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適応障害と「自分軸」|わたしが「自分軸」を考えるようになったきっかけ

40歳を前にして適応障害となり、そこから人生に対する考え方を見直すようになりました。

ということをnoteでずっと言ってきましたし、どう変わったかということも発信してきたつもりです。
自分軸」とか、植物を育てるような考え方も大事とか、目の前の人の役に立つとか、そういう話ですね。

ただ、ふと思ったのは何を思ってこの考えに至ったかのか、あまり触れていなかったような気がしました。
今回は、わたしが自分軸を意識するようになったきっかけの話を紹介できたらと思います。


人生って、まだ結構長くない?

わたしが適応障害になったのは、2021年の話です。
そのとき、わたしは38歳でした。いえ、厳密に言えば、2021年3月から3ヶ月間休職し、その間に38歳になりました。

そのとき思ったことが、あくまで平均寿命を目安に考えた場合ではありますが、「まだ人生結構長くない?」という気持ちでした。

定年となるタイミングで仕事をしなくてもいい状態になっているかは別ですが、60歳まで考えてもあと20年。

そこからさらに、80歳くらいまでを視野に入れると、人生はここから40年程度続く計算となり、折り返しに来たに過ぎないと思うと何とも言えない気持ちになりました。

そこで考えたのが、まず仕事の話。
既にここまでで、最初の営業職時代の10数年で5社を経験。
個人事業主として独立し、再度会社員になった今、職歴はかなり増えました。

もう転職はしないように、自分が心から賛同する事業に関わろうと思ったものの、入社半年ほどで初めて心療内科に行き、初めて休職する形になりました。

調子いいことを言って、テンションを上げて無理に追従して。
一息ついたタイミングや自分がいっぱいいっぱいになったら、あふれ出す文句や不満。

長く続く人生で、この走り方ではもたないかもしれない
ずっと背伸びをしながらマラソンをしているような実感があり、いよいよこの感覚とちゃんと向き合おうと思ったのが最初です。

結果的に、ここから
・状態がいいときに、仕組みを作る
・状態が優れないときは、その仕組みを使って、省エネモードでパフォーマンスを出す

ということを意識するようになりました。

それまでは、いいときにテンションに任せて先のタスクまでドンドン先取りする。逆に優れないときは全然手につかないということをやっていて、パフォーマンスに波があるという状態でした。

「自分の軸がないから」だったのかもしれない

そして、もう一つ考えたのは今までのやり方。
上司、特に社長に対しては生殺与奪を握られているかのように、尻尾を振って気に入られようとしていました。

一方、仕事自体では成果を出せず、「ホントはこんなこともできるのにな」とカラオケだったりゲームだったりで実力を磨いたりしていました。
結局それは、「自分を丸ごと認めて欲しい」という、会社的には迷惑な話になっていたと思います。

また、適応障害になったきっかけも、会社のなかで「バリューを発揮できていない」という気持ちからでしたし、そこから発展して「居場所がない」という気持ちや、さらに「クビになるかもしれない」という不安が、どんどん広がっていったからでした。

ここから、時間をかけて、長い間刷り込まれた「成果生存主義」とも言える考え方を、認知行動療法によって少しずつはがしていくことになります。

習慣化に取り組んだのは、復職してから約半年後。
本格的に「自分が本当にやりたいこと」に取り組み始めたのは、さらにそこから2年後のことです。

中田敦彦さんの「YouTube大学」をきっかけに、リベラルアーツと言われる古典の名作に触れ始めながら、初めて美術館に行くようになったのが、2024年1月のことでした。

自分が本当に想っていることを発信しよう

そうして美術館に行ってみたり、自分が興味のあるものをどんどん推し進めていく内に、思ったのが自分の考えを発信するということでした。

そのとき、会社員としてライティングの仕事からは大分遠ざかっていましたし、パラレルワークとして行っているライティングもあくまで企業からの依頼であり、自身の考えという部分では控えめです。

また、それらが評価されても当然ですが、その記事は企業に帰属するわけで、自分に積み上がるものが欲しいと思いました。

そこで始めたのがこのnoteでした。
一部経歴や実績は出していますが、名前を調べて出てくる情報ではなく、純粋に考え方を発信して積み上げていきたい。
それがnoteでの発信を始めた想いです。

自分軸がくれた、もう一つの「自分にはこれがあるから」

こうして自分が好きなもの、興味があるもの、本当に自分がやりたかったことを進めて1年以上が過ぎ、連続投稿も460日を越えました。
そこで実感できたのは「自分にはこれがあるから」というものでした。

ただ、そこで今までと決定的に違ったものは、それが実績ではないことです。

わたしは、誇れる実績や成果を探していました。ですが、当然それは上には上がいます。
ちょっと自信をつけては、上級者の方を見て自信を打ち砕かれる。結局、自身の存在を認めてもらおうとしていたのだと思います。

ですが、人生の目的を「何を成し遂げたかどうか」という成果ではなく、「自身の追い求める表現を探求するという姿勢そのもの」に置いたとき、その過程こそが自分自身であると捉えることができたのです。

ここから、仕事に対しての考え方も少し変わりました。
復職してから約1年後に社内で表彰されたのは、基本的なことのスタンス変化でした。

・違う意見を言うときも、肯定から入る
・イヤな顔をしない
・目の前の人の困りごとやメリットにフォーカスする

と言った、いわば社会人の基本に近い部分です。

ですが、noteを続けていく内に「自分軸」がよりはっきりした今思うのは、
・仕事は求められている以上のパフォーマンスを出す
・自分を丸ごと肯定してもらう必要はない

という考え方でした。

求められている役割で成果を出せば、それでいい話でした。
自分が人とは一味違うところを無理やりアピールしようとする必要もありません。アートの素晴らしさを一から説明して同意を得ようとする必要もありません。

人生を預けてはいるものの、すべてではないと割り切ることができ、結果的にそのほうが、入社当時あれだけやりたかった、より本質的な価値を提供できるようになったような気がしています。

何と言うか、パートナーとの関係にも似たようなことが言えるかもしれません。とても大切な存在だが、わたしのすべてではない。
当たり前のことですが、わたしは自分が嫌いな自分の部分まで受け止めてもらおうと必死だった気がします。

とここまで、カッコイイことを言いつつも、やっぱり、寄りかかりたくなる時も認めてほしいと思うタイミングはちょいちょいありますが、少しずつ自分が夢見た「自立している大人」像は、こんなカンジなのかなと思えるようになりました。

ごくごく当たり前の結論で大変恐縮ですが、ぜひみなさんのこうした受け入れてもらうことを手放せた話もコメントなどで伺えたらうれしいです!
ずっと悩んできた身として、メチャメチャ興味があります!

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