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分析する人、共感する人──相手の視点が、人を動かす

今日は、Aさんの提案発表の日だった。
新製品のマーケティング計画。三週間かけて資料を作り上げた。
誰にも相談せず、一人でやり遂げた。部長に認めてもらいたかった。

三人は、違うところを見ていた


会議中、三人の頭の中はそれぞれ違うことで動いていた。

Aさんは、自分のことを考えていた。全力で仕上げた提案を認めてもらえるるか。部長にどう見られているか。

Bさんは、提案内容を冷静に分析していた。これは顧客の課題を解決する提案ではなく、自社製品の売り込みになっており、課題と問題解決の結びつきが弱い。このままでは顧客には響かないだろう。だから部長の表情が曇っているのだ。

Cさんは、Aさんと部長、ふたりの内側を感じていた。Aさんは三週間、一人で準備してきた。認めてもらいたくて、必死だ。部長は今、顧客のことが頭にある。この提案には、顧客の視点が足りない。そのすれ違いが、場を重くしている。

同じ会議室にいた。でも、三人は違うところを見ていた。

Aさんのプレゼンが終わった。
会議時間をギリギリまで使って、精一杯熱弁した。
部長は「わかった、検討する」とだけ言って、会議室を出た。


分析する人


その日の帰り際、Bさんはすれ違いざまにAさんに声をかけた。

「お疲れさま。ところで、さっきの提案だけど、顧客視点が薄かった。自社製品の説明になってたから、部長には刺さらなかったと思う」

「そうですかね……」

「部長はね、常に顧客の課題から入る人なんだよ。次回は事前に顧客の課題をヒアリングしてから組み立てると、ぐっと変わると思う」

「なるほど……ありがとうございます」

Bさんは正しいことを言っている。
Aさんは、それ以上何も言えなかった。


共感する人


その日の夕方、Cさんはオフィスの隅でAさんに声をかけた。

「今日の提案、ご苦労さま。感触はどうだった?」
「う〜ん、どうだろう。いまいち、わかってもらえなかったみたいで」
「そうなんだ。そう感じてたんだ。何か気になったことはあった?」
「部長の視線が途中からなんか遠くなった気がした。伝わってないなって」
「そうだったんだ。何か足りないと思った?」
「顧客の課題について聞かれたな。作り手の視点に偏っていたかも...」
「そうだね。それがポイントかも知れない」

答えなら、数時間前にBさんから受け取っていた。でも、あのときは、なんかモヤモヤが増えただけだった。Cさんとの会話で、今度は、それが自分の中から出てきた気がした。

「もう一度、作り直してみよう」そう思えた。


二つのメタ認知


BさんとCさんには、実は共通点がある。

二人ともメタ認知できていた。自分が今、何を考え、何を感じ、何を見ているかを、外から客観的に観察する能力。この土台の上で、視点の向け方が、二つに分かれる。

一つは、Bさんの「神の視点」。場全体を俯瞰して、何が起きているかを把握する。会議室の空気を読み、部長の反応を見て、提案の問題点を正確に見抜く。そしてAさんにそれを伝えた。

もう一つは、Cさんの「相手の視点」。自分を手放して、相手の内側に入る。Aさんの緊張を感じ、部長が何を求めているかを感じ、その間にあるすれ違いを感じる。でも、答えは言わなかった。

どちらの視点も、ビジネスの現場では大切だ。

ただ、ビジネスパーソンの多くは、神の視点を持つと、そのまま分析に向ってしまう。Bさんのように。相手の視点に入る前に、答えを出して、正しさを相手に押しつけてしまう。


分析の罠


自分では「相手の視点になれている」と思っている。相手のことを一生懸命に想像している。しかし、それは相手の視点ではなく、相手の分析だ。自分の視点はそのままに、相手の情報を推測しているに過ぎない。

「相手の視点」とは、それではない。

哲学者マルティン・ブーバーは、人と人の関わり方を二つに分けた。相手を「それ(It)」として扱う関係、「汝(You)」として向き合う関係だ。

「それ」として見るとき、相手は観察する対象になる。分析し、評価し、対処する。どれだけ親切な気持ちであっても、相手との間に境界がある。

「汝」として向き合うとき、二人の心は共感でつながる。相手も「人生の主人公」であることを思い出す。相手の痛みを痛みとして、喜びを喜びとして感じる。Cさんがやっていたのは、これだった。


