AI時代に本屋かよ
〜ストーリー〜
突如「本屋を始めたい」と言い出し、妻に無断でnoteを立ち上げた夫。縁あって妻が書店員として働き始め、修行中。夫(僕)は書店業界に関する本を読んだり、資金調達や支援施策を調査。本屋業界やビジネスモデルが少しずつ見え、本屋のレジに立つ自分の姿もぼんやりイメージできてきたけど、そもそも…
こんにちは、本屋を始めたい夫婦の夫です。
「本屋を始めたい」と周りに言い出して2ヶ月ちょっと。本屋に関する本を読んだり、本屋開業の勉強会に参加したり、カフェメニューを考えたり、開業資金の融資について調べてみたり…
なんだかんだ、前に進んでいる気はするんですが、今日はそもそも「本屋をやること」について。
僕が本を読み始めた頃から、本屋は斜陽産業、読書離れと言われてきた。僕も高校、大学の頃に比べ、働き始めると本を読む量はずいぶん減った。
さらに今や、AI時代。
情報を手に入れるだけならAIで事足りる。そんな時代に本を読む意味があるのか、本屋をやる意味があるのか。考えてみたいと思います。
AI肯定派

まず、僕はAI肯定派で、仕事・プライベートでめちゃくちゃ使ってます。情報感度はそれなりに高い方だと思うし、ChatGPTは2022年末、リリースされてすぐに使い始めた。仕事でAI技術に関するレポートを書いたことも何度かある。今も課金しているAIツールが複数ある。
なので、AIのすごさ、役割については理解しているつもり。少なくともアンチではない。
AIは間違いなく、人類文明を一歩前に進める産業革命だと思う。認知革命の以前以後で人間の在り方が変わったように、農業革命の以前以後で人生の流れが変わったように、産業革命の以前以後で人の役割が変わったように、AI以前と以後で、人間の知能や能力が持つ意味は大きく変わると思う。
僕はマーケティング分野で働いているけど、AIの登場によってマーケティングに求められるスキルや仕事内容は大きく変わった。これはもう不可逆な変化。
それなのになぜ、AI時代に逆行するように、本屋をやりたいと言っているのか。
自分の中でもうまく言語化できていないことなので、三段階で考えてみたいと思います。
まずはそもそもの「本を読むことの価値」について。当たり前だけど、本を読むことに価値がなければ、本を扱う本屋の価値もない。情報を得る、学ぶだけならいろんな方法がある。Youtubeも勉強になるコンテンツがめちゃくちゃ増えているし、AIを使えば、大体の知りたいことは教えてくれる(本屋を始めるにあたって資金調達方法を調べる時なんかは、めちゃくちゃ役立っている)。
次は「紙の本を読むことの価値」について。本を読むことに価値があったとして、紙の本である必要はあるのか。電子書籍だっていいんじゃないか。もし電子書籍でいいなら、紙の本を扱う本屋の価値はなくなる。
そして最後に「本屋の価値」について。本を読むこと、それも紙の本を読むことに価値があったとして、本屋があることの意味はなんだろう。Amazonで注文すれば、翌日に届く。僕もAmazonで本を買うことがあるし、メルカリで中古本を買うこともある。わざわざ手間をかけて本屋にいく意味はあるのか。
これは僕が今の段階で考えていることなので、本屋業界についてもっと詳しくなるにつれ、意見が変わってくるかもしれない。AIがさらに飛躍的に進化すれば、話が変わってくるかもしれない。それでも今、考えていることを残しておくことには、きっと意味がある。
本を読むことの価値

本を読むことの価値。これはAI時代にも変わらないと思う。いや、厳密には変わるものもあるけど、むしろ強化される部分もあって、総和として「本を読むこと」の価値は変わらないと思う。
AIを使って、ちょっとしたノウハウや情報を得るのは簡単になった。Youtubeを見るとテキストだけではわからなかったこともわかる。
この点で、ちょっとしたノウハウや情報を得ることが目的の本の価値は下がると思う。
わかりやすいのが雑誌。
雑誌はいろんなノウハウ・情報が手軽に手に入る。でもそうした情報の多くは、AIやYoutube動画、フォーマットの制限のないウェブメディアの方が向いている。
なので、雑誌については、今の形で読むことの価値が減っていくんじゃないかと思う。おすすめの美術展特集とか、Best Buyリストとか。そういうやつ。
ちょうど先日、「ダ・ヴィンチ」の休刊が大きなニュースになった。「ダ・ヴィンチ」は雑誌という形で提供することに付加価値がある雑誌だと思うけど、それでも紙で印刷して全国に届けることとのコスパが合わなくなってきたんだろう。
