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110kgのはずだった。

前回の大会のあと、僕は、師匠の長谷川さんに宣言した。

「秋の大会に出ます。120kgを挙げて、来年の日本選手権を目指します」

で、次の大会は、10月4日。
第37回関東ベンチプレス選手権大会である。今回の目標は明確だ。
全日本選手権に出場するための標準記録、120kg。

フォームが厳しい大会ルールでの自己ベストは115kg。
目標まで、あと5kgである。

数字だけ見れば、わずか5kg。されど5kgだ。ベンチプレスをしている人なら知っている。最後の5kgは、なかなか5kgらしく振る舞ってくれない。


月曜はMAX、水曜はHeavy、金曜はLight


6月に田町に暮らしの場を移して、馴染んできた。
トレーニングの場所とサイクルも、ようやく固まってきた。

月曜の夜は、師匠のところで「マックスチャレンジ」。
その週でいちばんの重さに挑む日だ。

水曜と金曜は、夜中に近所のエニタイムフィットネスへ。毎週師匠からLINEで届くレシピをもとに、ひとりでメニューをこなす。

月曜はマックス。水曜はヘビー。金曜はライトの日。

曜日に、重さの名前がついた。
仕事一辺倒だった僕の日常に、ゴツい響きが入ってきた。


深夜零時の秘密結社


深夜0時を過ぎたエニタイムは、まじでガラガラである。僕を含めて、だいたい4、5人。ほとんどが20代から40代くらいか。なぜか全員、黒い上下のトレーニングウェアを着ている。

深夜零時の、黒ずくめのマッスルマンたち。

ワイルドな秘密結社のようだが、話し声はまったくない。
みんな黙々と、自分のメニューに励んでいる。

たぶん、みんな何かを目指している。
まるで甲子園を目指す球児のような顔つき。
美化しすぎたか。でも、その感じが、僕はけっこう好きだ。

師匠のレシビ

MAX Day(月)

60kg×5 → 80kg×2 → 100kg×1 → その週のMAXへ → バックオフ
Heavy Day(水)
95kg×3 を3セット/80kg×6 を4セット
補助:プレスダウン 8×5、ミリタリープレス 5×5、ローイング 8×4
Light Day(金)
85kg×5 を5セット/77.5kg×6 を1セット
補助:プレスダウン 8×5、ローイング 8×5

数字だけ見ると、なかなかごついメニューである。挙げて、休んで、挙げて、の繰り返し。しんどい。が、帰り道の開放感は心地良い。


大会のあと、記録は落ちる


6月21日、東京都の大会に初めて出場した。

試合に出たあとは、一度、記録が落ちるらしい。そこへ向けて身も心も集中させているぶん、大会が終わると反動がくる。師匠によれば、一割ほど落ちることも普通だという。

一割って言ったら、バーベルの世界では、なかなか豪快な下落率だ。

僕も例外ではなく、大会後は調子を落としていた。
そして先週、115kgに挑んだ。
フォームは悪くなかったはずだが、見事に潰れた。


115kgは、見た目から重い


ベンチプレスは、見た目以上に精神的な競技である。
一度失敗すると、その重さに小さな「メンタルブロック」ができる。

挙がらなかった。潰れて怖かった。めちゃくちゃ重かった。

そんな記憶が、かなり強めに脳へ書き込まれる。

115kgになると、プレートの見た目がなかなかにごつい。
バーの両側で、いかにも「挙げてみろや」という顔をしている。

先週と同じ、ただの鉄の塊ではないか。でも一度潰れたあとに見ると、少し大きく、少し重そうに見える。重さというものは、数字だけでなく、見た目からも脅してくるのだ。

ラックアップした瞬間に、いやな予感がする。
「また挙がらないかもしれない」という不安がよぎる。
すると身体がこわばり、腕で無理に挙げようとしてしまう。

ベンチプレスは、技術的にも奥深い。腕と肩で挙げようとすると、思ったほど挙がらないし、怪我もしやすい。胸と背中を同時に使い、肘で挙げる。その感覚が大切なのだ。

しかし、怖さが顔をだすと、不思議なことに身体の記憶が崩れてしまう。


今週月曜、マックスの日


今週月曜、マックスの日。またベンチに横になった。
100kgまではすんなりいった。

長谷川さんは、今日は「110kgでいこう」と僕に伝えた。

110kgであれば、先週も挙げている。
フォームさえ崩れなければ大丈夫。
ラックからバーベルを外した。

今日はすこし重い。でも、挙がった。

「挙がったけど、けっこう重かったです」
そう言って師匠を見ると、いたずらがきれいに決まった人の顔をしていた。

「だよね。115kgだから」

騙された。

でも、なんだよ。115kg。まあ、いけるな。

さっきまで凄んでいたバーベルが、おとなしいやつに見えた。
筋肉は変わっていないが、僕の態度だけが、5kgほど強くなった。

ただ、まだ先は遠い。実際の大会では、胸の上でバーベルを完全に静止させ、尻を浮かせずに挙げなくてはいけない。このルールでの、僕の自己ベストは115kgだ。

あと5kgか。

筋肉に定年があるのかどうか、わからない。
でも、次にすることはわかっている。
月曜日、マックスの日。64才。挑戦は、まだ続く。

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