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高学歴理系経営者が、星にぶつかって沼に落ちた。

2025年12月。

私は星(スター)に出会ってしまった。

もう、出会う前には戻れない。

星との出会いは偶然で、きっと出会おうとしても出会えはしない。


これは、そんな”推し活”という沼に、30年無縁だった高学歴理系経営者が、思わぬところでハマった結果、灯台下暗しを痛感したお話。


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少しだけ、自己紹介をさせてほしい。


私は、まだまだ儲からない中、日夜仕事に励む去年立ち上げたばかりのベンチャー企業の社長。

それとは別に、経営者の秘書のようなカタチで事業に関わる個人事業を展開し、
・事業立ち上げ
・事業拡大サポート
を常時10件ほど抱えている。


仕事中心の生活で、朝起きたらすぐにメッセージのチェック、集中すれば家事や風呂、食事さえも忘れるような人間。

そしてそれがそれほど、苦痛でもない。

ただ、たまに、ひどく、自分が世間的にはダメな人間なのではないか、と心配になる。

この前などは酷くて、食器を洗わぬまま出張に行ってしまったがために、お椀がカビだらけ。

自分で自分にドン引きした。


そんな、絵に描いたような仕事一筋人間。

人としての暮らしの維持機能を、残念ながら、どこかに置いてきてしまっていると思う。


また、自分で言うのも烏滸がましいとは思うが、国立大学の修士卒。

それなりに世間一般的には高学歴だと自認しているし、たまに「すごいですね」と言われる。


医療系だったので、一つでも単位を落としたら留年だから勉強はしていたし、小中高もよく勉強する優等生だった。

子どもの頃、親に勉強しなさいなどと言われた記憶がなく、誰かに怒られた記憶もほとんどない。


反抗期がなかったと親に言われたほどだ。







そんな、つまらない、人間だった。


そう。私は、こんな私という存在が心底つまらなくて、大嫌いだった。



脳内に、常に居座るド正論。

「もっと成果出さないと」
「〇〇さんは、こんなに評価されている。オマエはどうなんだ」

私は常に、”何か”に追われていた。

正論ほど役に立たない暴力などないと思うのに、それでも根強く私の中心に居座った。



子どもの頃からそうだった。


「勉強さえできれば、存在してもいいと思える」

そんな強迫観念を抱き、ただ逃げるようにして勉強する日々。


やりたいことや夢も特になく、ただ学力があれば選べる、選ぶ権利が欲しいと思った。何がほしいか分からないのに、選ぶ権利をただ願った。

選ぶ権利がありさえすれば、人生は変えられると思ったから。



なぜそうなってしまったのか?

その背景をあえて考察するなら、学校でいじめられた結果、

「願っても叶わない」
「自分なんてなにもない」
「ただ、叶うなら。心穏やかに好きな人と平和に暮らしたい」

そう思っていた、というところだろう。

私は、常に周りの顔を伺い、できる限り息を潜め生きていた。



さて。

自己紹介もこの辺で終わり。




そんな私は、幼少期は恋愛の経験もないし、好きと思えるものがほとんどなかった。

テレビは親の影響で観ていたが、好きな芸能人なんていなかった。教室で、好きな芸能人について熱く話している子はいたし、グッズを買って幸せそうな子もいた。

だけど、好きをつくるということは、それを傷つけられるというリスクと表裏一体だから、当時は”無意識に”避けていた。

当時の芸能トークに関する私の感情は一言、「怖い」に集約された。





硬くて頭でっかちで、つまらない人間。
勉強しかできない。勉強しかしてきていない。
その延長線上で、仕事しかしてない。

学生から社会人へ。環境や人間関係が変わり、いろんなめぐり合わせの重なりの中で、個人事業主となり、法人を持つことになっても、私は変わらず硬くて頭でっかち。仕事に没頭していた。


