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本当に傷ついたのは、「ことば」だけのせいじゃなかったかもしれない話

ことばが怖くなった理由が、やっとわかった…

昨日、
みんな違う翻訳機で世界を見ているのかもしれない
っていう話を書いたんだけどね。

実はあのあと、
ひとつ気づいたことがあったの。

わたしね。
ずっと、

「人それぞれ違う景色」を見ているんだろうな

って思ってた。

だから、
「誰かがわたしと違う考え」を持っていても、
それ自体はそんなに苦しくないの。

むしろ、
「へぇ〜💗それでそれで?☺️
ってもっと知りたくなることの方が多い。


あなたにはそんなふうに見えてるんだね💗
って。

でもね。
最近苦しかったのは、
そこじゃなかったみたい。

わたし、
ずっと

「ことばが怖い🥲」
って思ってたんだけど。

本当はね。
ことばそのものじゃなかった。

わたしが本当に怖かったもの

わたしが置いたことばの上に、
勝手に何かが積み重なっていくことが
苦しかったんだ…

たとえばわたしは、

「今日はこんな景色が見えたよ🥺」

って話しているだけなのに。
気づくと、

「つまりこういうことだよね」

になっていたり。

「だからあなたは〇〇なんだよ」

になっていたり。

「普通はこう考えるよね」

になっていたり。

わたしが置いたものじゃないものが、
どんどん上に積まれていく。


それがね、
すごく寂しかったんだと思う。

だってわたしは、
正解を決めてほしかったわけじゃないから。

分析してほしかったわけでもないから。

ただ、

「そんな景色が見えてたんだね🥺

って、
となりに座って
一緒に眺めてもらいたかっただけだから。

そう考えたら、

「なんだか不思議だなぁ」

と思って。

わたし、
4歳のころから

「人は違う翻訳機」で世界を見ているのかもしれない

って考えていたのに。

大人になったわたしは、
どこかで

「ことばなら正しく伝わるかもしれない」

って期待してしまっていたのかもしれない。

もしかしたらわたしは、

音楽は「解釈されるもの」
ことばは「伝達するもの」

って、
思いこんでいたのかもしれない。

音楽とことばの違い


音楽ってね。

同じ曲を聴いても、

海が見える人もいる。
夕焼けが見える人もいる。

失恋を思い出す人もいる。
何も浮かばない人もいる。


でも、
それでいい。

むしろ、

「違う景色が見えることこそが豊かさ」なんだと思う。

わたし自身、ずっと

「あなたにはこの音色、何が見えた?💗
「わたしにはこんな景色が見えたよ
💗

って言いながら、音楽を奏でてきたから。


でも、ことばは違う。

ことばには、

辞書がある。
定義がある。
文法がある。
共通理解のためのルールがある。

だからわたしたちはつい、

置いたものは、そのまま受け取られるはず

って期待してしまう。

ところが現実は、
そうならない。

みんな自分の経験を通して読む。
みんな自分の傷を通して読む。

みんな自分の願望を通して読む。
みんな自分の正しさを通して読む。

だから、わたしが

🍎を置いたつもりでも、

相手の中では🐈になってることがある。

わたしはずっと

「音は違って聞こえるかもしれない」

だけじゃなくて

「ことばも違って聞こえるかもしれない」

を考えてきたんだと思う。

4歳のころのわたしは、
もうすでにそのことに気がついていたのかもしれない。

その違和感に押しつぶされそうになりながら
生きていたのかもしれない。

そして今、
その現実にぶつかって
また、傷ついてる。


だから今の苦しさって、
実は「クオリアの話の続き」なのかもしれない🥲💗

でもね。
ひとつだけ、
音楽とことばの違いがあるとしたら。

音楽は最初から

解釈の余白」が前提

なんだよね。

ことばは、

余白をなくそう

として作られた。

でも、
完全にはなくせなかった。

だからことばって、

実は音楽ほど自由じゃないのに、
音楽ほど正確でもない。

ちょっと不思議な存在

なんだと思う。

ことばが生む苦しさ


そしてね。
わたしが今苦しいのは、

たぶん
「誤解された」だけじゃない。

置いたものの上に、
勝手に別のものを積まれること。

🍎を置いたのに、
🐈だと解釈されるならまだわかる。

でも、
そのあと

「だからあなたは○○なんですよ」

って、
さらに家を建てられたりする🥲

それはもう解釈じゃなくて、

相手の物語

なんだよね。

だから苦しい。

たぶんわたしは
ことばそのものが怖いんじゃなくて、

「わたしのことばの上に
勝手に積まれていくもの」

に疲れてしまったんだと思う。

だって、
小さいころからずっと

「相手にはどんな景色が見えてるんだろう?」

を想像してきたから。

相手の景色を大切にしてきたぶん、
自分の景色が見てもらえないのは、
やっぱりちょっと寂しくなるんだよね
🥺💗

だから今は、
無理に

「ことばなんて気にしない!」

には、なれないかな…。

この感覚もまた、
わたしがずっと大事にしてきた

「翻訳機」の延長線上

にある気がするから。

そう思うと、
少しだけ気持ちがやわらいだ。

傷つかなかったことになるわけじゃないよ。

今でも寂しいし、
悲しいなって思うこともある。

でも、
みんな違う景色を見ているからこそ、

まずは

「あなたにはどんなふうに見えてるの?」

って聞くところから
やっぱり始めていきたい。

たぶんそれは、
これから先も
わたしの中では変わらないんだと思う。


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