ナンシー関「何もいまさら」は再読しましたんで改めてつらつらと再チェック。
思い出したら腹が立ってきた。
自分の本のあとがきだっちゅうのに。
でも、ああ、怒られるもんなんだなあとは思った。
これからも反省しないで生きて行こうと思う。
といふことで「#虫干しと天地返し」の応用編
から普段片付けていないところをひっくり返し
たら偶然「何もいまさら」から見つかりました。
そして「何もいまさら」再読しましたので、
いくつか気になったところを引用しつつ、時折
つらつらと。
まずこちらのシリーズは元本が世界文化社なので
ナンシー関の編集ならと全幅の信頼をされた人の
編纂がなされている。が、かなり1冊目でもある
ので、テレビ時評だけでなく雑多な分かれ方で
コラムが配置されているのは特徴の一つかと。
(テレビ時評は主に第2章に集約されてて、1章は
「この人を見よ」と人物にフォーカスが当たって
いるし、3章は雑多コラムの集成なのかと)
一応世界文化社が元本だと巻末に初出の雑誌一覧が
便覧のように付いているので、流石なんですがね。
なので3章が雑多コラムだからこんな彼女にしては
の変化球もちゃんとある。
わたしは「消しゴム版画家」という仕事をしています。
日本で「消しゴム版画家」といえばわたしひとりです。
世界でもひとりかもしれません。消しゴムに絵を
ほってスタンプのようなものを作るのが、その仕事です。
初出は「3年の学習」1993年4月号
東山紀之:本能的「立ち回り」の才覚(1993年6月)
本能のままに母の日のカードを配りまくり、心底
「森(光子)さんは理想の女性」と思う、スキの
ない礼儀正しさは性分である、ということではない
だろうか。わざとならば諭して改心させることも
できようが、持って生まれたものならばどうしよう
もない。
何の問題もない、目上の人から可愛がられる
タイプの好青年ではないかという声もあるだろう。
それが主流かもしれない。しかし、市役所に勤めて
いる訳ではないのだ。芸能人として成功するのに
最も重要なのが「目上の人から可愛がられる好青年」
性か。そんなこと、私の知ったことではない。テレビ
に見る私に見えるのは「やってるなーヒガシ、相変
わらず」な姿だけだ。
少年隊で、一番芸能の才があるのは絶対に錦織
(一清,ニッキ)だと思ってたんだけどなあ。
1章でとりわけ気になったのはこの項目だったので
長く引いて見たが、この「健全安全好青年」スタイル
を突き通せる生来の性格があってこそ、ニューヨーク
がクイズ番組で「ジャニーズの東山さんに助けて
もらった」が成立するのでは、と確かにそうは思った。
第2章では皇太子ご成婚(今の天皇と皇妃小和田雅子
さんの挙式)に際してこの間山梨・八ヶ岳で亡くなった
柳生博氏に絶妙なフォーカスを当てて人物評・テレビ評
にしている。
さて、問題はテレビ東京だ。他局は、面白味に欠けると
思えるほどのど真ん中直球できたというのに、テレ東は
柳生博を持ってきた。いきなりのチェンジアップである。
おいおい、ボークは言いすぎだろう。誰も言ってませんね。
柳生博である。数あるタレントの中から柳生博に白羽の
矢である。
私はここから、ひしひしとテレビ東京の「柳生博観」の
特殊性を感じた。テレ東と柳生博の接点といえば、言う
までもなくかつての『すばらしい味の世界』である。
柳生がナビゲーターとなって、高級名店の名料理を絶妙の
カメラワークで”映像美”としてとらえるという、ミニ
番組ながら「隠れた名番組」「テレ東の良心」とまで言わ
れていたものだ。柳生はいつもイカシたタキシード姿で、
それはロマンスグレーのナイスミドルとして居たのである。
そう、柳生博はテレビ東京にとって「ハイソサエティ」
「ソフィスティケイト」の象徴なのだ。同局にとっては
柳生博こそが、掛け値なしの直球だったのである。チェンジ
アップだなんて言って悪かった。
御婚約特番に表れたテレビ東京の「ハイソ観」p85-86
巻末解説も群ようこと完璧。確実にナンシー関の何たるか
が把握出来る解説になっている。
ナンシーさんが書くのは、ある人物を見て、
「ちょっと変」
「何か変」
「どこか変」
と感じた部分についてだ。誰しもが感じているが、うまく
頭でまとめられない疑問に対して、ナンシーさんは的確な
回答を出している。
といふあたりでつらつらとナンシー関「何もいまさら」に
関して書き連ねてみました。
