「空の写真」が私の命を繋いでくれた
この記事には、私が中学校時代に経験した壮絶ないじめなどについて書いています。そういった内容が苦手な方は、どうか無理をなさらず、ご自身の心を一番に大切にしてください。
絶望の淵にいた私が、写真と出会い、今をどうやって生き抜いているかという「光」に向かう再生の記録です。
これは実際に私の身に起きた話です。
もし今、暗闇の中にいる誰かの心に届くことを願って、書きたいと思います。(長文になりますので、その点はご容赦ください。)
中学校の頃、私の世界には「光」がひとつもありませんでした。
小学校のときに両親が離婚し、その後の転居にともなって、誰も私を知らない新しい土地の中学校へ進学しました。
人見知りで奥手だった私は、自分から関わりを持つことが苦手で教室の隅でいつも1人で本を読んで過ごしていました。
「薬剤師になりたい」
小学校のときはお勉強も比較的できた方だった(自称……笑)私は、12歳ながらに家計の苦しさを察し、だからこそ一生懸命勉強して、いつか立派になって母を支えたいと心に誓っていました。
そんな私のささやかな希望は、新学期が始まって数日後、クラスの男子からの冷酷な一言で、文字通り粉々に打ち砕かれました。
「お前暗いんだよ。教室にいたら葬式になるから、出ていけ」 周りの生徒たちは、誰も助けてくれませんでした。
それどころか、楽しそうにクスクスと笑っていました。
あの瞬間の、教室全体の冷たい空気と笑い声を、私は今でも忘れることができません。
そこからは、思い出すのも息が詰まるほどの地獄の日々でした。
休み時間のたびに教室から追い出され、廊下で読書をしていました。
そんなある日、私の上靴がなくなりました。(そうなるだろうと覚悟はしていた)
お金がない母を困らせたくなくて、「新しいのを買って」と言えなかった私は、しばらく冷たい床を靴下だけの足で歩き続けました。
ある日体育の授業から戻ると、私の教科書がカッターでズタズタに切り裂かれ、ゴミ箱に捨てられていました。
誰がやったかは分かっていました。震える足で先生に相談しました。
けれど先生は、ホームルームで「みんな、人に優しくしようね」と、名前も出さずに綺麗事を言っただけでした。
大人のその事なかれ主義が、私をさらに地獄の奥底へと突き落としました。
「チクったら○すからな」
その日を境に直接的な暴力が始まりました。
また、お金を要求され、持っていなければ殴られました。
いつ本当に命を奪われるかもしれないという底知れない恐怖の中で、13歳の私は、誰にも言えない秘密をたった1人で背負い込むしかありませんでした。
あるときは万引きを強要され、警察に捕まったときも、母を巻き込みたくなくて「おやつが食べたかったから自分でやりました」と嘘をつきました。
母にこっぴどく叱られ、部屋で一人、声を上げて泣きました。
本当のことは、口が裂けても言えませんでした。
カバンを切られ、教科書を捨てられ、学校に行っても「おまえは忘れ物が多い」と先生に叱られました。隣の生徒に見せてもらうということもできず、だけどノートだけは取っていました。
周りの生徒たちの「チクるなよ」という冷たい視線に射すくめられ、言い訳すらできませんでした。
そんな状態がさらに続き、3年生になりました。 いじめはさらにエスカレートしていき、あんなに大好きだった勉強も、もうどうでもよくなっていました。心の中はいつも真っ黒で、「死んでしまいたい」とばかり考えるようになっていました。
夜中に家を抜け出して、近所の公園で、声が枯れるまで泣いた。
飛び降りるか、手首を切るか、そんなことばかりが頭を巡っていました。
そんなある日、私はいつものようにトイレに呼び出され、「お金を出せ」と脅されました。持っていないからと断ると、数人の加害者たちから一斉に激しい暴力を受けました。激痛の中で突き飛ばされた私は頭を強く打ちつけて、流血しましたが、バレてはいけないと思い、トイレで止血をして家に帰りました。母親に見つかりどうしたの?と聞かれました。
最初は何一つ親には言いませんでした。
けれど、嘘もつけず、同級生に暴力を受けたことを正直に伝えました。
その後頭を打っていたため病院に行きました。
母は学校で酷いいじめに遭っているという事実に、はじめて気づいたようでした。
その後母から学校に連絡をしました。内容は詳しくわかりませんが必死に訴えてくれたと思います。
その後、私を突き飛ばした生徒が、両親を連れて家に謝罪にやってきました。 しかし、向こうの親はどこか迷惑そうで、笑っているように見えました。 「間違ってやったみたいで、ごめんなさいね」 そう言って、息子に「ほら、あんたも謝りなさい」と促し、お菓子を置いて帰っていきました。
我が子が病院に運ばれるほどの目に遭わされたのに、そんな風に軽んじられてしまう不条理。
私は、ただただ申し訳なくて、母親に「ごめんね」と伝えました。
母も、言葉にならないような、本当に悲しそうな顔をしていました。
親にもバレてしまった。これ以上隠し通すこともできない。
「こんなに苦しいのなら、もう本当に死のう」私は静かに、けれど固く決意しました。 心配そうにこちらを見つめる親には、これ以上悲しませたくなくて、「心配いらないよ」と無理をして笑って答えました。
その笑顔の裏で、私の心は完全に決まっていました。
そこから、実際に2度、自ら命を絶とうと行動に及んでしまいました。
1度目は首を吊ろうとして失敗し、2度目は手首を切ろうとしましたが、あまりの恐怖に手が震えてどうしてもできなかったのです。
生きることも、死ぬこともできませんでした。
生きていても地獄、死ぬのも怖い。どこにも行き場のない暗闇の真ん中で、私はただ、息を止めるようにして立ち尽くしていました。
そんな私を、この世界に繋ぎ止めてくれたのが「空の写真」でした。
誰も話しかけてくれない放課後、一人で静かに空を見上げて、カメラを構えました。
刻々と表情を変える夕暮れのグラデーション、雲の隙間から差し込む一筋の光。きれいな青空、言葉を持たない空だけは、傷だらけの私を拒絶せず、ただそこにいていいんだよと、優しく包み込んでくれている気がしました。

