畳の歴史が動いた日。大分市の川辺で見つかった一株の草が、江戸時代からの畳文化を現代に伝える
こんにちは!盛岡で前田畳店を営んでおります、前田です。
皆さんは、ご自宅にある一枚の畳に、どれほどの歴史と物語が込められているか、想像したことはありますか?
先日、私たち畳に関わる全ての人間にとって、まさに「歴史が動いた」としか言いようのない、胸の熱くなるニュースが飛び込んできました。
かつて日本一の生産量を誇りながら、今では大分県のごく一部でしか栽培されていない“幻の畳表”『七島イ(しちとうい)』。その一株が、60年以上の時を超え、かつての栽培地である大分市の川辺で自生しているのが発見されたのです。
これは単に珍しい植物が見つかった、という話ではありません。江戸時代から続く日本の畳文化の「生きた証人」が、力強く、そして静かに、私たちに何かを語りかけているのです。
この記事では、一人の畳職人である私の視点から、この奇跡の発見が持つ本当に深い意味と、それが未来の畳文化に繋がっていく壮大な物語を、熱意を込めて紐解いていきます。さあ、時を超えた畳の旅へ、ご一緒に出かけましょう。
この記事のポイント
✅ 大分市で発見された「幻の畳表」七島イのニュースを畳職人の視点で解説 ✅ 一般的なイグサとの違いは?七島イだけが持つ驚きの耐久性と魅力
✅ なぜ大分市に?江戸時代から続く、畳と地域の知られざる歴史物語
✅ この発見が畳の未来と日本の文化継承にどう繋がっていくのかが分かる
参考記事:tosオンライン
全国で唯一国東市だけで栽培“七島イ” 大分市内に生育か…「よく生き延びていた」かつて大分市内でも栽培
■【歴史が動いた日】大分市の川辺で見つかった一株の草。なぜこれが畳文化を現代に伝える大発見なのか?

2024年の5月、大分市を流れる川のほとりで、たった一株の草が見つかりました。このニュースが、私たち畳職人の間にどれほどの衝撃と感動をもたらしたか、言葉にするのはとても難しいほどです。
この発見が「歴史が動いた日」とまで言われるのは、その草が単なる植物ではなかったから。なんと、60年以上も前にその地域から栽培が途絶えてしまったはずの最高級畳表の材料、「七島イ(しちとうい)」そのものだったのです!
これは、まるで失われたはずの歴史のピースが奇跡的に見つかったような出来事でした。江戸時代から受け継がれてきた日本の豊かな畳文化の物語を、力強く現代に伝えてくれる「生きた証人」との、まさに感動の再会だったのかもしれません。
・60年の時を超えた奇跡の再会!発見の舞台裏
具体的にこの発見があったのは、大分川にかかる橋の近くにある河川敷だったそうでございます。見つけたのは、七島イにゆかりの深いお寺「来迎寺」の檀家さんでした。そのお寺の代表の方は、ニュースの取材に「よく生き延びていたな…」と、本当に感慨深そうに語っておられました。
その言葉に、私たち畳屋も深く頷いてしまいます。工業化の波に押されて姿を消した大切な文化が、誰にも知られず、しかし力強く命をつないでいたのですから。長年、地域の歴史を大切に想ってきた方々の心が、この奇跡を引き寄せたのでしょうか…。
・ただの珍しい草じゃない!畳の歴史を塗り替える価値
「たかが草一本で、少し大げさでは?」と感じる方もいらっしゃるでしょうか。しかし、この一株が持つ意味は、本当に計り知れないものがあります。
かつて大分県は、この七島イの一大産地として全国にその名を知られていました。それが時代の流れと共に栽培が途絶え、歴史の中に埋もれてしまっていたのです。その失われたはずの歴史が、今こうして自然に生えている形で見つかった。つまりこれは、地域の歴史そのものが鮮やかに蘇ったにも等しい、とてつもない大発見だと考えております。
この小さな一株は、日本の畳文化がいかに豊かで、そしてそれを守り伝えていくことがどれだけ大切かを、改めて私たちに教えてくれているのかもしれませんね。では、この「七島イ」とは一体どんな特徴を持つ草なのでしょう?次の章で、その驚くべき魅力に迫っていきましょう!
