林浩治「在日朝鮮人作家列伝」10 張赫宙と金史良(その1)
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張赫宙と金史良──在日朝鮮人文学の嚆矢(その1)
戦後に在日朝鮮人作家たちが活躍する以前から、多くの朝鮮人作家たちが日本語で書いていたし、書かされていた。その中で、日本文壇に本格参入し戦後の在日朝鮮人作家たちに直結した朝鮮人作家と言えば、張赫宙と金史良だったと言える。
二人は在日朝鮮人作家の嚆矢であると同時に、闇と光のように言われがちである。日本に迎合した「親日」作家と、抵抗して日本からの脱出を図った作家だったからだ。
しかし、そう単純ではない。林鍾國の『親日文学論』(高麗書林 1976年12月)には両者とも「親日作家」として論じられている。
1. 張赫宙の生い立ち
張赫宙は1905年10月13日に生まれた。本名を張恩重(장은중)といった。しかし両親に関しては不明な点が多い。
経済的には恵まれていたとは言え、複雑で薄幸な環境に生まれ育ったようだ。実母の詳細は明らかでないが慶州出身の女性で水商売をやっていたかと思われる。
張赫宙は自伝的小説を複数書いていて、妾腹の子だった可能性が高いが張赫宙本人は否定している。
幼少期、母に連れられて朝鮮慶尚道を転々として、実母と別れてからの地主の子として育った。
張赫宙研究の第一人者である白川豊は〈出自に関する暗い闇と、満たされない愛情に対する苛立ちが作品にも見え隠れする〉と書いている。

(ファイル:Gyeongsang Province of Late Joseon Dynasty.png
CC 表示 4.0(作成者:고려)の地図を土台に作成しました)
1910年8月に「日韓併合に関する条約」が調印され、以後35年に渡って朝鮮は日本の植民地として支配され、日本語が強制されるなど民族文化の破壊が進められた。
張赫宙はまさに時代の子として苦難の人生を歩むことになる。
張赫宙は1913年に慶州の鶏林普通学校に入学した。8歳で日本語を学びはじめ、14、5歳のときには立派な綴り方を書いていたと言う。
この普通学校の校長大坂六村(大坂金太郎)の影響を受け、1919年には大坂の設立した簡易農業学校に進学した。大坂の指導で考古学を学び、慶州の遺跡を巡った。大坂金太郎は『慶州は母の呼び声』の作者森崎和江の師でもあった。

自伝的小説『嵐の詩』では、自身を模した主人公の従兄が憲兵を務めていた。実質的に朝鮮を支配した朝鮮総督府には憲兵警察制度があり、軍事警察の憲兵が絶大な権力を振るった。
幼少期の張赫宙は比較的裕福で、また日本の支配機構にも近かったと思われる。
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◆参考資料
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
著書に『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)。『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)は、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
