作るのかもしれない。
そう、仮に旅先で財布がなくなるようなことがあっても。

なるほど、確かにこのハンカチもまるで昔からお気に入りとして使っているような気がした。

そのハンカチには、刺繍で自身の名前が縫い込まれていることを彼はまだ気づいていない。

#チャレがや
#おとしもの
#みくまゆ会


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