だから、雑談もおしゃべりも苦手。いわゆるコミュ障。


ファッションにも美容にも興味がない。


そんな人間だった。




そんな私が、たまたまハマったドラマがあった。全盲の主人公が事件の捜査にあたるというものだ。

そのドラマが放つメッセージ性、障害者の描き方が好みだった。

そんなドラマの続編の映画が去年の12月に公開され、私はそれを見に行った。

その映画は、主人公の初恋の相手を名乗る人とその子どもが、とある組織に追いかけられているのを守り抜くというストーリー。

その映画の中で、主人公が、敵役に

「何なんだよあんた、なんでここまでできんだ」
「お金が目的のあなたにはわからないでしょうね。愛された事があるからです。だから、その愛に応えたいんです」

映画『ラストマン -FIRST LOVE-』,2025,平野俊一監督

と言うシーンがあって。



涙が止まらなかった。


なぜなのかは、いまでも、わからない。


心の底から大切にしたいと思える"誰かとの"約束。"それほどの"想いを"誰かと"交わせたことが尊くまぶしかったのか。
それを守る主人公が美しかったのか。




そして、人生で初めて同じ映画を4回も観た。気がついたら、舞台挨拶も、関連映像も追いかけていた。

いわゆる推し活の沼の縁に、知らぬ間に立っていた、いや足を踏み入れていた。



でも、当時の私は、どうしてもこの映画が生まれた過程を、そこに込められた想いを知りたくてたまらなかった。

追いかければ追いかけるほど、どうしても映画に出ている俳優たちに会いたくなって、気づいたら主演と主演の弟役のファンクラブに入っていたのが今年の1月だ。

ファンクラブなどというものに私が課金することになるなんて、夢にも思わなかった。



そこからは早かった。

どうしても、一度でいいから会いたいと願ってしまった私は

「こんな何の仕事の成果にも繋がらないお金の使い方いいのだろうか…?」
「もっと、マーケティングを学ぶとかに課金したほうが有意義なんじゃないだろうか?」
「仕事しないと…」

などと思いつつ、それでも湧き上がる欲を押さえられなくて、シンガー・ソングライターでもある前述の映画の主演俳優のライブに引き寄せられるように参加を決めた。



だが、私は大音量、人混みがキライなので、ライブそのものが初体験。右も左も分からない。

時同じくして、同じ存在にハマった妹と一緒に初めて1月のライブに行った。


基本真面目なので、予習をせねばと思い、少しだけ、事前にネットにUPされているライブ映像を観た。その時観た映像の観客席のライトがキレイだったから、ライトはあったほうがよさそうだと思った。

だが、令和のペンライト、いや、シンクロライトバングルは私の想像よりうんと高い。

高いのは値段だけではなく、機能もだが。

Bluetoothで接続して席ごとに色が自動で制御されるらしい。びっくりだ。子どものころパキっと音を出して一晩くらい光る棒のイメージで止まっていた、私の中のペンライトの概念が大幅にアップデートされた。



