「探究の民主化」を目指す。
最近の自分が掲げている人生テーマを言語化しようといろいろと試みる中で出てきた言葉に、「探究の民主化」という言葉がある。自身が運営する「探究横丁」というオンラインコミュニティでも、私が勝手に掲げているのがこの言葉だ。
まず、「民主化」とはどういう意味で言っているかというと、平たく言えば「日本の多くの人たちにとって普通のこと、身近なことになってほしい」という意味合いだ。一般には政治学的な意味合いで使われることが多い「民主化」という言葉だが、それを拝借してニュアンスのみを利用してみている、と言う状態だ。
これまで「探究」は、一部の人がそれぞれのやり方で行ってきたのが現状だ。我々研究者は大学という場を頂いて探究をしているし、研究を生業にしていない人たちの中にも探究をしている人はおそらくいるが、彼らはごく一部であって、多くの人たちは探究的な生き方をしているわけではないだろう。
私は、探究活動は選ばれた一部の人だけが行うものではなく、誰にでもひらかれたものであると考えている。そしてそれは、ある意味「生き方」でもある。つまり、探究の民主化とは、「探究的な生き方をあらゆる人が実現できる社会をつくる」という意味合いで私が勝手に生み出した言葉である。
では、なぜ探究の民主化を目指す必要があるのか?それは、これからの時代の人間が生きるにあたっては、「知的好奇心」を生きるためのエネルギーとして、自分なりの仮説を持って世界に働きかけ、その反応を観察しながら新しい仮説を生み出し実行していくことこそに幸福が宿ると考えているからだ。
自分が世界に対して何かのアクションを取って、そのリアクションが返ってくるから人は行動的になれる。世界に何かを働きかけて、その反応を見てさらに自分の行動を変える。その連続的な取組が、人間の中に喜びを生み出すのではないかと思うからだ。
言わば、これからの時代の人間は「探究」を通して「世界と繋がっている感覚を持つこと」を幸福として生きていくことになるのではないだろうか、ということだ。
まだ言葉選びも説明も生煮えのところが多々あるので、さらに解像度を上げて言語化していきたいところだ。
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これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。