記号の居場所を探して──AIと詩のあいだで
はじまりの問い
「最適化された世界に、あなたの言葉はどこに置かれるのでしょうか?」
無駄の美しさや人間らしさへの共鳴は、とても大切です。けれど、「AIが最適解を出すから人間は非効率に価値を見出す」という物語だけでは、問いが浅く終わってしまいます。本当に最適とは誰のためなのか。無駄や感情にこそ、制度の中に居場所を与えるべきではないか。詩のような共鳴を、社会の構造としてどう抱きしめるか──そのことを一緒に考えていけたら嬉しいです。
「最適解」の外側で
AIにとっての「最適解」は、あくまで記号上の最適なんですよね。でも、私たちは身体をもって生きています。実感のなかで、「納得できるかどうか」って、けっこう大きいと思いませんか?
この違いは、記号設置問題(symbol grounding problem)と呼ばれる問いにつながっています。つまり、記号ってどうやって現実と結びつくのか?という問題です。
感じること、わかることの違い
AIは「無駄」や「感情」をデータとして扱えても、それが生きている私たちにとってどう響くか──たとえば、なんとなく落ち着かない感じとか、じんわり救われるような気持ちとか、そういうものまでは理解できていないと思うんです。
だからこそ、「共鳴」や「身体性」に価値を見出す営みは、記号をどこにどう置くかという、社会のなかでの“設置”の話にもなるんです。
詩と制度、ふたつの配置
たとえば詩のかたちで「無駄」を記述すること。あるいは福祉や教育の制度のなかで、効率では測れない「余白」や「情緒」をちゃんと評価できるようにしていくこと。それって全部、記号の再配置なのかもしれません。
そう考えると、詩を書くことも、制度をつくることも、同じひとつの営みに見えてくるんです。
おわりに──揺らぎを置く場所
だから、私たちの感じていることや、言葉にならない揺らぎを、ちゃんとどこかに「置いておく」こと。それが未来の秩序を支える礎になるのかもしれません。
