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『エミリア・ペレス』映画感想文

オーディアールは自身が得意とする犯罪映画から愛と贖罪の壮大の叙事詩を大胆かつ自由な表現で描こうとしているが、その実態は自由とは対極のように凝り固まっており、肝要な部分が抜け落ちていた


外側(見せ方)はジャンル横断で広いのに、肝心の内側は画一的で狭い?ビンゴ

犯罪映画を得意とするフランスの名匠ジャック・オーディアールが尖った演出で独創的(ユニーク)かつチャレンジングなジャンルミックス作品を作り上げた(なんせ本作の前の作品は『パリ13区』だから!!)。ただ、本作の内容はチャレンジングやリスクテイカーと形容するには、あまりに観光客的な外部からの視点(固定観念の押し付け)が強かった気がした。そもそも「変身=贖罪」も安易。
第一に、カルテルのボスがそこまでするだろうか?次に、被害者心情は(それを果たして受け入れられるのか)?現状の内容ではその辺りに無理があったり、そっちのけにされていたりする印象が強いので、この題材をこういう内容で描くのであれば、その辺りをもっと納得できるように注力して描くべきだったろう。例えば、「エミリアが(麻薬カルテルのボスであった)マニタスと同一人物である」ということが作中でバレて、それをどうするか等。ただ、それはオーディアールが描きたかった内容(トランスジェンダーの恋や結婚、家族etc.)とは違うのだろうが。
創作上の不都合な要素に目をつむり・フタをして、現実という物事を単純化してしまっている。そうした不都合な部分こそ、肝心なのに!残酷な現実を省略してしまっていて、そこに対する掘り下げがまるで足りない。最後に英雄譚みたいな着地をするメロドラマとしても、残酷な現実からあまりに乖離しているように思えた。ゆえに映画的なカタルシスもそこにあまり感じられなかった。映画として、時に現実と反する希望を込めて描くこと自体にはなんら問題はないけど、本作においてはその描き方に問題があったと言わざるを得ないかもしれない。
謎めいた依頼人の話を聞くことは、承諾(を意味する)。メキシコの行方不明者は数万人に上る。見過ごせない、彼らの役に立ちたい。…という(本編中では描かれない罪と)「贖罪」の物語。ただ、ゾーイ・サルダナをはじめとするキャストはよかった。ゾーイ・サルダナとセレーナ・ゴメスの国籍を確認してしまった。


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