「責任ある積極財政」という思考停止

曖昧さによる無責任
政府の掲げる「責任ある積極財政」。クライアントへの提案資料のタイトルにしたら上司から突っ込まれるヤツだ。フワッとしていて何となく分かるような、でもいろいろな意味にとれてしまう。後になってクライアントの「こんなはずじゃなかった」そんな、ボタンの掛け違いを誘う曖昧さ。権威にとって都合よく書かれた、いかようにもとれてしまう権威主義国の抽象度の高い権威的な法律みたいに。僕が政治に求めたいのは、耳触りのいい言葉ではない。今は反発もあるかもしれないけれど、子供たちの代に変わった時「あれが一番マシな選択だった」と納得しながら振り返れることだ。
再興に向けた投資の勢いを鈍らせない?
有望な分野に限定し積極果敢に投資する?
現状の無駄を大胆に止め次世代に借金を残さない?
増税(大企業?富裕層?に)して財政規律を保つ?
低金利でインフレに誘導し、過去の借金を極小化する?
おそらく最初の2つの意味合いが強いのだろうけど、他のも考えられなくはない。誰も分かりやすく説明しようとしない。さらにしつこく質問するとバカにされそうな空気感もある。面倒臭いヤツと。だからナントナクで留まるのが正解、そんな残念が漂っている。豊かさを追い求めて始めた戦争に負けた途端に、ついさっきまで蔑みの対象だった勝者にチョコレート頂戴なんて言いたくない。だから言いたい、政府がいくらお金をばら撒いたところで、人々が挑戦する意欲、「何とかしないと」という切迫感が蓄積されなければ、発展なんて!と思う(装置産業など例外はあるけど)。戦後の焼け野原のスッカラカンから世界的な企業が多く生まれたのは偶然ではないと僕は考えている。喪失による渇望感が経済学者ケインズが言うところのアニマルスピリッツ(野心的意欲)を誘引したのではないか?
仕事が消える不安と、動かない安心
今にあてはめると、雇用の流動化といった人の流れを活性化する厳しさと可能性の両方を併せ持った方に向けていかないと、現状維持に懸命で、そこそこ満足している人たちにお金あげるから挑戦しよう!なんて言ったところで、人材交流促進と冠せられた飲み会のようなことで終わってしまう気がする。過剰な保護により思考が失われた飼い犬みたいに。勢いが削がれてしまった業界、活躍の場を失ってしまった人材を留保する現状維持、不作為を改めるような方向に政治はトップダウンで進んで欲しい。物凄い反発もあるだろうけれど、今は強い支持を背景に切り込める局面であるのだから。
それでもやはり、守る側の抵抗もハンパないことは容易に想像できる。今までの継続、維持、繰り返しを強烈に求める人も一定数を占めるから。新しく勉強するのはカッタルイし、上手くいかなかったら給料減るし、人間関係のせいで長く続かないかもしれない。一方で、そんな守りの姿勢がAIの普及によって難しくなりつつある。かなりの頻度でAIによって失われる仕事みたいな表現を見聞きするようになった。いつの時代も変化とか激動、革新って言われてきたけど、今ほど強いそれはない。
特に僕が従事しているアプリ開発の業界はヤバい。近い将来、AIに侵食されるだろう領域が大きいから。僕がまだ若かった頃、プログラム自動生成ツールを活用したプロジェクトに参加したことがあったが、かゆいところに手が届かないイマイチなシロモノだった。でも今回のは当時のそれとは比較にならない。どうして僕の言語化されていない深いところの、なんとなくな意識さえ分かってるの?って怖くなることがある。そんなことを証明するように、最近の株式市場でソフトウェア開発企業の株価が軒並み値を下げている。AIにからめ捕られてしまうかも、といった不安から。例えば業務で使う情報入力画面の多くが不要になる事が予想されている。裏口を開けとけば、後はAIがよろしくやってくれるから。このような侵食を短期的悲観だと思っていたいところだけれども、そんな変化に向かう通奏低音は勢いを失いそうにない。
場は整えた、あとは自由に
再び政治に戻るが、成長戦略において政治には規制緩和やセーフティネット構築といった挑戦に向けた環境作りに期待したい。少しばかり危険は増すかもしれないけれど、挑戦を呼び込むリターンの方がずっと大きい、環境作りに。もし明らかにダメが明確化したら、それに即した新たな控えめな規制を作ったらいい。成功者にはご褒美を、そうでない人には最低限の生活保障を、そんなベーシックインカムに代表される考え方も出てきていて、海外ではかねてより検討の土俵に上がっていた。今までの継続的な改善より、一足跳びの革新、そんなことを促すために、いち早く試し、いち早く失敗し、いち早くやり直す、そんなことに政治は裏方で支えてくれたらと思う。僕もAIによって置き換えられることなく、利用し自分を強化できるよう「検討を加速」したい。もちろん政治的「ウソ」ではなく戦略的「マジ」で。
もし「責任ある積極財政」が、変わらない理由を増すだけだとしたら、無責任だと思わない?
偽善の歌