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■その草、ただの草にあらず!畳文化の至宝「七島イ」とは?畳職人が語るその驚きの特徴

さて、前の章で「歴史的な大発見だ!」とお伝えした『七島イ』ですが、皆さんはきっとこう思われたのではないでしょうか? 「一体、普段私たちが知っている畳の材料(い草)と、何がそんなに違うの?」と。
その疑問、ごもっともでございます! 私たち畳職人の目から見ても、七島イは本当に特別な存在でして、まさに「畳文化の至宝」と呼ぶにふさわしい特徴をたくさん持っているんですよ。今回はその驚くべき魅力について、じっくりとご説明いたしますね。
・見た目も強さも段違い!い草との決定的な違いとは?
まず最も分かりやすい違いは、茎をスパッと切った時の断面の形。普段おなじみの畳に使われる「い草」はきれいな丸形をしていますが、七島イはくっきりとした「三角形」をしています。この時点で、植物として全くの別物であることがお分かりいただけるかと思います。
そして、このカクカクした三角形の構造こそが、七島イの驚くべき強さの秘密なのです!繊維がぎゅっと詰まっていて、とにかく丈夫。例えるなら、丸いストローと、三角の柱くらい構造的な強さが違うイメージでしょうか。
資料によっては、普通のい草のなんと5倍から6倍もの耐久性を持つとされております。実際に、その強さから柔道場の畳など、特に激しい使われ方をする場所で重宝されてきた歴史もあるくらい、その実力は折り紙付きでございます。
さらに、火にも強いという驚きの特徴も持っています。昔の資料を読むと、タバコの火をうっかり落としても、い草のようにすぐに燃え広がらず、焦げ跡がつきにくい、なんて記述もあるくらいです。昔の暮らしには、なくてはならない存在だったに違いありません。
・これぞ本物!憧れの「琉球畳」の正体
最近はおしゃれなカフェやモダンな和室で、畳の縁(へり)がない正方形の畳をよく見かけますね。これらは広く「琉球畳」という名前で親しまれております。もちろん、それらも素敵で現代のインテリアにマッチする素晴らしい畳です。
しかし…、私たち畳職人が「本物」と聞いて思い浮かべるのは、少し違うもの。実は、本来の「琉Kyu畳」とは、この『七島イ』を原料にして、職人が手織りで仕上げた畳表のことだけを指す、とても特別な呼び名だったのです。
その名の通り、琉球、つまり現在の沖縄からその製法が伝わったという歴史的な背景があります。ですから、私たちにとって「琉球畳」という言葉は、デザインのことだけでなく、素材そのものが持つ歴史や風格に対する敬意が込められた、特別な響きを持つ言葉なのですよ。
・時間とともに育つ畳?飴色に輝く経年変化の魅力
七島イの魅力は、その強さだけではありません。むしろ、ここからが真骨頂かもしれません!
一般的な畳は、年月が経つとどうしても日光で黄色く焼けていきますが、七島イはまったく異なる表情を見せてくれます。なんと、日々人が歩いたり座ったりして使い込むほどに表面が自然に磨かれ、まるで手入れの行き届いた高級な木の家具のように、艶やかで美しい「飴色」へと変化していくのです…!