令和のペンライト、シンクロライトバングルを買って、初めて臨んだライブ。





そこには、光る、星、スーパースターがいた。


ライトで真っ赤に染まるステージの上にふわっと、悠然と現れるその存在を観たときの身体中に走る衝撃と震えが忘れられない。

初ライブだったが、幸いにも親が車でCDを流していたアーティストだったのもあり、半分くらいは知っている曲だった。

それでも楽しかった。

楽しい。
うつくしい。
かっこいい。
かわいい。
尊い。
いつまでも、元気で幸せでいてほしい。
また、来たい。

そんな気持ちが私の心を駆け巡る。一度でいいから、と思っていた気持ちはどこかへ消し飛んでしまったようだ。


気づいたらライブに通い、グッズを集めるようになった。


グッズが途中で溢れ始めて、本棚を新設した。本棚が届いて組み立てて、グッズをお納めしたときの高揚感と満たされ感たるや、計り知れない。

1人、汗だくになりながら気持ち悪い顔でニヤニヤ。



そんな中、ふと。

自分の語彙力、表現力の薄さに絶望した。

推しに対して、”かっこいい”、”美しい”、”かわいい”、”尊い”、などという、ありきたりな、形容詞しかでてこないのだ。


これでは、その推しが好きな人にしか、伝わらないではないか。

よくないぞ。

ちゃんと、どんな人にでも納得感があるように、もっとこの気持ち、この状況を伝えられるようになりたい。

自分の表現力の限界などというものに、負けたくない。

かといって、長々と修飾語を並べ立てても陳腐になるばかりで気持ち悪い。



真剣に悩んだ。


そんな、私がたどり着いた答え。




それは

「サンプルがたった1なのが問題だ。インプットが足りないんだ」



そう、これまで、推し活という沼で、スターに出会ったことがない私は、その星しか知らないから。他の星を識ることで、その星の良さ、特徴を描写できるかもしれないと大真面目に考えた。

あるファンからみたら、ファンの風上にもおけない思想だろう。


それでも、私は本気だった。


何事も、インプットとサンプルの数は大切だ。研究の基礎基本、サンプルサイズの確保をしよう。そうしよう。



そう決めたら、早速誰のライブに行くのかを考えなければ。

まずは、同じ映画に出ていた弟役のエンターテイナーのリサイタルに行った。

元々のキャラが違うから違うだろうと思ってはいたが、予想以上の違いが観測された。

他のアーティストのライブの配信を観たり、芸能生活30周年でSNSでファンが熱心に集客していたアーティストのライブを観に行ったりもした。



様々なアーティストのライブを観ることで、少しずつ輪郭が観えてきた。

・これまでどんな経験をしているのか
・着替えの時の幕間VTR
・MCのトーンや内容
・ライティングや舞台演出
・このアーティストが最期までやりたいことは何か?
・ファンがそのアーティストに求めることは?

少し荒っぽい表現になるが、どのアーティストのライブがすごいとか、そんなことは私にとっては、どうでもよかった。


最終、それは個人の好み。


私はただ、その星が、どんな背景と物語を経ていまこの場で光っているのかが、知りたかった。ただそれだけ。

ただそれだけのために、たった半年で9回の遠征、約30万を費やした。



30万と、数百時間をかけた、私の研究成果。



それは、そのアーティストが健康である限り、人生の最後までやり続けるであろうことが、ライブに行けば言葉にせずとも伝わってくることだ。

作詞作曲、弾き語り、はたまた、目の前の人を笑わせるエンターテイナーでありたいのか。

それぞれのアーティストに、にじみ出るものが確かにあった。


あとは、ライブ以外でのどんな経験をしてきているのか?ということも、ライブに現れていた。

バラエティ番組、司会業、俳優業、舞台俳優業、ラジオパーソナリティ、フォトグラファー、さまざまな経験で培われたと推測されるスキルがそこかしこに見え隠れしていた。


「そうか、ライブというのはその人の積み重ねた人生を爆発させる総合芸術なんだ」
「私は遊んでるんじゃない。芸術鑑賞をしているのだ」


どこまでも、理詰めでないと納得できない自分。ただただ好きだという気持ちにOKを出せない自分。そんな自分に嫌気がさしながらも、あの手この手で理由を並べながら研究を進めた。


ほんとは、好きに理由なんて要らないはずで。
ただ好きだから。そんなシンプルな事のはずなのに。



めんどくさい私の脳みそは、『好き』vs『正論』が戦い続けながらも、徐々に『好き』が力をつけていった。



これまで30年、ライブなんて一度も行ったことなかったのに、

たった半年でものすごく行くのを我慢して、合計9回

ライブに行った。

そのうち6回は、映画で沼ってしまった、スターだ。

時間とお金が許せばもっと行ってしまいそうだ。


歌う曲は、最後の一曲を除き、8割は同じなのに。それでも、行きたくなってしまう。

ナゾの抗いがたい引力。



それでもまだ、脳内戦争は続く。

「仕事が溜まってるぞ?ほんとにライブなんかに行ってていいのか!?」
「エンタメ業界を分析することで、クライアントのSNS発信などにも使えるかも。だってファンをつくるってことなんだから……! 」

