林浩治「在日朝鮮人作家列伝」10 張赫宙と金史良(その4)
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張赫宙と金史良──在日朝鮮人文学の嚆矢(その4)
4. 張赫宙「餓鬼道」で日本文壇にデビュー
張赫宙は1920年頃、若くして結婚している。朝鮮では若い男性が年上の女性を娶る早婚制の慣習が残っていた。
1921年、一旦キリスト教系の私立学校に席をおき英語などを学んだが、半年余りで退学して官立大邱高等普通学校に入学した。この年父が信者であったため恩重少年も洗礼を受けている。またアナキズムの流行にも乗って団体の活動に参加していた。長髪にルパーシュカを着て桜のステッキを持って歩く姿は町の名物になっていた。
その後、山村で小学校の教員をしながら朝鮮語で小説を書き投稿を続けたが採用されなかった。
加藤一夫が主宰する雑誌『大地に立つ』(1930年10月)に最初の日本語小説「白楊木」を発表した。佳作である。加藤一夫は農本主義的アナキストで、1923年の関東大震災時には一旦収監され、東京からの所離れを通達されている。『大地に立つ』は加藤が東洋思想、農村問題、農民文学に力を入れて発刊した雑誌で、張赫宙の他、鄭秋江、金小岡などの朝鮮人と思われる作者名が見られる。
1931年、満州事変が勃発し15年に渡る日中戦争が始まった。
張赫宙の名が文壇で知られるようになるのは、『改造』の懸賞小説に「餓鬼道」が入選し1932年4月号に掲載されてからだ。これを機に保高徳蔵ら日本の文壇人と知り合う。一方、金龍済ら日本プロレタリア作家同盟の関係者とも親しくなり、ナップ(全日本無産者芸術連盟)中央委員だった大宅壮一とともに、日本プロレタリア作家同盟の中央委員長だった江口渙宅を訪ねるが加入はしなかった。
「餓鬼道」は、干魃で苦しんでいる農民達が貯水池工事に駆り出されるが、まともに食べていないので労力が上がらず、低賃金に加え鞭で打たれる暴力に晒されている。自然発生的な抗議運動が起こる。「×××」という表記の伏せ字が多く読みづらい。
また、朝鮮語読みにカタカナのルビが、地名、人名ばかりか会話文などにも振られている。日本人読者や批評家の批判の的になりかねないこうした方法には、作者の民族意識の高さが窺える。
次に発表した「追はれる人々」(『改造』1932年10月)では、地主や東洋拓殖会社の弾圧で土地を追われる朝鮮の農民像を描いている。朝鮮の農民が去ったあとには日本人農民が入ってきた。「追はれる人々」はエスペラント語をはじめ、中国語、チェコ語、ポーランド語に翻訳されている。
張赫宙は「餓鬼道」をはじめとして「迫田農場」「追はれる人々」「兄の脚を截る男」「奮い起つ者」など、朝鮮の虐げられた農民像を描いたプロレタリア文学の系譜に連なる作品を描いていったが、日本の読者に朝鮮民衆の現実を訴えようという意識が高かった。
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◆参考資料
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
著書に『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)。『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)は、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