この変化は、そこに住むご家族が過ごしてきた歴史そのものを刻み込んでいるかのようで、本当に美しいものですよ。新品の時が一番良いのではなく、時間とともに「我が家の畳」として育っていく。そんな不思議な魅力が、七島イには確かにあります。
香りもまた、い草の持つ甘く爽やかな香りとは少し異なり、どこか素朴で、大地を感じさせるような力強く落ち着いた香りがいたします。この独特の香りが大好きで、七島イをお選びになるお客様も少なくありません。
強くて、美しく、そして歴史がある。こんなに魅力的な素材が、大分の川辺でひっそりと生き続けていたのです。では、なぜそんな素晴らしいものが、一度は姿を消してしまったのでしょうか?次の章では、その少し切ない歴史の物語を紐解いていきたいと思います。
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■なぜ大分市の川辺に?江戸時代から続く畳の歴史と「七島イ」の壮大な物語

前の章では、七島イがいかに丈夫で魅力的な、まさに「畳の至宝」と呼ぶべき素材であるかをお伝えいたしました。
しかし、そうなると新たな疑問が湧いてきませんか? 「そんなに素晴らしい素材なら、なぜ今はごく一部の地域でしか作られていないの?」 そして、「なぜ、かつての栽培地である大分市の川辺で見つかったことに、それほどの意味があるのでしょうか?」と。
その答えは、江戸時代まで遡る、壮大で、そして少し切ない歴史の物語の中に隠されているのです。さあ、畳職人の私と一緒に、時を超えた歴史の旅に出かけてみましょうか。
・物語は江戸時代から!一人の商人が持ち帰った一株の苗
今から遡ること約360年以上、江戸時代前期のこと。大分の歴史における七島イの物語は、一人の商人の情熱から始まりました。その方の名は、橋本五郎左衛門。彼が、当時貴重品であった七島イの苗を、薩摩(現在の鹿児島県)から持ち帰ったのが全ての始まりだと伝えられております。
驚くべきことに、当時この苗は藩の外へ持ち出すことが固く禁じられていた、という説もあるのです。それを、彼は一体どのような想いで、そしてどれほどの苦労をして、故郷である大分の地に持ち帰ったのでしょうか…?想像するだけで、その熱意に胸が熱くなってしまいますね。
この、たった一株から始まった苗が、何百年にもわたって続く大分の畳文化の礎を築いたのですから、まさに歴史を動かした、偉大な一歩だったと言えるでしょう。
・日本一の産地へ!大分と七島イの栄光と知られざる過去
橋本五郎左衛門が持ち帰った七島イは、大分の温暖な気候と水はけの良い土地にぴったり合っていたようです。栽培はまたたく間に広がり、特に今回の発見場所である大分川沿いの滝尾地区や下郡地区は、その一大中心地として大きく発展いたしました。
最盛期には、日本の七島イ生産のなんと8割を占めるほどの、まさに「日本一の産地」へと成長したのですから、その勢いには目を見張るものがありませんか。
1954年の大分市の広報誌には、品質を上げるための市の施設があったという記録も残っているくらいです。当時の大分市が、いかにこの七島イの生産に力を入れ、地域全体で盛り上げていたかが分かる、貴重な記録でございます。
しかし、その栄光の時代は、残念ながら長くは続きませんでした。七島イの栽培は、そのほとんどが手作業。非常に手間がかかり、機械化が難しい作業が多かったのです。
そのため、日本が豊かになっていく高度経済成長期に入ると、より安価で大量生産できる化学表や、栽培しやすい普通のい草に押され、農家の方々は次々と栽培をやめてしまいました。
ほんの60年ほど前まで、あれほど活気に満ちていた産地が、あっという間に歴史の表舞台から姿を消してしまった…。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、一人の畳職人としては、本当に寂しく、そして悔しい気持ちになります。
・歴史の語り部「来迎寺」。地域と畳が紡いだ深い絆
今回の発見のニュースで、非常に重要な役割を果たしているのが「来迎寺」というお寺の存在です。
実はこのお寺には、先ほどお話しした七島イを大分に伝えた橋本五郎左衛門のお墓や、その販路を切り拓いた商人のお墓が、今も大切に守られているのです。つまり、このお寺は七島イの歴史そのものを何百年も見守り続けてきた、まさに「生きた博物館」のような場所なんですね。
さらに驚くべきことに、檀家さんの多くが、そのご先祖が七島イの栽培や販売に携わっていたとのこと。檀家の皆さんにとって、七島イは単なる作物ではなく、生活そのものであり、地域の誇りだったに違いありません。
だからこそ、お寺の代表の方は「なんとか生き延びていないか」と、ずっと探し続けておられたのでしょう。その長年の熱い想いが、今回の奇跡の発見に繋がったのかと思うと、本当に感動的ではありませんか?
