『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』(1953年12月15日・東宝・マキノ雅弘)
『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』(1953年12月15日・東宝・マキノ雅弘)。前作に引き続き、次郎長一家は凶状持ちとなり、病身のお蝶(若山セツ子)を気遣いながら、文字通り裏街道を彷徨い、追い詰められていく。ラストにはお蝶との悲しい別れが待っている。

悲しく切ない展開だが、それゆえに情緒豊かで、マキノ雅弘の見事な演出が随所に光る。シリーズ最長の107分という長尺もまったく苦にならない。
甲州で猿屋勘助(小堀誠)を斬り倒した清水の次郎長(小堀明男)と子分たちは、凶状持ちとなって役人に追われる身となり、あてのない旅を続けていた。冷たい風が吹きすさぶ他国の空の下、次郎長が何よりも大切にしている妻・お蝶が旅の疲れから病に倒れてしまう。
冒頭、巡礼の父娘のショットに、娘の歌う哀しい巡礼歌が重なる。その歌声が、次郎長一家の置かれた窮状とシンクロする。どうすることも出来ない苦境が、このワンシーンで伝わってくる。
桶屋の鬼吉(田崎潤)と増川仙右衛門は伝手を頼り、身受山鎌太郎(如月寛多)を訪ねる。お蝶の体力が回復するまで厄介になることになったが、ここでエノケン一座出身のベテラン喜劇人・如月寛多が存在感を発揮する。
鎌太郎は一家を心から歓待するものの、女房は「お触れの出ている凶状持ちを匿うのは恐ろしい」と難色を示す。夫婦のやりとりを壁越しに聞いた次郎長一家は、迷惑をかけまいと、鎌太郎が止める間もなく夜明け前にそっと立ち去る。
鎌太郎の女房は、お蝶とは正反対の女性として描かれている。渡世人の女房もまた様々なのである。
その後も受難は続く。
雨の降る荒れ寺で身を寄せ合う次郎長一家。石松(森繁久彌)と三五郎(小泉博)は、かつて次郎長が命を救った元力士・八尾ヶ岳(千葉信男)を頼ろうと提案する。
いまは尾張で保下田の久六と名乗り、親分として売り出し中の八尾ヶ岳。しかし彼は、かつての恩義よりも保身を選び、次郎長を役人へ差し出そうとする。その裏切りに気づいた一家は間一髪で逃げ出すが、石松と三五郎は自分たちの判断を悔やみ、次郎長に盃を返したいと申し出る。
この場面が実に泣かせる。
瀕死のお蝶には聞かせまいと、大政(河津清三郎)はお蝶から見えない場所で二人を殴るフリをし、さらに皆で笑うフリをする。しかし大政も、鬼吉も、綱五郎も、みんな同じ気持ちなのである。
次郎長一家は、とことんまで追い詰められていく。そんな危機を救うのが、石松の幼なじみ・小松村の七五郎(山本廉)と、その妻お園(越路吹雪)である。
東宝の名バイプレイヤー山本廉は、特撮ファンには『ゴジラ』で最初にゴジラと遭遇する漁師役で知られるが、この七五郎こそ代表作のひとつだろう。
かつて世話をした鎌太郎や久六には裏切られた。義理も人情も失われたかに見える状況で現れる七五郎とお園夫婦は、まさに救いの光である。
ここからは越路吹雪の独壇場。事情を知らず、徹夜で夫の帰りを待ち続けるお園。神様に愚痴をこぼしながらも酒を用意し、夫を信じて待ち続ける。その愛情表現が実に愛らしい。
しかも、お園は槍の遣い手でもある。男勝りなのにチャーミング。このあたりは、さすが宝塚のトップスター・越路吹雪である。
七五郎とお園のもてなしによって、次郎長一家は久しぶりに安らぎを得る。ニワトリを締め、芋を食べ、それでも心は温まる。戸板の上で野宿を続けてきたお蝶も、ようやく布団で眠ることができる。
そして、もう一人の救い主・投げ節お仲(久慈あさみ)が訪ねてくる。博打で稼いだ金と徳利酒を手土産に。その酒を旨そうに飲む次郎長一家の面々。
だが、その幸福な時間の中、お蝶は皆に見守られながら静かに息を引き取る。子分ひとりひとりの名を呼び、言葉をかけてゆく別れの場面。
マキノ雅弘はここをたっぷりと時間をかけて描く。本作最大の泣かせどころであり、シリーズ屈指の名場面である。しかし悲しみに浸る暇もない。
久六一家が役人を引き連れ、七五郎の家へ迫る。その危急を知らせるのが、渡世人志願の若者・島の喜代蔵(長門裕之)。
前作で豚松を演じた加東大介の甥であり、大熊親分役の澤村國太郎の長男でもある長門裕之の若々しさも印象的だ。
喜代蔵とお園が敵を引きつけ、その間に次郎長一家を逃がす段取りだったが、いよいよとなった時、次郎長一家、そして次郎長とお仲が敵を相手に大立ち回りを演じる。
娯楽時代劇のカタルシス、ここに極まれり。
というわけで、第六作も見応え十分。とりわけ、宝塚でコンビを組んでいた越路吹雪と久慈あさみの競演シーンにはゾクゾクさせられる。考えてみれば、二人とも後年「社長シリーズ」で森繁久彌の妻を演じることになる。
そう思うと、「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」でお馴染みとなる、森繁久彌を取り巻く宝塚・SKD出身女優たちの系譜も、案外このあたりにルーツがあるのかもしれない。
任侠時代劇でありながら、ここで描かれているのは“喪失”と“再生”の物語である。シリーズ最大の悲劇を経て、それでも次郎長一家は前に進んでゆく。その姿に胸を打たれる。

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