「花を咲かせる土になる」——この理想を私にくれたのは、会えなくなった父でした。
私には、人生の理念があります。
「花よりも、花を咲かせる土になる」
家族が花。私は土。華やかでなくていい、目立たなくていい。ただ、大切な人がちゃんと花を咲かせられるように、いい土でありたい。そう願って生きています。
この言葉に、私はある歌を通じて出会いました。仕事に疲れ果てて、自分を奮い立たせようと応援ソングを探していた、ある夜のことでした。
きっかけは、ふとした懐かしさでした。
高校生の頃に聴いた、甲子園の応援ソング。「ずっと描いてた夢の場所へ、僕らならいける」——そんなフレーズを、なぜか急に聴きたくなって、私は夜中にスマホで探していました。
たどり着いたのは、ベリーグッドマンというグループの曲でした。
そして、その流れの中で、私はもう一つの曲に出会います。
「花よりも花を咲かせる土になれ」
そのタイトルを見た瞬間、私は、鳥肌が立ちました。
なんて、素敵な言葉なんだろう。
そう思って聴いてみると——気づけば、涙が出ていました。
誰に認められなくてもいい。華やかさなんてなくていい。支える側のままで、君は美しい。歌は、そう語りかけてくるようでした。
私がずっと、心のどこかで「こうありたい」と思っていたのに、うまく言葉にできずにいた理想。それを、この歌は、まっすぐに肯定してくれたのです。
この言葉のルーツをたどると、星稜高校野球部の名将・山下智茂監督に行き着きます。表舞台で輝く花を育てるには、見えないところで支える土がいる。その土の尊さを説いた言葉です。野球に青春を捧げた私にとって、この由来もまた、特別なものでした。
でも、最近、ふと思ったのです。
なぜ、あの言葉は、初めて聴いたはずなのに、初めての気がしなかったのだろう。
なぜ、あんなに自然に、自分の中に入ってきたのだろう。
考えて、考えて、たどり着いた答えが、ありました。
私の理想の「土」は、ずっと前から、すぐそばにいたのです。
それは、私の父でした。
私が野球を始めたのは、五歳のときでした。兄がやっていて、その背中を追いかけるように、自然とボールを握っていました。
父は、野球の経験など、まったくない人でした。それなのに、私が少年野球を始めると、コーチを引き受けてくれました。ルールも、技術も、一から自分で勉強して。そして私が六年生になる頃には、監督まで務めてくれていました。
中学に上がり、クラブチームに入っても、父は変わりませんでした。父兄コーチとして、リーグの審判として、いつも裏方で、私たちを支えてくれていました。
今でも、はっきりと覚えている光景があります。
裏方で動いている父が、楽しそうだったのです。
主役は、グラウンドで打って、投げて、走る、私たち子どもです。父は、その外側で、誰に褒められるわけでもなく、汗を流していました。それなのに、嫌な顔ひとつせず、むしろ心から楽しそうに、私たちを支えていた。
あの頃の私は、それを当たり前の風景として見ていました。でも、今ならわかります。あれこそが、花を咲かせる土の姿だったのです。
高校では、親元を離れて、寮で野球漬けの日々を送りました。
スランプに陥って、どうしようもなく苦しいとき、私はいつも父に相談していました。父は、遠くから、ずっと私を支え続けてくれました。
甲子園に出場したとき、提出するアンケートに「尊敬する人」を書く欄がありました。
私は、迷わず「父」と書きました。
有名な選手でも、すごい監督でもなく、裏方で私を支え続けてくれた父を。あの頃の私は、まだ言葉にはできていなかったけれど、何が本当に尊いのかを、きっと知っていたのだと思います。
だから、あの歌に出会って鳥肌が立ったのは、当然だったのです。「土になれ」という言葉は、私にとって、新しい教えではありませんでした。それは、父の背中そのものだった。私が、物心つく前から見て、知らず知らずのうちに受け継いでいた、生き方そのものだったのです。
歌が、私に理想を授けたのではありません。歌が、私の中にずっとあった父の姿を、照らし出してくれたのです。
ここから先は、少しだけ、つらいことを書きます。
私は二十八歳のとき、今の妻と結婚しました。妻には連れ子が三人いて、私にとっては初めての結婚でした。
そして、いろいろなことが重なって——私は、結婚を機に、両親と疎遠になってしまいました。
詳しいことは、書きません。誰が悪いという話でもありません。ただ、家族にはそれぞれの事情があり、守らなければならないものがあった。それだけのことです。
私は、新しく家族になった妻と、三人の子どもたちを守ると、心に決めていました。だから、私はその道を選びました。後悔はしていません。
でも——もう、八年になります。
あれだけ尊敬し、私の生き方の原点になった父と、私は、八年間、会えていません。
不思議なものです。
私が「花を咲かせる土になりたい」と願い、その生き方を、今、自分の家族に対して必死に実践しようとしている。その理想を私にくれたのは、ほかでもない、父でした。
その父とは、今、つながれずにいる。
父から受け取った「土になる」という生き方を、私は、父のいない場所で、次の世代に手渡そうとしている。私が娘の縄跳びを隣で見守るとき、炎天下で影を作るとき、その姿はきっと、かつて私を支えてくれた父の姿と、どこかで重なっているはずです。
会えなくても、受け継いだものは、消えませんでした。
私が「土になる」という生き方を生きている限り、父がくれたものは、私の中で、今も生き続けています。
正直に言えば、いつかまた、父と話せる日が来たらと思う気持ちは、あります。
でも、それは私一人の願いで、現実は、そう簡単ではありません。だから私は、その願いを、心の奥にそっとしまっています。
私が今、いちばん大切にしたいのは、目の前にいる家族が、穏やかに、安心して笑っていられることです。そのためなら、自分の痛みも、葛藤も、土の中に抱え込んでいけばいい。花が、安心して咲いていられるように。それが、土の役割だから。
そして、それもまた、父から教わった生き方なのだと思います。
最後に、ひとつだけ。
この理念を、六歳の娘も、なぜか気に入ってくれています。あの歌を、私と一緒に口ずさんでくれるのです。
私を救ってくれた歌が、今は、親子で歌う歌になりました。
いつか娘が大きくなって、この歌の意味を、本当に理解する日が来るかもしれません。そのとき、娘が、誰かを支えられる優しい人になっていたら——私は、土として、これ以上の幸せはありません。
花を咲かせる土に。
まだまだ、理想には遠い。でも、毎日、少しずつ。ぼちぼちと、いい土になっていきたいと思います。
——親父。あなたがそうしてくれたように。

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ここまで読んでくださって、おおきに。
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