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『みんな楽しそう』に見えるSNSで、少し苦しくなる人へ

SNSを開いただけなのに、少しだけ心が重くなる日があります。

誰かの楽しそうな写真。
充実していそうな毎日。
前に進んでいるように見える投稿。

本当は、誰かの幸せを責めたいわけじゃない。
でも、疲れている日ほど、その明るさが少しだけまぶしく感じることがあります。

「みんな楽しそう」
そう見える画面の前で、自分だけが少し取り残されたような気持ちになる。

この記事は、そんな夜に、少しだけ心を休ませるためのメモです。


第1章 何気なく開いたSNSで、心が少し沈む夜

夜、特に何かを見るつもりもなく、スマホを開くことがあります。

仕事が終わって、やっとひと息ついたあと。
お風呂に入る前の少しの時間。
寝る前に、なんとなく画面を触ってしまう時間。

最初は、ただ少しだけ見るつもりだったのに。

友人の楽しそうな投稿。
誰かの旅行の写真。
仕事がうまくいっていそうな報告。
笑顔の集合写真。
きれいに整った部屋。
前向きな言葉。

見ているだけなのに、なぜか胸の奥が少し重くなることがあります。

「いいな」
「みんな充実してるな」
「自分だけ、何も進んでいない気がする」

そんなふうに思ってしまって、スマホを閉じたあとも、心だけが少し置いていかれたような感じになる。

SNSを見ただけなのに疲れてしまうのは、あなたの心が弱いからではありません。

ただ、今日の心に、少しだけ余裕がなかったのかもしれません。


第2章 「みんな楽しそう」に見えると、自分だけ止まっている気がする

SNSの中では、みんな少しだけ楽しそうに見えます。

友達と笑っている人。
新しいことを始めた人。
成果を出している人。
誰かに祝われている人。
毎日をきれいに過ごしているように見える人。

もちろん、その人たちが悪いわけではありません。
誰かの幸せを見て、本当は素直に「よかったね」と思いたい。

でも、自分が疲れている日ほど、誰かの明るさがまぶしく感じることがあります。

「私は何をしているんだろう」
「みんな前に進んでいるのに」
「自分だけ、同じ場所にいる気がする」

そんなふうに、静かに心が比べ始めてしまう。

誰かの楽しそうな姿を見るたびに、自分の毎日が足りないものに見えてしまう日があります。

でも、本当は。
あなたの毎日が足りないわけではありません。

ただ、SNSには「見えやすい幸せ」が並びやすいだけです。


第3章 比べてしまうのは、心が弱いからじゃない

人は、自分のことを知ろうとするとき、どうしても誰かと比べてしまうことがあります。

社会心理学者のレオン・フェスティンガーは、こんな言葉を残しています。

“There exists, in the human organism, a drive to evaluate his opinions and his abilities.”

Leon Festinger, “A Theory of Social Comparison Processes”, Human Relations, 1954

人には、自分の考えや能力を評価したいという欲求がある。

そんな意味の言葉です。

つまり、誰かと自分を比べてしまうことは、とても人間らしい反応でもあります。

比べたくないのに比べてしまう。
気にしないようにしたいのに、気になってしまう。
見ない方がいいと分かっているのに、また見てしまう。

それは、あなたが弱いからではなく、心が自分の立ち位置を確かめようとしているだけなのかもしれません。

ただ、SNSの中での比較は少し難しいところがあります。

相手の投稿には、楽しかった瞬間、うまくいった瞬間、きれいに切り取られた瞬間が並びます。
でも、こちら側は、自分の疲れた日常を全部知っている。

その状態で比べたら、苦しくなるのは自然です。

相手の一番きれいに見える一瞬と、自分の一番疲れている今を比べなくてもいいのです。


第4章 SNSに映っているのは、その人の一部分だけ

SNSに映る人たちは、いつも楽しそうに見えることがあります。

でも、実際にはその人にも、写っていない時間があります。

写真を撮ったあとに、急に疲れたかもしれない。
笑っていたけれど、帰り道はひとりで落ち込んでいたかもしれない。
投稿には書かなかっただけで、うまくいかない日もあったかもしれない。

SNSにあるのは、その人の人生すべてではありません。
ほんの一場面です。

それでも、疲れている日は、その一場面がとても大きく見えてしまう。

「みんな楽しそう」
「みんな幸せそう」
「みんなちゃんとしている」

そう見える画面の外側にも、きっとそれぞれの生活があります。

洗濯物がたまっている日。
返信する気力がない日。
人と会ったあとに、どっと疲れる日。
何もしていないのに、涙が出そうになる日。

SNSに映っていない時間にも、人の本当の生活はあります。

だから、画面の中だけを見て、自分だけが取り残されていると決めなくて大丈夫です。


第5章 少し離れることは、逃げることではない

SNSを見るのがしんどい日は、少し離れてもいいと思います。

誰かを嫌いになったわけじゃない。
応援したくないわけでもない。
自分が冷たい人間になったわけでもない。

ただ、今の心には、少し刺激が強いだけです。

たとえば、疲れている日に大きな音がつらく感じるように。
眩しい光がしんどく感じるように。
誰かの楽しそうな投稿も、心が疲れている日には少し強く感じることがあります。

そんな日は、無理に見なくていい。

通知を切る。
少しだけアプリを閉じる。
寝る前は見ない。
見たあとに苦しくなる相手は、そっと距離を置く。

それは逃げではなく、自分を守るための小さな調整です。

SNSから少し離れることは、人間関係を捨てることではなく、自分の心を休ませることです。

誰かとつながるための場所で、自分の心が削られてしまうなら。
少しだけ距離を置いてもいい。

また見られる日が来たら、そのとき戻ればいいのです。


第6章 今日の自分を、小さく扱わなくていい

SNSを閉じたあと、心がざわざわする日があります。

誰かの楽しそうな写真を見て。
誰かの成功した報告を見て。
誰かのきれいな暮らしを見て。

自分の部屋、自分の今日、自分の生活が、少しだけ小さく見えてしまう日。

でも、画面に映らないあなたの一日にも、ちゃんと意味があります。

朝起きたこと。
仕事や用事をこなしたこと。
誰かに気を使ったこと。
疲れていても、今日を終えようとしていること。
人と比べて落ち込んでも、また自分に戻ろうとしていること。

それは、投稿されなくても、誰かに見られなくても、ちゃんと今日を生きたということです。

SNSに載せられるような一日じゃなくても、あなたの一日はなかったことにはなりません。

「みんな楽しそう」に見える日ほど、少しだけ思い出してほしいです。

画面の中に映っているものが、世界の全部ではないこと。
誰かの明るい一瞬と、自分の静かな夜を比べなくていいこと。
そして、今ここにいる自分を、そんなに小さく扱わなくていいこと。

今日は、SNSを閉じてもいい。
返信しなくてもいい。
誰かの投稿を見て、無理に笑わなくてもいい。

静かな部屋で、あたたかい飲み物を置いて、少し息を吐くだけでもいい。

今日も人と比べながら、それでもちゃんと自分の場所まで帰ってきた。

それだけで、十分な日もあります。


今日も、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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