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本の疎開

■ 戦後80年となる今年の8月。だからだろうか、戦争に関する放送が多くなってきた。
何気なく聞いていたラジオから、「本の疎開」の内容が流れ、これは事実です、との言葉も添えられていた。
疎開と言うと、すぐに「人の疎開」と思ってしまっていたが、「知」の疎開もあったのだ、と関心を持った。それで調べてみた。

■ NHKの放送で言っていた内容を調べてみると次のことが分かった。
それは、日比谷図書館の約40万冊を、奥多摩 (東京都多西村、現在のあきる野市)や、埼玉県志木市に疎開させた。
その時の様子だが、館員に加え、旧制都立一中(現・日比谷高校)の生徒たちが動員され、リュックや大八車を使って、50キロ以上離れた疎開先まで、命がけで本を運んだとのことだ。
大変なことだったと思う。

■ 関連して、他の「本の疎開」、つまり知の疎開の事実も分かってきた。そのうちの一つであるが、国も「本は知的財産」との考えに基づき、国立国会図書館を造っている。戦前は「帝国議会図書館」として存在した。在った場所は国会議事堂のすぐ横である。

戦争も末期になってくると、米軍の空襲からそれらの蔵書を守るため、空襲される確率の低い山間部に疎開させた。時期は1944年(昭和19年)後半~1945年(昭和20年)である。

その疎開場所は、都心から約50km離れた青梅のさらに奥にある奥多摩、そして埼玉県の数か所である。それらの地は、次のようなことを考慮して決めたようである。
① 山間部で空襲を受けにくい。
② 東京から鉄道やトラックでの運搬が比較的容易である。
③ 信頼できる寺院、学校、民家の土蔵の協力が得られた。

当時の蔵書は約70万冊(諸説あり)で、そのうち運び出され、疎開できたのは約20万冊で、全体の約3割とのことだ。
残りは、残念ながら空襲で焼失。もちろん図書館も消失した。

■ 戦後の1948年、戦前の「帝国議会図書館」の在った同じ場所に、国立国会図書館が建てられ、疎開していた蔵書は、徐々にそこへ戻された。

「本は国の知的財産である」という考えに基づいて、翌1949年(昭和24年)、「すべての出版者は、その出版物を国立国会図書館に納めなければならない」という条文を含んだ国立国会図書館法ができた。つまり「納本の義務」を負わせたのである。でも、この義務違反には罰則はない。

■ さて、平和が訪れ空襲の恐れはなくなったが、地震などの自然災害も考えられる。そこで東京だけでなく、国は2002年に京都に関西館も造った。
だから私は、納本するときに2冊を納本している。
(通常、納本は出版社が行う。私は出版の立場に立つこともあるので、その立場で納本している)

さらに、時代のデジタル化に伴い、国立国会図書館は数年前からその蔵書のデジタル化を図っている。
それで私は以前、「では、原稿などをデジタル化したものも納めるのですか」と問い合わせたところ、「いや、従来通り、紙の書物はそのまま納本してください」と言われた。それをデジタル化するのは、国立国会図書館が行うことだ。
まぁ、そうすれば膨大な蔵書は、ものすごくコンパクトになり、各所への保管が容易になる。そして劣化しない。

■ 本は知的財産である。それは国民の共有財産としての知識・文化の保全になる。そして未来の世代への継承ができる。
この理念が、同図書館の設立理念である「真理がわれらを自由にする(Truth shall make us free)」と深く結びついている。

「真理、自由」は、私がとても大切にしている言葉である。


知の宝庫・国立国会図書館 
手続きをすれば、誰でも入館できるが、閲覧は館内のみである。
通常の図書館のように、書籍を自宅へ持って帰ることは出来ない。
国会議事堂のすぐ横にある。



#国立国会図書館

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