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夫に対する「 なんかズルい 」の正体

辻希美&杉浦太陽夫妻が『 しゃべくり007 』で語っていた離婚騒動を見て感じたことがある。それは「 なんか、ズルい 」という感覚だ。

収録の内容を話すとちりつもで夫婦喧嘩になって杉浦太陽は「離婚だ」と家を出た。日曜日朝7時。辻ちゃんがその後も1人で子ども5人との日常を送る間、杉浦太陽は親友を尋ねて、話を聞いてもらったという。結局、仲直りをしたそうだが、辻ちゃんがすぐに仲直りムードにはなれなかったと発言をしていた。

こういっちゃなんだか、令和のおしどり夫婦と呼ばれる人たちでも「 こうなのか… 」と安心したような、ショックのような……。きっと私以外にも同じように感じた人もいるだろう。

辻ちゃん夫婦の詳しい話はTverなどで観てもらうことにして。

私は夫婦間にある「 なんか、ズルい 」の感覚について紐解いておこうと思う。

「 なんか、ズルい 」という感覚はどこから生まれるのか。

辻ちゃん一家の騒動を例にすると夫には逃げ場があった。ひとり出ていき、子どもや日常から離れ、冷静に物事を考える余裕を得て、スッキリしたはずだ。謝る心の準備もできたと思う。子育ての責任を一瞬手放すことができたわけだ。我が家の場合、夫はこの余白を自由自在に作り出すことができていた。すなわち、自分が好きなときに出かけ、飲みに行ける状態。

しかし、妻である辻ちゃんはどうだろう?子育てと家事という日常をひとりで引き受けていた訳で、ゆっくり考える時間も謝罪するか否かを思案する時間もおそらくなかった。責任を一瞬たりとも手放すことのできない状態だ。私も同じように、子どもが10歳くらいになるまで1人で飲みに行くことなど、ほぼなかった。

この不平等が「 なんか、ズルい 」を産む。

さらに私がもっと嫌だったのが、この不平等に悶々とし、少しでもイライラすると夫が「 ママ、イライラしている 」と言うことだった。夫からすれば、俺だって仕事頑張ってるじゃないかということでもあったんだろう。でもそれなら、私だって家事と仕事をしていたわけで…。

そら「 なんか、ズルい 」がなくなるわけがない。

問題の大元は、自覚なく子育ての責任をまるっとこちら側に押し付けていることにある。しかし、これ面白いもので本人はまるで気がついていなかったらしい。18年間何度伝えても、理解してもらえず、とうとう離婚騒動になってはじめて夫は理解をしたと思われる。

「 離婚 」という現実がチラついて始めて育児の当事者意識が生まれたわけ。遅い、遅すぎる。意図はなくともそれくらい他人事、だったわけだ。

実はこの「 なんか、ズルい 」が生むのは、「 家事 」と「  育児 」を一緒くたにしてしまう感覚、価値観、そして構造にある。

外での「 仕事 」と、家の中の「 家事 」。これは生活を維持するための労働という意味では横に並べることができる。だから比較し、分担すればいい。だが「 育児 」は違う。育児は家事の延長ではなく、親である二人がともに当事者として背負うべき一大事業だ。

夫(そして昔の社会)は、育児を「 妻の家事(領分) 」の一部として一括りにしているからこそ、「 仕事をしている自分が育児を手伝ってやっている 」というサポーターのスタンスになってしまうのではないか。

この勘違いこそが、夫婦間に消えない理不尽と「 ズルさ 」を生み出し続けている正体なのだ。

私は家事育児仕事を1人でなんとかしなければと肩をぶん回していた。その結果、なんとかなってしまって、結局は当事者意識を共有をあまりせずにここまできてしまった。

なんとかしてしまう=ひとりでいい妻、いい母を演じることは、達成感はあるけれど、実のところ、予後が悪い。それを今、私はまさに実感している。

たとえば、夫に頼ることは激減してしまったし、産後の恨みじゃないけれど、頼んだのにやってくれなかった事実はなかなか許すことができない。

もっと最初のうちから「 できなーい 」をふんだんに使っておけばよかったと珍しく後悔などもしてみたりする。とは言え、もう終わってしまった過去をいくら考えてもあの日に戻れる訳でもないから、仕方がないんだけども。

ただ朗報もある。夫婦といえど、他人であり、ひとつの人間関係だ。人間関係は常に変わる。ずっと同じ関係性など世には存在しない。だからこれからもこの関係は多かれ少なかれ変わり続ける。

今回得た教訓を次に活かすときが来るのか、乞うご期待(笑)ってことで。

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