こうして見てみると、大分市の川辺で見つかった一株の草が、単なる偶然ではないことがお分かりいただけるかと思います。そこには、江戸時代から続く人々の営みと、文化を想う熱い心が、確かに込められているのです。
では、この奇跡の発見を、私たちはどう未来へ繋いでいけばいいのでしょうか。次の章では、畳職人として今、思うことを率直に語らせていただきます。
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■「よく生き延びていたな…」畳職人が感動した、この発見が現代に伝えるメッセージ

これまでの章で、七島イという素材の素晴らしい魅力と、大分の地で紡がれてきた壮大な歴史の物語をお話ししてきました。いかがでしたでしょうか。
この章では少し視点を変えて、このニュースに触れた時、私自身が畳職人として何を感じ、何を考えたのか。この奇跡的な発見が、現代に生きる私たちに投げかけているメッセージについて、私の率直な気持ちをお伝えしたいと思います。
ニュースの中で、発見のきっかけとなった来迎寺の代表の方がおっしゃった「よく生き延びていたな…」という、あの短い一言。この言葉には、本当に万感の想いが込められていると私は感じました。そして、テレビの画面の前で頷いていたのですが、私も全く同じ気持ちでございます。
・当たり前じゃない。失われゆく技術と文化の尊さ
今の時代、私たちはスマートフォン一つで何でも手に入り、すぐに届く便利な世の中に生きていますね。しかし、その利便性の裏側で、どれだけ多くの素晴らしい手仕事や、手間暇のかかる文化が静かに消えていっているのでしょうか。
私たち畳の世界も、残念ながらその例外ではありません。安価な海外産のい草や、工業製品である化学表が市場にあふれ、昔ながらの製法で国産の高級な畳を作る職人や、それを支える農家さんは、年々減ってしまっているのが偽らざる現実でございます。
そんな中で、商業主義や効率化の波にのまれて、60年も前に地域から消えたはずの七島イが、ひっそりと、しかし確かに生き続けていた。この事実は、「本当に価値のあるものは、効率や値段だけでは測れないんだよ」と、私たちに力強く教えてくれているように感じませんか?
この発見は、手間を惜しまず、本当に良いものを作り続けることの価値と尊さを、改めて私たちの胸に深く刻ませてくれる、本当に大きな出来事でした。
・一株の草に宿る、自然の生命力と歴史の重み
少し想像してみてください。誰かに特別に世話をされるわけでもなく、大雨の時には濁流に流されそうになり、夏の厳しい日差しに照らされ、冬の寒さに凍えながら、たった一株で60年以上も命をつないできたのです。その生命力たるや、凄まじいものがありませんか。
そして、その根っこには、江戸時代に夢を抱いた一人の商人の情熱が、日本一の産地として栄えた時代の活気が、さらには衰退していく産地を寂しく見守った人々の悲しみが、まるで記憶の年輪のように全部詰まっているような気がしてなりません。
それはもう、単なる植物という存在を超えて、地域の歴史を記憶したタイムカプセルのような存在ではないでしょうか。その小さな一株が背負っている、あまりにも重い歴史の物語を思うと、ただただ頭が下がるばかりです。私たちは、自然に対してもっと謙虚にならなければいけないのかもしれませんね。
・私たちが本当に受け継ぐべきものとは?
私たち畳職人の仕事は、お客様から注文を受けて、新しい畳をお部屋に納めることだけではない。私は常々そう考えております。
その畳一枚一枚に込められた歴史や物語、い草や七島イといった素材が育ってきた背景、そしてそれを作った職人や農家さんの想い。そういった「目に見えない価値」を、お客様にしっかりとお伝えしていくこと。それこそが、私たちが本当に受け継ぎ、未来へ伝えていくべき大切な使命なのではないでしょうか。
今回の七島イのニュースは、「前田さん、あなたたちの仕事には、そういう大事な役割があるんですよ」と、改めて背中をポンと押してくれたように感じています。
だからこそ、私はこれからも、ただ単に商品を売るのではなく、畳の持つ素晴らしい物語を、自分の言葉で語り続けていきたい。そう強く心に誓った次第でございます。
さあ、いよいよ次が最後の章です。この感動的な物語を、私たちはどう未来へ繋いでいけばいいのか。私なりの考えをまとめてみたいと存じます。
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■大分市から始まる新たな一歩。この発見を未来の畳文化へどう伝えるか

江戸時代から続く壮大な歴史、い草とは全く違う驚きの魅力、そして、この発見が私たちにくれる感動とメッセージ…。ここまで、大分市で見つかった一株の七島イが持つ、計り知れない価値についてお話ししてきました。
さて、いよいよこの記事も最後の章となります。この胸が熱くなるような物語を、私たちはただ「良い話だったね」で終わらせてはいけない、と私は強く感じております。
では、この奇跡的な一歩を、一体どうやって未来の豊かな畳文化へと繋いでいけばいいのでしょうか。畳職人として、そして日本の文化を愛する一人として、私なりの考えを最後にお話しさせてください。
・希望の光!「株分け」という未来へのバトン
今回のニュースの中で、私が最も心を動かされ、そして「これこそが未来だ!」と感じたことの一つがございます。それは、発見のきっかけとなった来迎寺さんが、今後この七島イを「株分け」して、希望する檀家さんたちに育ててもらうことを考えている、というお話でした。
これは、本当に素晴らしい取り組みだと思いませんか?
