『ロングウォーク』デスゲームの始祖が暴く、競争社会の残酷さ【試写鑑賞】[ネタバレ無し]

デスゲームの源流にあった社会批判
歩くという行為は本来ならもっと自由なもののはずだ。どこかへ向かうために歩き、誰かに会うために歩き、帰る場所へ戻るために歩く。けれど、この映画が示す歩くこととは命令であり、見世物になることであり、最後は処刑の形式となってしまう。50人の若者が最後の一人になるまで歩き続けるという筋書きはあまりに簡潔なのに、その簡潔さゆえに社会の残酷な骨組みが白く浮かび上がってくるのだ。本作の原作『死のロングウォーク(スティーブン・キングの別ペンネーム リチャード・バックマン名義)』がのちに無数に生まれるデスゲームものの源流に位置する作品であることにも深く頷ける。派手な殺し合いや複雑なルールではなく、絶対的権力が用意した競争の場に若者を並べ、脱落するまで進ませる——その原型の時点で既にこのジャンルが本来持っていた、社会批判の刃は研ぎ澄まされていたのだ。誰かが特別に邪悪だから世界が壊れているのではない。むしろ、誰もがルールの存在を知り、そのルールが命を削ることを知りながら、それでも競技は開催され、兵士は銃を構え、観客は見つめ、若者たちは道に送り出される。その滑らかな運用こそが恐ろしく見えてくるのだ。

制度とは、誰かの涙を待たずに進むもの
50人の若者が最後の一人になるまで、ただ、歩き続ける姿にこれほど激しく情緒を揺さぶられるとは思わなかった。華々しい戦闘も巧妙なゲーム攻略も、観客を興奮させるような駆け引きも中心には置かれない。あるのは疲労、空腹、眠気、足の痛み、焦り、そして隣を歩く誰かの息遣いだけ。だが、その反復が続けば続くほど、若者たちの一人ひとりが数字や参加者ではなく、名前を持った身体として迫ってくる。誰かが冗談を言う。誰かが家族の話をする。誰かが強がり、誰かが弱音を吐く。その小さな会話の積み重ねがあるからこそ、脱落の瞬間は見世物の死ではなく、途切れた人生として重く落ちる。歩く列は進んでいるのに、こちらの心だけが何度も立ち止まらされる。ひとつの命が失われても大会は止まらない。そのあまりの無情さに、「制度」とは人間の涙など待たずに動き続けるものなのだと突きつけられる。

弱者同士を競わせる社会の寓話
寓話としての鋭さも、この映画を忘れ難いものにしている。困窮した社会で若者たちは自分の意思で競技に参加したように見える。けれど、その「選択」は本当に自由と呼べるものなのか。貧しさがあり、将来への閉塞があり、勝者にだけ報酬が与えられる世界がある。その条件のもとで弱者同士が競い合うよう仕向けられる姿は、現代社会と何が違うのだろうかという虚しさを呼び起こす。生き延びるために他者を追い抜くことが奨励され、誰かの脱落が自分の可能性に変換され、負けた者には努力不足の烙印が押される。私たちはそれを競争と呼び、自己責任と呼び、夢を掴むチャンスと呼ぶ。しかし、その言葉の奥では誰かが歩けなくなるまで歩かされている。『ロングウォーク』は近未来の残酷な競技を描きながら、実のところ今の社会がすでに採用している暴力の形式を少しだけ露骨に見せているだけなのだ。だからこそ、この原作がデスゲームの始祖的な位置にあることは重要だ。ジャンルの核に最初からあったのは殺し合いの快楽ではなく、弱い立場に置かれた者同士を競わせ、それを娯楽や国家的儀式として消費する社会への怒りだったのだ。

制度の上を歩きながら、制度に抗うために
それでも、この映画は絶望だけを差し出す作品にはなっていない。若者たちが互いに言葉を交わし、恐怖の中で相手を気遣い、時に友情に近いものを結んでしまう瞬間があるからだ。競争のシステムに投げ込まれた者たちが、完全には競争の論理へ回収されない。そのかすかな抵抗が美しい。勝つためには他者の脱落を待つしかないはずなのに、彼らはなお隣の誰かを人間として見てしまう。そこに『ロングウォーク』の切実な感動がある。社会は若者たちを消耗品として扱い、貧しさは彼らの背中を押し、国家はその歩行を儀式に変える。それでも、道の上には制度が奪いきれない表情が残る。笑い、震え、沈黙、名前を呼ぶ声。足音がひとつずつ減っていくたびにこの映画は問いかけてくる。私たちは一体誰を歩かせ、誰の脱落を見過ごし、誰の勝利に拍手してきたのか。その問いの重さを抱えたまま、ラストの余韻はしばらく体から抜けない。『ロングウォーク』は歩く映画であると同時に、歩みを止めないことを強要する社会を見つめる映画でもある。だからこそ、静かな足音がいつまでも耳に残るのだろう。
『ロングウォーク』【6月26日(金)公開】
スティーブン・キングが学生時代に書き上げ、1979年にリチャード・バックマン名義で発表した初期長編作『死のロングウォーク』を初映画化。
舞台は、戦争によって分断された近未来のアメリカ。内戦による貧困と閉塞感が広がる社会で人々の希望として国家的競技「ロングウォーク」が開催されている。選ばれた50人の若者たちは巨額の賞金と願いをひとつ叶える権利を得るため、ひたすら歩き続けなければならない。課される条件は、時速4.8キロを下回らないこと。速度が落ちれば警告を受け、3度目の警告で即座に命を奪われる。最後の1人が残るまで休息も睡眠も許されない。
参加者を演じるのは『リコリス・ピザ』のクーパー・ホフマン、『エイリアン ロムルス』のデビッド・ジョンソン。競技を統率する少佐役には『スター・ウォーズ』シリーズのマーク・ハミルが扮する。監督は『ハンガー・ゲーム』シリーズのフランシス・ローレンス、脚本は『ストレンジ・ダーリン』のJ・T・モルナー。デスゲームの源流とも言える原作を、現代的な社会寓話として映像化した一作。
【原題】The Long Walk【原作】スティーブン・キング『死のロングウォーク』【製作年】2025年【製作国】アメリカ【配給】クロックワークス【上映時間】108分
