林浩治「在日朝鮮人作家列伝」09 李良枝(イ・ヤンジ)(その3)
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*ヘッダー写真:京都四条河原交差点、1976年(撮影:Gohachiyasu1214さん/CC 表示-継承 4.0)詳しくは文末に
李良枝──言語以前の言語を求めて疾走した在日二世女性作家(その3)
3.京都の高校に通う
結局、母の知人の紹介で京都の修学旅行専門旅館に住み込みで働くことになった。
給料はわずかで日曜も休めない下働きだったが、高校に通わせてもらえる約束だった。翌1973年、1年遅れて地元の高校の編入試験を受けて、京都府立鴨沂高校三年に編入した。沢田研二の母校だった。
鴨沂高校への通学に市電に乗ったが、ある朝、朝鮮高校の女生徒たちと出くわす。彼女たちはチマチョゴリの制服姿で朝鮮語を喋っていた。李良枝の家では父母が喧嘩したときに思わず出てしまう言葉だった。それは李良枝にとって嫌悪すべきものだった。ところが女性徒たちは堂々と大きな声で朝鮮語で喋っていた。良枝は驚いた。
鴨沂高校は制服がなく、上履きも不要で、生徒の自主性を考えた独自のカリキュラムがしかれたリベラルな校風だった。
殊に日朝の近現代史を語る日本史の片岡秀計先生との出会いは、李良枝の民族意識を目覚めさせた。日本史の授業で一年間のテーマを「朝鮮」にしぼってレポートを書くことに決め、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』を読んだ。
その夏、1年半ぶりに休みをもらって田舎に帰りくつろいだあと、東京に出て高文研を訪ねた。高文研は、その頃『月刊・考える高校生』という新聞で高校生たちに社会問題を提起していた。
李良枝は「わたしは朝鮮人」という手記を書き、のちに高文研から出版された『青空に叫びたい』に掲載されている。

高校生文化研究会(編集・発行)、写真: 英伸三
高文研を訪ねた李良枝はその足で八王子市役所を訪ねて、金達寿『日本の中の朝鮮文化』に書かれてある武蔵野地域を廻りたいと言うと、職員が車で一帯を案内してくれた。
京都に帰った李良枝は、朴慶植の『日本帝国主義の朝鮮支配』を参考に二学期のレポートを書いた。
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*ヘッダー写真:京都四条河原交差点、1976年(撮影:Gohachiyasu1214さん/CC 表示-継承 4.0/ファイル:Kyoto City Tram-14.jpg(2019年5月1日、撮影者によりアップロード/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E9%9B%BB#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kyoto_City_Tram-14.jpg)
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◆参考文献
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