といった具合に。もはや一種の病気だと思う。



今思えば、自分の脳内で鳴り響く正論なんて、さっさと捨てちまえばいいのに。慣れない沼の中で、沈んでは、這い上がったり、気持ちよく浮かんでみたり、あがいていた。

幸か不幸か、推しさまが活動的でらっしゃるので、日々新しい情報が送られてくる。




同じ推しに"ほぼ同じタイミングで"ハマった、週に数回は妹と推しニュースについて電話を数時間単位でするようになった。

もはや、彼氏。


この作品が良かった、SNSのこのポスト観た?、これオススメ、など明日には忘れるような、どうということもないお喋り。




でも、これがすごく心地よかった。


大好きなものを、大好きと言えて。
それを肯定しあえて。

ただ、とりとめもなく喋るという時間が、こんなにも愛しい。

妹とはそれまでも仲は良かったが、推し活を通してよりいっそう、仲が深まった。

妹と私は似ているが、違う。


妹のほうが、コレクター気質だし、こだわりが強い。グッズをひたすら綺麗にフォルダリングしている姿に狂気すら感じる。

私はこの記事のように、識るという形で集めること、それを考察すること、日常に活かすことが好きだ。


違うからこそ、面白いが、違うからこそ推し活する中でケンカをしたこともある。でも、それでも一緒に居たいから。次の日には何が嫌だったのかとどうしたいのかを添えて連絡するようになった。

どちらか片方だけが、当選することもある。それでも、一緒に楽しむにはどうするのか、どう関係性を育むのかを真剣に考える。


いつしか、推しがかっこいいのはもちろんだが、隣にいる妹が尊すぎて、いつまでも幸せでありますように、と願うようになった。


そして、推しを通して、いまの私には幼少期になかった『温かな人間関係』があることに改めて気がついた。


お喋りが心地良いということを知った私は、この上半期、特に仕事で疲れるたびに色んな知人友人の家に遊びに行った。

・ふらっと「お好み焼き食べに行ってもいい?」と言えるおじさんの家
・月1ぐらい泊まりにいく、小学生の子どもがいる友だちの家
・1週間滞在させてもらえる岐阜の実家
・関東滞在時には何度もお邪魔させてもらっているお仕事仲間の家

沢山喋って、沢山笑った。


そして、それがかけがえのない尊いことだとしみじみと感じた。


私が子どもの頃願ったこと。

身近な人と平和に暮らしたい。

そんな小さくて大きな願いが、叶っていたことを知った。



これだけでも、推し活万歳。


さらに、

綺麗になったね
メイク変えた?
目がキラキラしてて素敵
なんか、面白いね

等と言っていただくことが格段に増えた。



なぜならば、街のどこで推しさまに出会っても大丈夫なように常に準備しておく必要があるのだ。

納得のいかないコンディションで、出会ってしまった日には溢れる後悔で寝られないだろう。
もちろん、そんな日が来る可能性はほぼないのだが。

そんな妄想をしてしまうほどの沼り度合い。もう止まらない。




また、元気じゃないと推しに会いにいけないから。

ある程度、ご飯を食べ、健康に気をつけるようになった。その結果、この半年、人生で1番忙しかったが、体調は大きくは崩していない。


結果、事業投資をがんばっていた去年よりも、仕事の業績もなんと1.5倍に伸びている。


こんないまの私をみたら、過去の私はこう言うだろう。

「ありえない」「ずるい」「そんなことやっていいの?」


いいんだよ。

人は人を自由に好きになっていい。やりたいと思ったことを誰の許可を取る必要もない。世間なんてほっといたらいい。

そんなメッセージが過去の私へ、届きますように。

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