マーケター。本屋のバリューについて考える①
本屋は本を売る場所ではないのかもしれない。本屋は、本というコンテンツを使った「メディア」だ。
こんにちは。「本屋を始めたい夫婦」の夫です。
僕はマーケティング畑の人間なので、本屋をやるにしても、本屋の「バリュー」が明確に見えてこないと動けない。
結局、マーケティングというのは「あなたが求めるバリュー(価値)は、この商品によって満たされますよ」と伝える仕事だ。
顧客が求めるバリューを認識していて、その商品がバリューを満たすことができるなら、マーケティングは非常に楽。
髪からいい匂いが漂うことにバリューを感じる人に、このトリートメントはいい匂いが漂いますよと伝えてあげればいい。もちろん、いい匂いが漂うことのバリューはもっと多様化しているし、競合も同じことを謳うのでいろんな工夫は必要だが、ロジックとしては非常に単純だ。
一方、顧客が明確にバリューを認識していないケースもある。キャバクラやホストクラブに行かない人間は、あそこにどんなバリューがあるのかわからない。だから行かない人間は一生行かないし、広告を見て「ちょっと行ってみるか」とはならない。
マーケティングとは「あなたが求めるバリュー(価値)は、この商品によって満たされますよ」と伝えることであり、コピーライティング、クリエイティブはそれをどう表現するかというテクニックの話。テクニックも大事だし、メッセージを届けるための広告施策や購買体験のコントロールも重要。
でも、大元のバリューが見当違い、顧客が求めるバリューを取り違えたり、商品が約束したバリューを満たす機能を提供できなければ、マーケティングは土台から崩れ去る。
なので、「本屋をやりたい」というくらいだから、「本屋」という商品にお客さんが求めるバリュー、こちらが提供できるバリューを定めないといけない。
これは1日で考えるようなことではない。というか、今この場で「これ」というものが見つかっていたら、僕はすでに本屋をやって成功してると思う。実際にやらないと見えてこないところもあるし、実際にやってお客さんと触れ合うことで少しずつ見えてくる部分もある(手探りでお客さんと向き合いながら少しずつバリューが形作られていくケースもある。店舗ビジネスなんて特にそうだろうと思う)。
今回はあくまでもさわりとして、「本屋」が提供できるバリューを考えてみようと思う。
焼酎ハイボールを飲みながら自分の頭で考えてもいいが、今は2026年。アイデア出しには僕の200倍適任がいる。24時間365日、いつでも、ほとんど無料で、素晴らしいアイデアを出してくれるパートナー。そう、AIだ。
僕は普段、GeminiとClaudeを使っているので、彼らに
本屋の役割ってなんですか?
「本との出会い」以外でリストアップしてください。
と聞いてみた。他にはなんの情報も与えない。できるだけフラットに、考えるとっかかりになるアウトプットを得たい。
こだわったのは「本との出会い」以外、という部分。
ここは当たり前すぎて話が広がらない。
というか正直、「本との出会い」をメインのバリューに置くなら「Amazonが最強やん」となる。
あのレコメンドシステムは無限に新しい本と出会わせてくれて、油断したらカートに何十冊も貯まることになる。本屋には置いていないニッチジャンルの本もあれば、まだ本屋に流通前の本がおすすめされ、予約購入することもできる。
「本との出会い」の最適解が「本屋」だとは思わない。Amazonが最強だが、書評系Youtuberやブロガーも素晴らしい出会いを提供してくれるし、なんならAIに「僕が知らない、でも僕が好きそうな本をリストアップして」と言えばいくらでも新しい出会いを提供してくれそうだ。
「本屋」にしても、本との出会いをメインのバリューにするなら、都市型大型書店の方が圧倒的に強い。僕がイメージしている小さな街の本屋さんが、「本との出会い」において梅田蔦屋書店を超えられるとは思えない。
お客さんが「本屋」に感じるバリューって何?
「本屋」がお客さんに提供できるバリューって何?
Amazonや書評系Youtuber、AIにはできないことは?
都市型の大型書店ではなく街の本屋でないとできないことは?