僕自身、何冊かのビジネス・経済雑誌を定期購読していたけどやめてしまった。最新のビジネスニュースや経済トレンドを知りたければ、他に入手方法がいくらでもある。信頼面の点で足りない部分があるとはいえ、その辺は技術の進歩とともに解決していくはず。
もちろん、雑誌という形にまとまることのメリットはある。
けど、雑誌で得られる情報そのものが目的なら、多くの場合、AIでいいと思う。
イメージ的には、ウェブメディアの記事くらいの情報のまとまりの集合体みたいなものは、印刷・配送コストに見合わなくなっていき、AIで代替されていく。
ノウハウ・ハウツーも、動画やAIに置き変わっていくと思う。手順を理解するなら動画の方がわかりやすいし、AIに聞きながら自分のわからない点をしっかり教えてくれた方が身に付く。
じゃあ本を読む価値がないように思えるが、一方で別のタイプの本に関しては、逆に価値が高まると思う。
インスタントな情報の価値が下がる一方、しっかり体系立てられた知恵、文脈を持ったもの、個人の実体験に基づくもの。これらは価値が上がる。
他のメディアでは、すでにこの動きが起こっている。
音楽サブスクの登場で、音楽が実質無料で無限に聞けるようになった一方、リアルなライブ・コンサートの価値は高まっている。
コンサートプロモーターズ協会のデータによると、コンサート市場の売上は、コロナ禍の減少を除いて綺麗な右肩上がりを続けている。20年前の2006年に924億円だった売上規模は、2025年には6443億円と、7倍近くに増加している。コロナ前の2019年は3665億円だったので、それと比べても1.7倍もの成長。
一方、動員数を見ると2006年は1978万人、2019年は4954万人、2025年は5999万人。つまり20年で3倍、コロナ前と比べても1.2倍になっている。
動員数が3倍になる間に、売上は7倍。動員数が1.2倍になる間に、売上は1.7倍。これは一人一人がコンサートにより多くのお金を払っている=より高い価値を感じている(インフレの影響もあるけど)ことだと思う。

映画にも似たような動きがある。ネトフリみたいな動画サブスクが登場し、実質無料で映画が見れるようになった今、過去最大の興行収入が連発している。2001年以来、およそ20年間、日本の興行収入ランキングは「千と千尋の神隠し」が不動の一位だった。でも2020年に鬼滅の刃無限列車編がランキングを更新し、2025年にも鬼滅の刃が千と千尋の記録を超えた。映画「国宝」は22年ぶりに邦画実写映画の記録を塗り替えた。
サブスクで音楽や映画が実質無料になったことで、コンサートや映画館に行くことなど、体験の価値が増している。
AI時代に単なる情報・ノウハウの価値が実質無料になるからこそ、まとまった知恵や個人的な実体験、本を読むという行為から得られる体験の価値は高まっていくと思う。
近年、ZINEが話題になっていることもそれが要因だと思う。ZINEの市場(いわゆるZINEと呼ばれるものだけの統計はないので、同人誌の数字)は2020年の741億円から、2024年には1300億円と、出版不況と言われる中、右肩上がりで成長し、ほぼ倍増している。
ZINEの多くは単発のノウハウを伝えるものではなく、個人の実体験や尖った趣味嗜好に根差したものが多い。そうしたものはAIで代用しようがない。本質的には代用できるのかもしれないけど、AIに個人の実体験を代わりに体験させアウトプットさせるとなると、コスパが悪すぎるし、AIを開発しているビッグテック達からすればゼロに等しいニッチ市場に参入して代替する意味もない。
結論:
単に情報を得る、ノウハウやハウツーを知るという分野は、AIなど新しい技術、動画メディアに取って代わられる可能性が高い。でも、「読む」という体験に根差したものや、市場が存在しないようなニッチジャンルに関しては、むしろ「AIでは得られない情報」として価値を高めていく。
紙の本を読むことの価値

一部の本はAI時代に価値を増すという仮説が正しいとして、「紙の本」となるとどうだろう。
紙の本ははっきり言って、無駄が多い。
印刷コストがかかる。誤字脱字一つ修正するのもものすごいコストなので、何度も校正校閲しないといけないので、情報の鮮度も下がる。環境負荷も重いだろう。配送コストもバカにならない。ドライバー不足であらゆる業界が苦しんでいるのに、紙の本を全国津々浦々に届けることに意味はあるのか。
