#256 時代錯誤の「幸運序曲」は、まさに時代錯誤だったのではないか
約1年ぶりに出たサカナクションの新曲『いらない』が素晴らしいです。
ドラマ『こちら予備自衛官!?』の主題歌として書き下ろされたこの曲。第一話のオープニングで初めて聴いた瞬間、「これは来た」と思わずテンションが上がるほどのインパクトがありました。
近年のサカナクションの楽曲からは、制作の歩みそのものが作品に滲み出ているような凄みを感じます。前作『怪獣』から約1年。その時間をかけて丁寧に作られたのだろうと感じさせる、感情の輪郭を繊細に描き出す一曲です。ボーカルの山口一郎が体調と向き合いながら創作を続けていることは周知の通りですが、その真摯な姿勢こそが、楽曲に静かな強さを与えているように思えます。
サカナクションの音楽を聴いていると、ときどき不思議な感覚に包まれます。最新の電子サウンドでありながら、どこか懐かしい響きがあるのです。今回の『いらない』を聴いたときも、『新宝島』を初めて聴いたときと同じように、「あの曲に似た感覚がある」と思いました。
「あの曲」とは、時代錯誤の『幸運序曲』です。
この曲は、サモ・ハン・キンポー主演の映画『大福星』の主題歌として知られています(もちろんジャッキー・チェンやユン・ピョウも出演しています)。作曲は鈴木慶一。1985年公開の映画なので、もう40年近く前の作品になります。
テクノの反復リズムに明るいメロディ。さらに映画のクライマックスで流れる高揚感も相まって、子ども心に強烈な印象を残した一曲でした。当時は「こんな音楽があるんだ」と新鮮に感じたサウンドが、いまになってサカナクションの楽曲を聴きながらふっと蘇る。これ、なかなか面白い感覚ではないでしょうか。
……というか、そもそも私は『大福星』がめちゃくちゃ好きなんです。特に日本語吹き替え版。そのあたりは過去にnoteでも書いているので、気になる方はぜひ。文末にリンクを貼っておきます。
さて、改めて『幸運序曲』について考えると、この曲の作曲が鈴木慶一という点が実に興味深いところです。
少し話は飛びますが、サカナクションはしばしばYMOの文脈で語られます。ライブでYMOの『以心電信』をカバーするなど、彼らへのリスペクトをたびたび表明してきました。テクノ調のダンスミュージックとポップソングを融合させる発想、そしてテクノロジーを積極的に音楽表現に取り込む姿勢には、YMOが築いた音楽的DNAが確かに流れているように感じます。
思えばYMOのサウンドは、1970年代末から80年代にかけて「未来の音楽」として登場しました。シンセサイザーとコンピューターが生み出す無機質で洗練された音は、当時のポップミュージックの常識を一変させた存在でした。しかしその“未来の音”は、四十年以上の時間を経て、いまや自然なポップスの語法として私たちの日常に溶け込んでいます。
この流れの中で思い出されるのが鈴木慶一です。鈴木慶一は、YMOのドラマーだった高橋幸宏とともにニューウェーブユニットThe Beatniksを結成し、80年代の日本ポップミュージックに独特の色彩を与えました。その彼が、『幸運序曲』を作曲しているという事実。ここに、個人的には不思議な“つながり”を感じてしまうのです。(かなり暴論なのは承知しております)
もちろん鈴木慶一の音楽は、ジャンルとしてはテクノというよりロックやサイケデリック・ロックの文脈にあります。それでもゲーム『MOTHER』シリーズの音楽を手掛けるなど、どこかデジタルな感覚を持った音楽家という印象もあります。
もしかすると、『幸運序曲』のサウンドは当時の時代には少し早すぎたのかもしれません。
YMOや鈴木慶一を経て続いてきた音楽の系譜。その流れを現代のポップスとして見事に再構築しているのがサカナクションなのではないでしょうか。
そう考えると、彼らのサウンドの背後には、静かに『幸運序曲』が息づいているようにも思えてきます。
ちなみに「時代錯誤」という言葉を改めて調べてみました。
じだいさくご
【時代錯誤】
1.異なる時代のものを混同する誤り。
2.時代が変わったのに気づかず、または当世風が気に入らず、以前のあり方を良しと守る態度。
やはりその名前の通り、彼らの音楽は“時代とズレていた”のかもしれません。
でも、もしそうだとしたら——
それは未来を先取りしすぎていた、ということではないでしょうか。
むしろ令和の今、TikTokで「『幸運序曲』踊ってみた」がバズる可能性、わりとある気がします。
誰かやってみませんか。
早い者勝ちです。
◼️ 他記事の紹介
→「サカナクション」について書いた記事を紹介
→「大福星」について書いた記事を紹介
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