野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第6話 渡辺崋山(8)
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天保10(1839)年5月14日、常陸国無量寿寺の住職順宜(1790-1867)、順道(1812?-39)の父子が、無人島(小笠原諸島)への渡航計画のかどでとらえられた。
順宜は、林子平(1738-93)が朝鮮、琉球、蝦夷の近辺の島々について挿絵入りで解説した『三国通覧図説』(1785)を通じて、小笠原に関する知識を得ていたようである。その蔵書には、太平洋を漂流して帰還した尾張の船頭重吉(1785-1853)による口述筆記『船長日記』(1812)も含まれていた。

順宜の心づもりは、いずれ公儀の許可を得て仲間たちと無人島に渡り、農耕や詩作や議論をする共同体をつくろうというほどのものだったが、この夢のような構想を、順宜父子とはおそらく一面識もなかった崋山らと強引に結びつけたのは、鳥居耀蔵である。
鳥居は、「夢物語」の作者探索を口実に、崋山の調査を配下の小笠原貢蔵(1789-1845)に命じた。順宜らの無人島渡航計画は、幕府批判の意図をふくむものであり、この計画に「夢物語」の作者崋山やその一党が関与している。この壮大なでっちあげの構図を、崋山とも面識があり、渡航計画に加わっていた蘭学者の花井虎一に小笠原が圧力をかけて得た情報をもとに描き出した鳥居は、さらに潤色を加え、花井による密訴に基づくというそれらしい体裁まで整えながら、崋山らへの数々の容疑を並びたてた告発状を水野に上申した。
潤色は、崋山が実は米国密航を企てているとか、大塩平八郎と通じ合っていたといったものだった。順宜父子がとらえられたのと同じ日、崋山は北町奉行所に召喚され、無人島渡航計画のメンバーの一人として伝馬町の獄に入れられた。

渡辺崋山画「獄庭素描」重要文化財 田原市博物館蔵★
(渡辺崋山 著『崋山全集』第1巻,崋山会,1911.より
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991621)
この報を受けて、三日後の17日、崋山の実直な協力者で繊細なところのあった小関三英が自殺。
翌18日、当局の意図を察知して行方をくらましていた「夢物語」の実作者高野長英が自首した(蛮社の獄)。

(パブリックドメイン/ファイル:Takano Tyouei.jpg)
北町奉行大草高好(?-1840)による取調べを通して、無人島渡航計画との関わりについても、大塩平八郎との関係についても、崋山への告発は事実無根であることが明らかになった。
だが、幕府は威信を保つために嫌疑の方向を幕府批判の有無に切りかえて、崋山を再吟味する。その際、崋山の自宅から押収されていた未成稿の「慎機論」や、江川の依頼で執筆しながら江川に送らずにいた「西洋事情書」初稿がとくに問題視された。
どちらにも、激しい幕政批判が記されていたのである。
7月24日、ついに崋山は、有罪を認める口書(供述書)に署名せざるをえない状況に追いこまれた。
この口書の終段には「公儀を憚らず、不敬の至り」「別して不届」という表現が用いられていた。これは、極刑を覚悟しなければならないことを意味していた。

渡辺崋山画「獄庭素描」重要文化財 田原市博物館蔵★
(渡辺崋山 著『崋山全集』第1巻,崋山会,1911.より
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991621 )
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■参考文献
■著者プロフィール
野口良平 のぐち・りょうへい
思想史家、文筆家。
著書に『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2009年、第一八回橋本峰雄賞受賞)、『幕末的思考』(みすず書房、2017年)、最新刊に『列島哲学史』(みすず書房、2025年)がある。
訳書にルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ 米国一〇〇年の精神史』(共訳、みすず書房、2011年)、マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』(みすず書房、2019年)。
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(けいこう舎編集部)