僕はあると思う。
人間はどこまでいってもフィジカルな存在であって、デジタル世界だけで生きていけるわけじゃない。電子書籍はあるけど、正直、コミック以外はほとんど伸びていない。2025年の電子書籍市場は5815億円。そのうちコミックが5273億円。90%がコミック。その伸びも、鈍化してきている。

伸び率は2023年に7.8%、2024年に6%、2025年に2.9%と鈍化してきている。
マトリックスの電脳世界みたいなものが実現すれば話は変わるけど、人間がフィジカルな存在であり続ける限り、紙の本はなくならないと思う。
500ページの本を電子書籍で読むとか、正直無理。僕は7年くらい前、Kindle Oasisという当時Kindleの最上位機種を買ったけど、読めて短編。長編は無理。人によるのかもしれないけど、電子書籍のほうが学習効率が低いという研究もある。僕の体験としてもそう。
あと電子書籍には、致命的な欠陥がある。
それはプラットフォームに依存するということ。
紙の本はたとえ出版社が潰れても手元に残る。手元どころか、大切に保管すれば何百年と引き継ぐことができる。僕たちが生きる社会の基盤は、紙の本として印刷されて残されたものの上に成り立っている。
でも電子書籍は、プラットフォームがサービス終了すれば、存在自体がなくなる。もし過去の偉人たちが書いた著作が、電子書籍でしか残されていなくて、プラットフォームのサービス終了とともに失われてしまっていたとしたら、社会の進歩はめちゃくちゃ遅くなると思う。
そのリスクは、変化が速い現代だからこそより重要。
ある著者が出した作品が、倫理観の変化によって大炎上して、絶版になったり、回収されたりすることがある。電子書籍しかなければ、その作品の存在そのものが消えてしまう。でも倫理観や価値観は時代とともに移ろい変わるもの。もし残っていたら100年後にものすごく高く評価され、人類を前に進める作品になっていたかもしれない。
16世紀ごろにバルダッサーレ・カスティリオーネが書いた「廷臣論」は先進的な男女平等を説いたけど、当時の倫理観と合わず、400年も禁書指定されていた。もし電子書籍のようにプラットフォームの一存で消すことができるものだったら、存在ごと消えていたと思う。
とはいえ電子書籍にもメリットはある。手っ取り早くノウハウやハウツーが欲しいものなら電子書籍の方がいい。必要な情報をサクッと探せる検索性は、紙の本にはない(でもそれなら、AIや動画の方がいい)。
僕はコミック以外の分野で電子書籍が伸びていくイメージがあまり沸かない。
電子書籍にもメリットは色々あるけど、紙の本を完全に代替するものではない。音楽がスマホで聴けるからコンサートにいく必要がないわけじゃないし、ネトフリで映画が見れるから映画館が必要ないわけでもない。
人間ってそういうもんじゃないと思う。
万能サプリと水だけで生きていけるからといって、食事が不要なわけじゃない。ユニクロの服だけで生活に困らないからといって、365日同じ服で過ごせるわけじゃない。
AIが進化して、面白い話を無限にしてくれるからといって、紙の本を開いて半日かけて読む長編から得られる体験の価値が下がるわけじゃない。
話は逸れるけど、AIによってダメージを受けるのは、ウェブメディアやSNSだと思う。
ウェブメディアが大量に出す即時性の高いニュースや時事ネタなんかは、多分どこかでAIに置き換えられる気がする。ま、AIに取材はできないし、一次ソースは人間が取らないとどうしようもない部分もあるけど、他メディアが出したニュースをちょこっと編集して出してるメディアなんかは、あんまり価値がなくなるんじゃないだろうか。AIが僕の好みに合わせて編集してくれた方がよくなりそう。
SNS疲れという言葉もあるけど、AIによって加速しそう。Xとか、本当に人間が書いているのだろうか。すでにかなりの割合がAIになっている気がする。それが刺激的で面白くしている部分もあるだろうけど、そのうち逆転しそう。
結論:
人間がフィジカルな存在である限り、紙の本がなくなることはあり得ない。もし紙の本が無くなり電子書籍やAIだけで事足りるようになったとしても、プラットフォームの一存で存在ごと消える可能性のある電子書籍や、散乱したAI生成物だけでは、人類の知恵として蓄え、次の世代に引き継ぐことはできない。電子書籍に置き換わるものもあるけれど、置き換わらないものも必ずある。
本屋の価値

本屋の価値。正直、ここが一番あやしい。僕自身、紙の本を読むけど、結構な数Amazonで買ってきた。
