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【映画感想文】『PERFECT DAYS』

『つつがなく』

1)perfect

これ以上ないだろう、というくらい抽象的な映画である。
なにせ、主人公にはほとんど台詞がない。
主人公以外の登場人物についての説明もほとんどなされていない。

よって、この映画を観た人は、その抽象性ゆえに、自身の内側にあるものをかなりストレートにこの映画に投影することになる。
主人公に、主人公と関わりを持つ人々に、景色に、音楽に「貧しさ」を見るのか、「素朴さ」を見るのか、「美しさ」を見るのか、「素直さ」を見るのか、「新しさ」を見るのか、自身の内側にあるものを、実にさまざまにスクリーンに投影することになる。

役所広司演じる主人公「平山(ひらやま)」は、東京・渋谷でトイレ清掃員として働いている。
細かい説明がなされていないため定かではないが、恐らく60代くらいの男性という設定であろう。
住まいは、恐らく東京スカイツリー近くの老朽化した風呂なしアパートだが、平山が寝起きする部屋自体は、余計なものがなく、整頓されていて、凛とした佇まいであるとさえ感じる。
彼は、毎日同じ時間に目覚め、身支度をし、仕事に出かける。
仕事から戻れば、近所の銭湯で汗を流し、なじみの飲み屋で一杯引っかけ、就寝時には古本屋で買ったお気に入りの文庫本を手に取り、寝落ちする。
これが彼の「暮らし」である。

私は、この映画にこれ以上ないくらいの「豊かさ」を見た。
「理想」であるとさえ感じた。
「うらやましい」とさえ思った。

私がなぜこの映画に「豊かさ」や「理想」を見たのか、それを言葉にするのはとても難しいのだけれど、どうにかやってみよう。
これを今日言葉にしてみて、後になって「やっぱり違うな」と思うことがあれば、その時は仕方ないから、またアップデートすることにしよう(笑)。

私は、主人公・平山の「自分の暮らしを、つつがなく続けていく」姿に、どうしようもなく「豊かさ」や「潔さ」のようなものを感じたのだ。
「自分の暮らしを、つつがなく続けていく」
のは、きっと、誰もがやっている。
幼いこどもや、何かしら24時間体制での介助が必要な状況にいる人でもない限り、誰もがやっている。
やっていると思うのだけれど、ところが、これがなかなかそうでもないのだ。
365日中364日は平凡な日々を送っている凡庸な私でも、「自分の暮らしを、つつがなく続けていく」 ことに関して、この映画の主人公ほどにはできていないのだ。

なぜか。

國分功一郎先生の『暇と退屈の倫理学』ではないけれど、私も「退屈と闘っている」からかもしれない。
むろん、『暇と退屈の倫理学』 は、他ならぬ國分先生自身が退屈と闘い、「ああ、もう!この退屈ってなんやねん!」という問いに対する答えを見つけるべくして書かれた本であり、「國分先生も退屈と闘っているんだな」「仲間がいるんだな」と思うと、ちょっとホッとしたりする(笑)。

そんな私と違い、『Perfect Days』の主人公・平山は、自身がコミットできることに100%コミットする日々を365日送っているのだ。
彼の日々のルーティンは、恐らく10本の指で数えられる数に納まっている。
「退屈しのぎに○○する」、そして、「あれこれとバタバタしているうちに、肝心の部屋の掃除がおろそかになっていた」といった、「つつがなく暮らす」を乱す要素がほとんどない。
彼のひとつひとつの行動は「平凡で」「ありふれて」いるものかもしれないけれど、どれもが彼自身の「つつがない暮らし」に直結していて、映画のタイトルにもある通り、それが「perfect」で、この「豊かさ」と言ったらない。
そんなふうに感じたのだ。

2)手当て

「手当て」という言葉がある。
この言葉の本来の意味は、傷の「手当て」のように、患部を治療したり、痛みを緩和したりする時の行為を示す。
この「手当て」は、自分がケガや病気をした時などに、家族や医師などからしてもらうと思うのだけれど、実はほとんどの人が自分で日々セルフでやっている。
ちょっと熱っぽいなと思えばおでこに手を当てるし、お腹が痛ければお腹をさすったりする。
これ、立派な「手当て」なのだ。
その昔、体質改善に取り組んでいた時、東洋医学では、この「身体の痛みや違和感がある部分に手を当てる」行為というのは、実は、見た目の簡易さを超えて、実際に治癒を促す効果があると学んだように覚えている。

『Perfect Days』の主人公・平山が「つつがなく暮らす」ために行うことひとつ、ひとつは、言ってみるなら、究極の「手当て」と言える。
来る日も来る日も、自分で自分の暮らしを「手当て」し続けている。
自分が自分で「手当て」できる範疇を超えて、あれこれと手を出すことはない「謙虚さ」や「潔さ」があるとも言える。

よく「自分で自分を愛する」とか、「まずは自分で自分を愛してから、そのあふれた分で他者を愛する」などと言うけれど、思うに、自分で自分を愛するというのは、決して「鏡よ、鏡よ、鏡さん。私は、鏡の中のあなたを心から愛しています」と呪文を唱えるようなことではなくて(汗)、「日々、自分の暮らしを、つつがなく手当てし続ける」ことなのではないかな。

私は、この映画にこれ以上ないくらいの「豊かさ」を見た。
「理想」であるとさえ感じた。
「うらやましい」とさえ思った。
この映画と出会えたことの幸せと言ったらない。

Memo:

映画製作のきっかけは、渋谷区内17か所の公共トイレを刷新する日本財団のプロジェクト「THE TOKYO TOILET」である。プロジェクトを主導した柳井康治(ファーストリテイリング取締役)と、これに協力した高崎卓馬が、活動のPRを目的とした短編オムニバス映画を計画。その監督としてヴィム・ヴェンダースに白羽の矢が立てられた。
ヴェンダースが敬愛する小津安二郎の事跡をたどる『東京画』(1985)を監督するなど日本とのつながりの深さで知られたヴィム・ヴェンダースは、当初、短いアート作品の製作を考えていたが、日本滞在時に接した折り目正しいサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、長篇作品として再構想。ヴェンダースが日本の街の特徴と考えた「職人意識」「責任感」を体現する存在として主人公を位置づけ、高崎卓馬の協力を得て東京を舞台とするオリジナルな物語を書き下ろした。

ウィキペディア「PERFECT DAYS」

第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所が日本人俳優としては『誰も知らない』の柳楽優弥以来19年ぶり2人目となる男優賞を受賞したほか、作品はエキュメニカル審査員賞を受賞した。
また2024年の第96回アカデミー賞では日本代表作品として国際長編映画賞にノミネートされた。

ウィキペディア「PERFECT DAYS」

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