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エッセイ|ラ・フランスとの出逢い




ラ・フランスをいただきました。

これまでの人生で、私とラ・フランスの距離は決して近くありませんでした。スーパーで見かけても、どこか他人行儀で、手を伸ばす理由を見つけられない果物でした。けれど私の中では、なぜかずっと「洗練されたオシャレ」の象徴として存在していました。ラ・フランスと聞くだけで、日常から一歩離れた、少し背筋の伸びる空気を思い浮かべてしまうのです。


私の頭の中のラ・フランスは、決まってパリにいます。パリジェンヌが片腕に抱えた茶色の紙袋。その中からバゲットが突き出ていて、その隙間からチーズと一緒に、当然のようにラ・フランスが顔を覗かせています。白いシャツにトレンチコート、足元は石畳――そんなイメージです。

そういう世界の果物は、きっと素手で触ってはいけないのです。


例えば、リンゴは丸かじりが許される果物です。公園でも、道端でも、気軽に歯を立てて良いのです。けれどラ・フランスはそうはいきません。真っ白なボーンチャイナのお皿の上に、きちんと整列させて、銀のカトラリーで口元に運ばなければいけない気がします。そうしないと、何かに叱られるような気がしてしまうのです。

そんな完成されすぎたイメージの中で、ラ・フランスは完璧な「異国の果物」でした。

けれど、実際に手に取ってまじまじと眺めてみると、その姿は驚くほど歪でした。左右対称とは程遠く、なだらかな曲線のはずが、どこかで急に折れ曲がっています。想像していた洗練とは違い、そこには「整えすぎないノスタルジー」が宿っているように見えました。都会的な果物だと思っていたのに、なんだか妙に人間臭いというか……。


形が整っていないので、皮を剥くのはなかなか大変でした。包丁を入れる角度が定まらず、思った以上に手首を使います。リンゴのように迷いなくナイフを走らせるわけにはいきません。

しかも正直なところ、食べごろもよくわからないのです。硬いのか、柔らかいのか、甘いのか渋いのかも判断できないまま、とりあえず調べてみました。すると「ヘタの根本の部分が皺になってきたら食べごろ」と書かれていました。そんな繊細なサイン、私では全く判断できないのです。

恐る恐る切り分けて口に運ぶと、想像以上にジューシーでした。果汁がじわりと広がり、爽やかな甘みが後から追いかけてきます。主張しすぎないのに、確かにそこにいる味。派手ではないけれど、丁寧に紡がれた言葉のような甘さでした。


私が実際に使ったのは、セリアで買ったお皿で、フォークもセリアで買ったものです。パリジェンヌの紙袋も、銀のカトラリーもありません。ここはパリではなく、日本の都会でもない、田舎でもない中途半端な小さな部屋です。

それでもラ・フランスは、少しだけ私の日常を上品にしてくれた気がしました。背伸びと現実の間で揺れながら味わうその甘さが、なんだかとても心地よかったのです。


ラ・フランスは、思っていたよりもずっと人間的で、思っていたよりも身近でした。洗練とは、完璧であることではなく、不揃いなものを丁寧に扱おうとする姿勢なのかもしれません。そんなことを考えながら、果汁の残るフォークを見つめました。






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