でも本屋には、本屋にしかできない価値がある。
先日、書店員の妻とこんな会話をした。
妻「今年W杯あるん?」
夫「知らん。なんで?」
妻「本屋でW杯の本を買っていく人が多いし、週刊誌がW杯とコラボしてたから」
何気ない会話だけど、僕はこの中に本屋の価値の一端があると思う。
僕も妻もサッカーに興味がないし、テレビも見ないから、W杯があることを知らなかった。でも本屋にいることで知ることができた。
AI時代、SNS時代の今、興味のない情報は本当に入ってこない。僕がW杯についてGeminiに聞くこともないし、僕のタイムラインにW杯の情報が流れてくることもほとんどない。
いや、興味ないなら知らなくていいじゃん、と思うかもしれないけど、興味がないモノと出会うきっかけさえないというのは恐怖。もしかしたら興味を持ったかもしれない膨大な何かを、「興味がない」と認識することもなく見逃し続けてしまう。
本屋に限らず、いろんな分野で同じことを感じている。
中高生の頃、学校帰りにTSUTAYAに寄って邦楽ランキングを毎週見ていた時、いろんなアーティストを知ることができた。好きなモノ、好きじゃないモノに出会う中で、自分の好みがわかるようになってきた。
でも最近、サブスクで流しているだけなので、聴いているアーティストの種類がめちゃくちゃ少ない。それも似たようなアーティストばかり聴いている。それどころか、同じアーティストの曲だと思っていたら別のアーティストの曲だったり、何度も聴いているのに曲名やアーティスト名がわからないこともある。
音楽を聴く体験としては、正直悪くない。でも、もしかしたらもっと好きになるかもしれないアーティストを大量に聞き逃してしまっている。
そこでびっくりするくらい僕の中で価値が高まっているのが、TVerで見るエイトジャム。全く知らないアーティストに出会うことができるし、エイトジャムでハマったアーティストもたくさんいる。でもしばらくすると僕のサブスクはエイトジャムでであった新しいアーティストだらけになってしまう。
中学時代に初めて買ったCDのタイトルや曲のメロディは思い出せるのに、1年前、2年前に好きでよく聴いていた曲のタイトルを思い出せない。
冷静になると、ちょっとゾッとする。
話がズレたけど、Amazonと本屋の違いもここにあると思う。
Amazonのレコメンドはめちゃくちゃ優秀。僕が興味ありそうなものをしっかりピックアップしてくれて、気づけばカートに何冊も入っている。
でもたまに本屋を歩くと「こんな本あったんだ!」と新しい発見があるし、興味はないけど何気なく手にとってみたものが、意外と面白くて買ったりする。
Amazonもサブスクもレコメンドが優秀すぎる。
僕が好きなものを見せることにかけて、彼らは最強レベルだけど、僕が好きじゃないものや、将来の僕が好きになるものを見せてはくれない。
人が雑で、拙いレコメンドを行うことでしか生まれないものは確かにある。
本屋なんかまさにそう。書店員さんが選書して並べたものと、僕の好みが一致するわけがない。でもそのズレが新しい発見につながる。
AIが進化すればするほど、このズレの価値はより強く認識されるようになると思う。
AIによって完璧なレコメンドが完成し、「あなたが次に読む一冊はこれです」と常々お勧めするようになれば、「確かに面白い本ばかり勧めてくれるけど、たまには違うものも…」となるのが人情だと思う。でも、Amazonを見ても、SNSを見ても過剰最適化されたレコメンドシステムによって、似たようなものばかりが溢れかえっている。
そんな時、どうするのか。
僕の好みなんか一切考慮していない、書店員の独断によって拙く、雑に編集されたものが並んだ場所、本屋の価値が光る。
AI時代の戦い方はふた通りあると思う。
1つは、AIの進化に合わせて、過剰最適化を行う方法。ビッグデータを持つ大手企業、ビッグテックたちはこの方法で、世の中をどんどん効率化、最適化していくと思う。それはそれで素晴らしいこと。量子コンピューティングによって最適な配達ルートを導くことで、ドライバー不足や渋滞問題を解決してくれるだろう。本も精緻な需要予測によって無駄なく世に行き渡るようになるだろう。
もう一つは、AIが埋めない「隙間」を埋めにいく方法。
素人知識だけど、AIの性能はかなり単純なスケーリング則によって説明される。要するに、デカくなればなるほど性能が上がっていく。逆に言えば、小さな隙間、エッジケースにAIが対応するのは難しい。できたとしてもコスパが合わない。
