林浩治「在日朝鮮人作家列伝」10 張赫宙と金史良(その9)
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張赫宙と金史良──在日朝鮮人文学の嚆矢(その9)
9 内鮮一体と張赫宙
1936年に第8代朝鮮総督に就任した南次郎は、「内鮮一体」をスローガンに内鮮融和運動を進めた。朝鮮を「大陸兵站基地」とするために、朝鮮人の戦争協力、皇民化を進めようとする意図だった。「一視同仁」が謳われ、のちには陸軍特別志願兵制度創設によって朝鮮人日本兵が採用されるようになっていく。
1937年夏、張赫宙は下宿主人の親戚だった野口はな子(通称桂子)と親しくなりのちに結婚した。先に書いたように、張赫宙は早婚していて本妻が別にあった。
1938年、張赫宙作の戯曲「春香伝」が村山知義演出で新協劇団によって巡回公演された。朝鮮公演には金史良も同行した。
1939年4月に歴史小説『加藤清正』を改造社から出版。6月にはペン部隊員として満州などを視察旅行した。
ペン部隊は文学者が従軍して、見聞記を日本軍に都合良く書いて発表する役割を負っている。後の日本文学報国会につながる。
翌年には、『朝鮮文学選集』全3巻(赤塚書房)の編集を、兪鎭午(ユジノ)、村山知義、秋田雨雀とともに担った。

(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1686683)
1941年、太平洋戦争が始まると、朝鮮人の皇民化、日本兵隊化を意図する「内鮮一体」化政策が強化されていった。金史良が予防拘禁されたことは先に書いた。
張赫宙はそれ以後『人間の絆』(1941年 河出書房)、『和戦何れも辞せず』(1942年 大観堂)、『わが風土記』(1942年 赤塚書房)などを続々と出版した。
金史良の戦前の単著出版は『光の中に』(1940年12月)、『故郷』(1942年4月)の2冊のみだ。
1942年5月、日本文藝家協会などの文学団体が改組され、日本文学報国会が、「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実践に協力する」ことを目的とした社団法人として発足している。
朝鮮では文筆報告の名の下に朝鮮文人協会が、李光洙や兪鎭午らによって結成されたが、日本で出世した張赫宙は彼らとは立場が違った。「半島出身の日本文学者」として、日本文学報国会会員となり、皇道朝鮮研究委員会に属したのだった。
1943年4月、朝鮮陸軍特別志願兵訓練所に体験入所し、8月に大東亜文学者大会に参加、9月には満州へ視察旅行しているが、実母の訃報を聞き葬儀に参列するため慶州へ赴くなど忙しい。

「この画像にはアメリカ中央情報局のワールド・ファクトブックに由来する情報が
含まれているため、パブリックドメインの状態にあります。」
『毎日新聞』8月~9月にかけて「岩本志願兵」を連載、朝鮮においても「巡礼」と改題して『毎日新報』に転載された。「岩本志願兵」は、岩本という青年が陸軍に志願することで皇民化しようとするが内心「内鮮一体」を信じられない。ところが埼玉県の高麗神社を参拝したとき、地域の住民が朝鮮からの渡来民だと知り、自己の皇民化を確信するにいたるという、時局の要請に応じた皇民化小説だった。

この小説は翌年1月、京城の興亜文化出版から『岩本志願兵』として出版された短篇集に収録された。奥付に「著者 野口稔(張赫宙)」としている。奥付だけだが、「野口稔」を使用したのはこれが最初で最後だった。
この頃は、日本国内でも各地の炭鉱を慰問訪問するなど多忙だった。
1945年5月、満州などを視察中の25日に空襲で東京の家を全焼する。妻子は疎開していて無事だった。日本の敗戦は妻子とともに長野県で迎えた。
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◆参考資料
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
著書に『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)。『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)は、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