修学旅行のことも、鮮明に覚えています。
本当は行きたくなんてありませんでした。けれど、母に余計な心配をかけたくなくて、私は行くことを選びました。
グループ行動は地獄そのものでした。
私と一緒に移動するといじめの標的にされるからと、誰も同じ班になってくれません。見かねた先生が無理やり私をある班に押し込みました。
旅行中、私は誰とも一言も話せないまま、ただ前の人の背中を必死に追いかけて歩きました。楽しい思い出なんて、1ミリもありませんでした。
けれど、その絶望の修学旅行の中で、私の心を震わせた景色がありました。 「奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)」です。 清らかな水の流れ、青々とした苔、木漏れ日。大自然の圧倒的な美しさに感動しました。
当時、友達がいなかった私の唯一の友だちがカメラだったのです。
3年生の中頃になり、周囲が受験モードになっていじめは落ち着きましたが、私の心は荒みきっていました。
「高校なんて行かずに働こう」そう投げやりになっていた私の背中を、母の「高校だけは行きなさい」という言葉が優しく押してくれました。
自分の学力に合う高校を選び、私は進学しました。
そこから、私の人生に信じられないような「光」が差し込み始めました。
環境が変わった高校生活は、毎日が信じられないほど楽しかったです。
写真部に入り、大好きな写真を心の底から楽しむことができました。
そして何より、私と一緒に笑い、私を認めてくれる「友達」ができたのです。
それまでずっと友達がいなくて、いつだって一人きりだった私にとって、「誰かと一緒に写真を撮りに行ける」ということ自体が、まるで夢のような奇跡でした。
夕暮れの部室で、仲間たちと他愛のない話で笑い合っているとき、胸の奥から熱いものが込み上げてきました。
「ああ、本当に、あの時死ななくてよかった」
生きていてよかった。
生きていれば、こんなに温かい世界に出会えるんだ。
世界が輝いて見えました。
遅れてしまった勉強も、必死になって取り戻しました。