案外難しい。
さて、AIはどう答えるか。
まずはClaudeの回答から。
「本屋の役割」Claudeの回答
本屋の役割(「本との出会い」以外)
文化・知的インフラとして
地域の知的コミュニティの拠点(読書会、サイン会、トークイベントの開催)
書店員による「目利き」文化の継承(レコメンドやPOPを通じた批評的な知の発信)
ローカルな文化の可視化(郷土本・地域作家の発掘と発信)
経済・産業的な役割
出版流通の末端を支える物理的インフラ
中小出版社・インディペンデント著者の販路確保
雑誌・新聞など定期刊行物の安定した配布拠点
社会的な役割
「ふらっと入れる」公共的な居場所(図書館とも商業施設とも違うサードプレイス)
世代・属性を問わない混在空間(子どもから高齢者まで同じ棚を見る場)
情報格差の緩和(ネット環境がなくても情報・知識にアクセスできる場所)
認知・情報的な役割
「検索しないと出会えない情報」を空間的に提示するキュレーション機能
トレンドや社会の関心を「棚の構成」として可視化するメディア的機能
立ち読みによる「コストゼロの試し読み」文化の維持
精神的・体験的な役割
紙・印刷・装丁といった物質的な体験の提供
「買う前の逡巡」という意思決定の練習の場
本が並ぶ空間そのものがもたらす安心感・非日常感
改めて整理すると、本屋は「本を売る場所」というより、知・文化・コミュニティをつなぐ物理的なノードとして機能しているとも言えますね。
どれも納得のいくものばかりだが、特に気になったのは「ローカルな文化の可視化」と「メディア的機能」
これは確かに「本屋」という形式だからこそ提供できるバリューだと思う。コミュニティ拠点は他にもいろんな形がありえるし、「販路確保」とかは他にもっと適した形があるけど、この2つは本屋ならではだと思う。
ローカルな文化、つまりインターネットの情報洪水に埋もれてしまうようなコンテンツは、ローカルな場所でなければ発見が難しい。
「メディア的機能」もハッとさせられた。「本屋」という存在を全体で1つの「メディア」と捉えればいろんな役割がありそうだ。本屋の平置きコーナーは新聞の一面のようなものだが、新聞とは全然形式・役割が違う。おすすめ本を紹介するYoutuberとも違う。
「メディア」という意識で、特定のメッセージ・役割を持って平置きコーナーを作る。お客さんは平置きコーナーの一覧性と、表紙という重要な情報が厳選された状態で並んでいる場所から、一冊を手に取る。
本というコンテンツを並べて1つのメディアを作るのが本屋。
この感覚はわかる。大型書店を一回りすれば、世の中で流行っていること、世間の関心ごとがなんとなく理解できる。「世の中の流行りを知るためのメディア」が大型書店だ。
小さな独立系書店にいくと、そこにはオーナーの趣味や思考が現れたメディアになっている。
僕という存在が本というコンテンツを通じてメディアを作るなら、どんな空間ができるか。この切り口はもうちょっと深掘りしてみたい。
「本屋の役割」Geminiの回答
本屋の役割は、単に「本を売る場所」や「新しい本を見つける場所」にとどまらず、社会や個人に対して多層的な機能を持っています。「本との出会い」以外の視点でリストアップすると、以下のような役割が挙げられます。
地域の「サードプレイス」・コミュニティ拠点
職場でも家庭でもない、誰もが等しくアクセスできる「第3の居場所」としての役割です。
街の止まり木: 目的がなくても立ち寄ることが許され、静かに時間を過ごせる公共性の高い空間。
文化的な交流: トークイベントや読書会などを通じて、共通の関心を持つ人々が繋がるプラットフォーム。
地域のランドマーク: 「あの本屋がある街」という、地域のアイデンティティや安心感を醸成する存在。
文脈(コンテクスト)の提示と編集
ネット検索のような「点」の情報ではなく、棚割という「面」を通じて世界の見せ方を提案する役割です。
情報のフィルター: 膨大な出版物の中から、店主や書店員の視点で「今、これを読むべき」という価値観を提示する。
偶然の知の体系化: 関連性のないジャンルが隣り合っていることで、異なる知識が結びつく「情報の編集」機能。
キュレーション: 流行に流されない独自の選書により、特定の文化圏や思想を守り伝える。