この歴史的な一株を、貴重なものとして博物館に飾るようにただ保存するのではなく、再び人の手で慈しみ、育て、増やし、そしてその土地に再び根付かせていこうというのですから。
文化の継承とは、まさにこういうことなのかもしれません。専門家や私のような職人だけが声高に守ろうとするのではなく、その地域に住む一人ひとりが「これは私たちの地域の宝物なんだ」と感じ、少しずつ関わっていく。
その温かい想いの輪がじんわりと広がっていくことこそが、どんな法律や補助金よりも強く、文化を未来へ繋ぐ大きな力になるのだと、私は信じております。
大分市の皆さんの手によって、いつかまたあの川辺が、かつてのように七島イの緑で彩られる日が来るかもしれない…。そんな明るい夢を抱かせてくれる、本当に希望に満ちたお話ですね。
・あなたのお部屋の畳から、歴史を感じてみませんか?
この壮大な物語を知っていただいた今、皆さんにぜひ試していただきたいことが一つあります。それは、ご自宅の和室の畳を、もう一度じっくりと眺めて、できればそっと素手で触れてみることです。
その畳が、もし熊本などで作られた国産のい草で織られたものなら、そこには日本の農家さんの汗と努力、そして何百年も改良を重ねてきた技術が詰まっています。たとえ海外産のものであっても、それはそれでグローバルな物流の中で、本当にたくさんの人の手を経て、はるばる海を越えてあなたの元へやってきたのです。
どんな畳にも、一枚一枚にそれぞれの物語があります。ただの床材としてではなく、長い歴史と文化のバトンを受け取った最先端の「作品」として見てみると、いつもの和室が少し違った、愛おしい景色に見えてきませんか?
私たちの仕事は、その物語をお客様の暮らしの空間にお届けすること。ぜひ、あなたの家の畳にも、これまで以上の愛情を注いでいただければ、これほど嬉しいことはございません。
・【まとめ】畳を選ぶことは、未来の文化を選ぶこと
大分市で見つかった、たった一株の七島イ。この小さな、しかしあまりにも偉大な草は、私たちに本当に多くのことを教えてくれました。
それは、私たちが日々の暮らしの中で何気なく「選ぶ」という行為が、実は未来の文化を創り、未来の景色を決定づけている、ということではないでしょうか。
国産の畳を選ぶことは、日本の農家さんや私たち職人の技術を、未来に残そうと応援することに繋がります。
今回お話しした七島イのような希少な畳を選ぶことは、失われかけた日本の宝物を守り、育てるという文化活動への、力強い一票になります。もちろん、暮らしに合わせて安価な畳を選ぶことも、それぞれの家庭にとっての大切な選択でございます。
一番大切なのは、その一枚の裏側にある物語を知り、少しだけ思いを馳せてみること。畳を選ぶことは、あなたがどんな未来の文化を応援したいか、という意思表示そのものなのです。
この記事が、皆さんの暮らしと、日本の素晴らしい畳文化の間に、新しい素敵な橋を架けるきっかけになれば、畳職人として望外の喜びでございます。
最後まで長い時間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。

【執筆者】前田畳店 代表 前田昌俊
・岩手県盛岡市で60年以上続き地元の皆様に愛され続けている
前田畳店の二代目店主
・畳、襖、障子、壁紙、網戸の張り替えと襖紙販売店『和紙屋』代表
・現在登録者9000人の襖系Youtuber
youtube.com/@tatami777
・畳技能士資格、畳職人指導員資格と壁装技能資格を保有
・『お客様への真心』が仕事の原点。これからもその信念を大切に貫く52歳
【前田畳店の紹介】
盛岡で創業60年の信頼と実績!
たたみ、ふすま、しょうじ、カベ紙、アミ戸の張替えリフォームは
畳製作技能士一級・畳訓練指導員、壁装技能士1級、2級在籍の
前田畳店・インテリアマエダ
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