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『背徳のメス』(1961年8月6日・松竹・野村芳太郎)

黒岩重吾原作、新藤兼人脚本、野村芳太郎監督『背徳のメス』(1961年8月6日・松竹)。大阪にある創立30周年の阿倍野病院は、キリスト教系の私立病院。施設も古く、土地柄もあって貧しい患者が多い。そんな病院を舞台に、医療と欲望、倫理とアンモラルが交錯する濃密な人間ドラマが展開してゆく。

主人公は、医療については徹底したヒューマニストでありながら、私生活では女癖が悪く、次々と看護師に手をつけるニヒリストの医師・田村高廣。対するのは、自らのキャリアと腕に慢心し、患者をぞんざいに扱う部長医師・山村聰。さらに、事故で寝たきりとなった夫を抱える女医・高千穂ひづる、恋愛経験もなく仕事一筋で生きてきた看護師・久我美子ら、それぞれの「モラル」と「アンモラル」が、医療過誤事件をきっかけに激しく揺れ動いてゆく。

映画は、ヤクザ・城所英夫の妻が、山村聰の判断ミスによって命を落とす場面から始まる。城所はチンピラを率いて病院に怒鳴り込み、200万円を要求。田村高廣は、山村のミスが原因であると主張するが、山村は自分に有利な証言を求める。田村はそれを拒む。

だが、この田村という男が実に厄介だ。患者には誠実だが、女性に対してはサディスティックなまでに冷酷で、相手を欲望の対象としてしか見ていない。葵京子、瞳麗子らと関係を持ち、さらには高千穂ひづるにまで暴力的に迫る。ここで描かれるのは、田村のアンモラルと、高千穂ひづるの理性と信念との衝突である。

しかし、そこは新藤兼人脚本。ただのメロドラマにはならない。長年、寝たきりの夫を看病し続けてきた高千穂ひづるの、女としての孤独や揺らぎまでも丁寧に掬い取ってゆく。

さらに、ある夜、田村高廣が宿直室でガス漏れ事故を起こし、ガス中毒で死にかける。事故なのか、それとも誰かの犯行なのか。第一発見者は、かつての愛人・葵京子。その夜、田村に呼ばれていた瞳麗子も怪しい。高千穂ひづるにも彼を憎む理由がある。酒に酔った山村聰も病院に泊まっており、久我美子もまた部長の介抱で病院に残っていた……。

黒岩重吾らしく、登場人物たちは皆、「オモテ」と「ウラ」を抱えている。そして、その「倫理観」が、欲望や嫉妬、保身によって少しずつ崩れてゆく。

野村芳太郎監督としては、のちの『わるいやつら』へ連なる“病院サスペンス”の原型ともいえる作品であり、田村高廣の屈折したニヒリストぶりが実に見事。

川又昂のキャメラは、1961年の大阪のアンダーグラウンドを巧みに捉え、夜の通天閣をシンボリックに写し出す。ロケはほぼナイトシーンで統一され、そこに浮かび上がるのは、欲望と倫理の狭間で揺れる人間たちの姿。

野村芳太郎は、のちの『張込み』『砂の器』『わるいやつら』へ連なる“人間の闇”を、この時点ですでに鮮やかに描き始めている。意外なラストまで含めて、野村芳太郎の力作である。

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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所 よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。