身体的・感覚的な体験の提供
デジタルでは代替できない、五感を通じた体験の提供です。
情報の質量の体感: 本の重さ、紙の質感、装丁の美しさなど、物質としての本に触れる体験。
空間のアンビエント(環境): 静寂、紙の匂い、落ち着いた照明など、読書意欲を高める環境そのものの提供。
セレンディピティの誘発: 自分の背丈や歩く速度に合わせて情報が目に飛び込んでくる、身体的なブラウジング。
知のインフラ・文化の防波堤
社会の知的水準を支え、多様な意見を保持するインフラとしての役割です。
マイノリティの肯定: ネットでは埋もれがちな、ニッチで深い専門書やリトルプレスを手に取れる状態にしておく。
思考の避難所: 効率や生産性が重視される社会から離れ、立ち止まって深く考えるための「思考の安全圏」。
文化の保存: 商業的な成功だけでなく、後世に残すべき価値のある言葉や思想を流通させ続ける。
メンタルケア・自己対話の促進
個人の内面的な充足や、精神的な回復を支える役割です。
心の調律: 棚を眺める行為そのものが、自分の今の関心事やストレス状態を客観視する「内省」の時間になる。
癒やしと励まし: 誰にも言えない悩みに対して、著者という他者が寄り添ってくれる「言葉の処方箋」を探す場所。
本屋は、情報の「物流拠点」であると同時に、人々の「精神的なインフラ」としての側面を強く持っています。どの役割を強調するかによって、その書店の個性(キャラクター)が決まってくるとも言えるでしょう。
「サードプレイス」という立ち位置は、確かに本屋が提供できるバリューではあるけれど、正直、本質ではないと思う。僕が住む大阪にはサードプレイス的な場所、コミュニティ拠点となり得る場所は他にもたくさんある。
「知のインフラ」や「メンタルケア」も同様に、確かにそうした役割はあるけど、本質ではないと思う。ありとあらゆる本が揃い、離島にまで届けてくれるAmazonの方がよっぽど「知のインフラ」だし、メンタルケアは主たるバリューになり得ない。そのバリューを必要とする人がいくべき場所は別にある。
(これは本屋にそういう役割がない、という話ではなく、あるけど、主たるバリューとして提供する物ではないよね、という話。本屋にいる時間の言葉にできない充実した感じはメンタルケアに効果があると感じるけど、それを求めて本屋に駆け込むほど追い込まれているなら病院に行った方がいい)
「文脈(コンテクスト)の提示と編集」はClaudeの言っていた「メディアとしての役割」にかなり近いと思う。やっぱりこの辺が重要なキーワードになりそう。
世の中に溢れかえる本。出版不況と言われながら、本の数はどんどん増えている。読みたい本を読み終えるよりずっと早いペースで、次に読みたい本が現れる。
本屋は、そんな状況に歯止めをかけるメディアなのかもしれない。
実際体感として、僕は本屋でもAmazonでも本を買うが、読了する率は本屋で買った本の方が高いと思う。ペースが合うんだ。Amazonはカートに入れた次の瞬間、さらに面白そうな本を見せてくる。結果、大量に買って読まずに放置するケースが多い。
一方、本屋は物理的なスペースの限界があり、手に取った瞬間、「この本もいいよ!」と営業されることもない。手に持てる分だけ、その本の厚みとか、パラパラめくって読み応えを確かめて、読めそうな分だけ買って出ることができる。
これは確かに、物理的なスペースに限りがあり、棚という形で区切られ、店主の好みなのか何かしらの基準によって選書された本屋が提供できるバリューなのかもしれない。
そのためにあえて小さく、個性にあふれた空間として、本屋というメディア(媒体・手段)をデザインする。
今日はここまで。AIに短い質問を投げて、表面をなぞっただけ。まだまだ考えを深めていかないといけない。ぼんやり描きながら考えたことをAIに聞いてもっと深掘りしてもいいかもしれないし、ちょっと「本屋をやりたい!」の解像度が上がってきた上で、いろんな本屋2で歩いて僕自身がどんなバリューを感じたのか、この空間はどういうメディアなのかを考えてみる。
そんなふうにして、ちょっとずつ解像度を高めていく様子をnoteに残しておきます。
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