野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第4話 真葛の文体を培ったもの――真葛落穂拾い(6)
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6 「キリシタン考」と呼ばれてきた一篇
真葛には、その読者たちにとって一つの「謎」でありつづけている短い文章がある。自筆で記された、成立年の記載のない1400字足らずの短い論考の原稿。表紙には、
異国より邪法ひそかに渡 年経て諸人に渡
年経て諸人に及ひし考
日本は正直国也 年増に人
の心正直ならす成しは邪法の
わざなり
の5行が表題代わりに記されている。1936(昭和11)年に真葛伝を世に問うた中山栄子が「キリシタン考」の名で紹介して以来、その名で呼ばれることが多い。意味のとりづらい箇所がすくなくないが、大意の要約を試みてみる。
《儒教と仏教の教えに違いはあるが、大きくいえば、人を善に導く法であることに変わりはない。ところがここに、いつの間にか異国から渡来した、日本を盗み取ろうとする邪法がある。この邪法にかかっては、儒仏を信じる正直者は嘲笑され、追いやられるばかりである。自分のためだけを思って誠なく、法をおかして我意を張る。これが異国渡りの邪法の流儀なのだと考えておくと、はっきりする。
悪法がひそかにこの正直国に渡り、下々の人びとから導き、それがしだいに諸国に広がって、価値観の大混乱を招こうとしている。もしいかに戒めても日本心に帰らない者は、船につんで、西の海にさらりと沈め、厄払いすべきだ。オランダは西からくる。悪魔を日本に入れたのは、このオランダである。これを西の海に払えば、日本の悪人は尽きて、国は清まるだろう。》
関民子は、本文に馬琴の「独考論」の影響がうかがえる点をふまえて、『独考』以後の執筆ではないかという推定をのべている。
そして、儒教批判という真葛本来の主張が撤回されたかにみえる点、またかつての真葛であれば考えられないような――父平助のもとに集まる蘭学者たちを真葛はよく見知っていた――オランダに対する排撃的な姿勢をとらえて、馬琴の威圧的な批判に衝撃をうけ、真葛が自分を見失ったとでも考えないと、この一文の内容は理解できないと考える。
だが、真葛が馬琴の批判に衝撃を受け、自分を見失って書いた文だという理解は、本当にそれでよいのだろうか。

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※ヘッダー図:中山栄子『只野真葛』私家版、昭和11年、表紙内側
(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1256225 )
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◆参考文献
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(編集人)