あの人の物語


ただ、「汝として向き合う」と言われても、正直言って、あまりピンとこないかもしれない。

ここで、一本の映画の話をしたい。

『ワンダー 君は太陽』。顔に生まれつきの障害を持つ10歳の少年、オギーの物語だ。はじめて学校に通い、好奇の視線にさらされ、それでも居場所を見つけていく。ここまでなら、よくある感動作に聞こえるかもしれない。

この映画が特別なのは、その先だ。物語の途中で、語り手が交代する。

姉のヴィアの章になると、同じ日々がまったく違って見えてくる。両親の目は、いつも弟に向いていた。ヴィアは「世界一手のかからない子」として、いつもそこにいた。誰にも言えない気持ちを抱えたまま。私のことも、見てほしい。

いじめっ子のジュリアンの章でも、同じことが起きる。残酷に見えた少年の背景には、歪んだ価値観を植え付けた家庭があった。彼もまた、自分なりの痛みを抱えて生きていた。

語り手が変わるたびに、それまで見えなかった大切なことがわかってくる。同じ出来事なのに、まったく違う物語になる。

翻って、あなたの職場を思い浮かべてほしい。

発言の少ない新人がいる。指示待ちだと思う。でも、まだ言葉もわからない中で、一生懸命勉強しながら、必死にがんばっているとしたら。

数字に厳しい部長がいる。詰める。理不尽だと思う。でも、その部長もまた、毎週社長から、強烈に数字を詰められていたとしたら。

誰もが、自分の物語を生きている。見えていないだけで。

その事実に気づいたとき、はじめて「汝」として向き合うことができる。
分析が、共感に変わる瞬間だ。


なぜ「相手の視点」が大切なのか


アドラーはこう言った。
「人生の悩みは、つまるところ、すべて人間関係である」

言われてみれば、そうかもしれない。仕事がうまくいかない。チームがかみ合わない。上司と折り合えない。部下が動かない。悩みの根っこをたどっていくと、たいてい人間関係に行き着く。

相手の視点に立てると、その悩みの多くが溶けていく。部長が理不尽に見えなくなる。動かない部下の、動けない理由がわかってくる。かみ合わないチームの、すれ違いの場所が見えてくる。

そしてもう一つ。Bさんの話に、戻りたい。

Bさんの分析は、正しかった。しかし、知識も、分析も、AIの得意分野だ。Bさんの強みの多くは、やがてAIに代替されていく。

では、人間に残るものは何か。

関係性をつくる力だ。相手の内側に入り、信頼を生み、人を動かす力。それは、AIには難しい。「社会的知性」と呼ばれる能力が、これからの時代の核心になる。


「相手の視点」を鍛える


これは、才能ではない。
語学やスポーツと同じ。練習できる能力だ。

今日、話した人を一人思い浮かべてほしい。会議で隣にいた人でも、廊下ですれ違った人でも、ランチを一緒に食べた人でも。

ゆったりした気持ちのときに、10〜20分、次のステップで書き出してみる。

① その人との会話の場面を思い出す
② 自分はその人をどう見ていたかを書き出す
いったん自分を手放す。その人の視点に乗り移る
④ その人はどんな気持ちだっただろうと想像して書き出す
⑤ その人には自分がどう見えていただろうと想像して書き出す

②と④⑤を並べてみると、ズレに気づく。そのズレが、気づきになる。

慣れてきたら、相手を少しずつ難しくしていく。

最初は少し気になる人から。次に、関係をよくしたい人へ。さらに、苦手な人や、好きな人・近い人へと進む。

相手のレベルを上げられたと感じたら、今度は局面を難しくしていく。

日常の会話から、会議や商談へ。そして、意見が対立している場面でも相手の視点に入れるようになると、きっと、何かが変わりはじめる。

明日も、あなたは誰かに、正しいことを言うかもしれない。
その正しさ、届いてますか?


最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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斉藤 徹(とんとん)
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