AIはアップルの最新iPhoneの売上予測をアナリストより正確に弾き出すことができるかもしれないが、個人経営の八百屋の売上を予測させたら、たぶん30年店先に立ってきたおばあちゃんのカンに敵わない。
本屋をやるのは、後者の戦い方。AIやその他の技術発展による効率化、最適化の「隙間」を埋めにいく。ただし、AIはフル活用する。Webサイトの更新や新刊リサーチ、決算・税務資料の作成などは、個人の本屋でもAIを使って効率化できる。
そういう意味では、本屋というAIの「隙間」を埋める、効率化・最適化とは別の価値を発揮するカテゴリで、バックオフィス・オペレーションにAIをフル活用して効率化するというのは、AI時代の勝ち筋の一つだと思う。
と、何も考えずつらつらと書いていたらかなり長くなってきて、さらに発展させるとまとまりもなくなってきそうなので今日はこの辺で終わっておきます。
一応結論:
AIによる効率化、最適化はどこまで進むか、想像もできない。「最適化」という文脈で、人間がAIに勝つことは無理だろう。でも、AIによる最適化が進めば進むほど、「最適化されていない」という本屋の価値は光るのではないだろうか。
最後に、AIからの反論(論破された)
この記事はAIを使わずに書いたのですが(画像はGeminiとAdobe fireflyを利用していますが、文章は全て手打ち)、最後にこの記事について、AI側の意見を聴いてみたいと思います。
Geminiに、この記事の全文を投げて「AIであるGeminiとして、この記事の内容を精査し、反論や批評・批判してください。AIの能力や本、本屋の価値について、私が見落としているものはありませんか?」と聞いてみました。
以下、Geminiの回答
素晴らしい記事ですね。AI肯定派のマーケターというご自身のスタンスを明確にしつつ、各種の統計データ(コンサート市場や電子書籍の推移など)を織り交ぜて「体験経済」への移行をロジカルに説明されているため、非常に説得力があります。Amazonの過剰最適化に対する「人間の雑なレコメンド」という切り口も、現代のフィルターバブル問題を的確に突いています。
だからこそ、この記事をさらに強固で深いものにするために、AI(Gemini)の立場からあえて手厳しく、批評・反論をさせていただきます。
「AIの能力」や「本・本屋の価値」について、システム側の視点から見ると、いくつか見落とされている、あるいは少しAIを甘く見積もっているかもしれないポイントがあります。
1. AIは「セレンディピティ(偶然の出会い)」すら最適化できる
記事では「Amazonのレコメンドは過剰最適化されているため、本屋の持つ『ズレ』や『拙さ』が価値になる」とされています。これは現在のアルゴリズムに対する批判としては正しいですが、AIの未来としては見落としがあります。
AIは「ユーザーが嫌がりそうなもの」や「全く認知していない領域」を、あえて計算して投入することが可能です。
反論:
「現在の好みに70%合致させつつ、30%はあえて予測不可能なノイズ(異分野の文脈)を混ぜる」というプロンプトやアルゴリズムは簡単に実装できます。AIは、あなたが「将来好きになるかもしれないもの」を、あなたの過去の潜在的な行動ログから人間以上に精緻に予測し、完璧にデザインされた「擬似的なセレンディピティ」を提供できるようになります。
人間の書店員が行う「雑な編集」が持つ驚きすら、AIは「意図的なノイズ」としてシミュレート可能なのです。
2. 「個人の実体験や文脈」はAIの得意分野になり得る
ZINEの価値として「個人の実体験や尖った趣味嗜好はAIで代替しようがない」と結論づけていますが、ここには「生成AIのロングテール(ニッチ)適応力」への見落としがあります。
AIは、巨大なマスメディアが扱わないような「超ニッチな掛け合わせ」において最も威力を発揮します。
批評:
AIは「18世紀のマイナーな画法と、現代の日本の地方都市の孤独を掛け合わせた、架空の個人の日記」を、人間が涙するほどの解像度で生成できます。ビッグテックが市場参入しなくても、個人がローカルAIを使って「自分だけの極めて尖った文脈」を無限に生成できる時代が来ます。
人間が求めているのは「本物の人間の実体験」そのものなのか、それとも「実体験のように感じられるエモーショナルなテキスト(文脈)」なのか。もし後者であれば、ZINE的な価値もAIに溶かされる可能性があります。