いじめによって「薬剤師」という幼い頃の夢は、学力と学費の両面で諦めざるを得ませんでした。
中学3年間、大好きな勉強を奪われたことは、今でも悔やまれます。
「もしあのまま勉強を続けられていたら、薬剤師になれていたのかな」と、大人になった今でもふと思い出すことがあります。
けれど、その奪われた経験があったからこそ、私の胸には新しい、消えない炎が灯っていました。 「自分と同じように、大人の不条理や孤独に泣いている子どもを、一人でも減らしたい」
私は、誰かを救うために福祉の道へ進むことを決めました。
現在は形を変えて、障がいのある方々をサポートする仕事に就いていますが、私の根底にある想いは1ミリも変わっていません。
「困っている人の力になりたい」その一念で必死に走り続けてきた結果、かつて誰一人として味方がいなかった私は、今、福祉の世界でしっかりと自分の足で立ち、生きていくことができています。
そして、あの頃私の命を繋ぎ止めてくれた大好きな写真も、趣味として今もずっと大切に、私の隣にあり続けています。

だからこそ、今、あの頃の私と同じように、学校や社会の暗闇の中で息を潜め、「消えてしまいたい」と泣いているあなたに、どうしても伝えたいのです。
世界は、今あなたがいるその狭い箱だけじゃない。どうか、諦めずに手を伸ばしてほしい。いじめられても、裏切られても、人はこんな風に自分の人生を切り拓いて、生きていけるんだよ、と。
私をいじめた人たちは、私のことなんてとっくに忘れて、今頃どこかで幸せに暮らしているのかもしれない。
いじめられた側の傷は、一生消えることはありません。
ふとした瞬間に、あの恐怖が蘇ることだってあります。
でも、私はもう、彼らを恨んではいません。もちろん担任も。
なぜなら、あの過酷な経験があったからこそ、私は人の痛みが痛いほどわかる人間になれた。
困っている人に心から寄り添い、誰かを支える、この福祉の仕事に巡り合えたからです。
この心の境地だけは、人を傷つけることでしか自分を保てなかった、いじめていた側の人間には、一生かかっても決したどり着けない、私だけの輝かしい勝利の証です。
振り返れば、私は本当に運が良いのだと思います。
地獄のような日々もありましたが、大人になってからは、特に周りの人たちに恵まれ、たくさんの温かい人たちに救われて、今日まで生きてくることができました。
あの頃、誰一人として味方がいなかった私に、手を差し伸べ、支えてくれたすべての人への感謝は、言葉では言い尽くせません。
あの時、絶望の淵で見上げていた空の優しさと、1人で静かに見つめていた奥入瀬のきらめきは、今も私の写真の中に、そして私の生き方の中に生き続けています。
私の歩んだこの不屈の物語と、私の切り取る写真が、今度は、今も暗闇にいる誰かの心を照らす、一筋の「光」になれることを信じて。
☕️あとがき
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
実は、このいじめや自殺未遂の話は、これまで家族にも、友人にも、誰にも一度も話したことがありませんでした。
ずっと私だけの胸の奥深くに仕舞い込んで、鍵をかけていた過去です。
ですが、Noteでみなさんが自分の人生や想いをありのままに発信されている記事を読んでいるうちに、「私も、この過去を隠さずに出してもいいのではないか」「今なら、あの頃の私を救ってくれた空や自然の美しさを、誰かのために語れるのではないか」と考えられるようになりました。
文字にして外に出してみたら、当時の私自身も少し救われたような気がしています。
さて!すっかり暗い空気にしてしまいましたが、今の私はいたって元気で、優しい人たちに囲まれ、毎日をとても楽しんでいます!
中学時代にあれほど勉強を奪われた反動からか、大人になってからの学びが楽しくて仕方ありません。「もともとの学力が低かった可能性」も大いにありますが(笑)、あの頃を取り戻すように、今も日々新しいことにワクワクしながら挑戦しています。
ちなみに、私は「INFJ」ですが、人の痛みや空気に人一倍敏感なのは、間違いなくこの中学時代が原因ですね(笑)。
大好きな写真の趣味も、今では私の人生に欠かせない最高の相棒です。
天気の良い日にカメラを持って出かけ、ファインダー越しに美しい景色を見つけるたびに、生きている喜びを噛み締めています。

人生、どんなに深い闇の中にいても、どこかで必ず新しい光や、自分だけの「大好き」に出会える瞬間が訪れます。
読んでくださったあなたの明日が、青空のように澄み渡った、優しい光で満たされますように。
また私の撮った写真たちも、アップしたいと思います。
それでは、また。

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