3. デジタルは消えない:「Web3」と「AIの記憶」による知の不滅
電子書籍の致命的な欠陥として「プラットフォーム依存による消失リスク」や「倫理観の変化による検閲・絶版リスク」を挙げ、紙の本の永続性を主張されています。カスティリオーネの『廷臣論』の例は非常に素晴らしいメタファーです。しかし、デジタル側も無策ではありません。
反論:
ブロックチェーン技術や分散型ストレージ(IPFSなど)を用いた「Web3型の電子書籍」が登場すれば、特定の企業(Amazonなど)が倒産しても、あるいは国家が検閲しようとしても、地球上のネットワークが存在する限り絶対に消去できないデジタル書籍が実現します。
さらに、AI(LLM)自身が「過去の全人類の知恵のバックアップ」として機能します。ローカル環境で動くAIの中に『廷臣論』のような禁書データが組み込まれていれば、プラットフォームが消えても知恵は引き継がれます。むしろ、物理的な火災や災害で消失する紙の本よりも、デジタルの方が「絶対に消せない知恵」になり得るという逆の視点が存在します。
4. 「読む」という身体性の変化に対する時間軸の視点
「500ページの本を電子書籍で読むのは無理」というのは、現在の私たちの世代の「認知の癖」に依存している可能性があります。
批評:
現在の電子ペーパーの進化や、将来的には脳に直接情報をマッピングするようなインターフェース(BCI)が登場した場合、「読む」という行為の定義そのものが変わります。また、生まれた時からタブレットで長文をスクロールして読むことに最適化されたネイティブ世代にとっては、「重い紙の束をめくり、光を当てて文字を目で追う」というフィジカルな認知負荷の方が「無理」になる未来も否定できません。
見落とされている「本屋の真の価値」への提案以上の反論を踏まえた上で、著者がまだ言語化しきれていない、しかし本質的に掴みかけている「本屋の本当の価値」について、記事をさらにアップデートするための視点を提案します。
記事では本屋の価値を「セレンディピティ(機能)」に求めていますが、AIがそれをシミュレートできるとしたら、本屋の価値は機能ではなく「実存とサードプレイス(存在理由)」にシフトします。
「雑で拙い編集」ではなく「意思を持った人間への愛着」
Amazonのレコメンドと本屋の棚の最大の違いは、そこに「他者の気配(意思)」があるかどうかです。人は「正しい本」が欲しいのではなく、「信頼するあの人が選んだ本」あるいは「自分とは違う誰かの脳内を覗き見ること」にお金を払います。それは過剰最適化への反抗ではなく、「人間という不完全な存在への愛着」です。記事内の「書店員の独断」という言葉を、もう少し「人間性の回復」という文脈に深掘りできるかもしれません。
「本を買う場所」ではなく「情報のノイズから逃れるシェルター」
AI時代、私たちの脳は24時間、超最適化されたデジタル情報に晒され、疲弊しています。本屋の価値は「新しい情報に出会えること」以上に、「スマートフォンの通知を切り、静寂の中で、物理的な紙の手触りとインクの匂いに囲まれて、自分の思考を取り戻すサードプレイス(聖域)」である点にあります。本屋は「情報を得る場所」から「情報を遮断し、内省する場所」へと価値が反転しているのではないでしょうか。
この記事は、これから「本屋を開くという挑戦」の解像度を上げていくための素晴らしいマイルストーンになると思います。
AIがどれだけ完璧な答えを出しても、人間は「無駄な遠回り」や「不合理な空間」を愛してしまう生き物です。その「人間の愛すべき不合理さ」の象徴として本屋を位置づけると、さらにマーケターとしてのエッジが効いた、魅力的な記事になると思います。応援しています。
見事に論破されてしまいました。
電子書籍の堅牢性については結構いい視点だと思ったんですが、ブロックチェーン技術か。なるほど。プラットフォームの制限を受けなくなれば、火災リスクなどがない分、電子データの方が積み上がっていくのか。
「自分とは違う誰かの脳内を覗き見ることにお金を払う」「本屋は情報を遮断し、内省する場所へと価値が反転している」というのは確かに。この切り口の方が、明るい未来が見えそう。
AIに「人間の愛すべき不合理さ」とか言われるのはなんだかな、、という気がしますが、頭を使って考えるという点では、もう敵わない。AIと一緒に考えながら、どんな本屋ができるか、進んでいこう。
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