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映画『ある男』|窪田正孝という入れ物に入った得体の知れない男を見た


不思議な映画です。


そのシーンそのシーンごとには驚くほどリアルな手触りがあるのに、見終わった後は「どんな映画だったのか」よくわからなくなりました。
掴みどころがないというか、輪郭ははっきりしているはずなのに実際に触ろうとするとすり抜けてしまうというか。鑑賞後はなんだか少し不安な気持ちになるような。


そんな映画『ある男』のあらすじはこちら。

弁護士の城戸(妻夫木聡)は、かつての依頼者である里枝(安藤サクラ)から、亡くなった夫「大祐」(窪田正孝)の身元調査という奇妙な相談を受ける。
里枝は離婚を経て子供を連れて故郷に戻り、出会った「大祐」と再婚。新たに生まれた子供と4人で幸せな家庭を築いていたが、ある日「大祐」が不慮の事故で命を落としてしまう。そして、愛したはずの夫「大祐」は、名前もわからないまったくの別人だったことを知る。

prime videoより(長かったので一部省略)


※ここから先は内容に触れますので、ご覧になっていない方は是非見てから戻って来てください!
ちなみに、原作未読です。


この映画、次から次へと演技派俳優が登場してきます。

安藤サクラ、
窪田正孝、
妻夫木聡、
清野菜名、
仲野太賀、
河合優実、
でんでん、
挙句の果てに柄本明!


おい、よくこれだけ演技派集めてきたな!!!
とツッコミたくなるくらいの布陣。


この映画、主演は妻夫木聡ですが、
安藤サクラがメインのパートは安藤サクラが主演にしか思えないし、
窪田正孝の過去を辿っているときは窪田正孝が主演に思えるのに、
物語の全体を通して見るとやはり妻夫木聡が主演だったと言える不思議な構成でした。


そして、3人の演技がうますぎて、見ているとこちらまで息苦しくなります。
まだ小さかった子供を病気で亡くして離婚した安藤サクラも、
強盗殺人犯で死刑囚の子供として生きてきた窪田正孝も、
在日コリアン3世で周囲の無意識の中で傷つけられている妻夫木聡も、
その苦しみが自分に流れ込んでくるような。
うまく息ができないような、どんどんと水の底へ沈んでいくような、息苦しさ。


実在している人を本当にただ撮っているように見える、安藤サクラのリアルにそこに「いる」ような存在感も相変わらず圧倒されたんですけど、
個人的には窪田正孝がすごかった。


子供の頃、父親が自分の友達家族を殺害。父親が盗んだ真っ赤に染まったお札を手渡され、友達家族の殺人現場を自分の目で見てしまった「大祐」(本当は大祐じゃなかったわけですけど、ここでは「大祐」と呼びます)。

1人2役でこの父親役も窪田くんが演じているんですけど、この父親が本当に怖かった。
短いシーンなんですけど、人を殺したことに対して何も感じていないということがよくわかりました。
自身も被害者の血で血まみれになっていて、その姿を息子に見られたにも関わらず慌てることも誤魔化すこともしない。血で染まったぐしゃぐしゃのお札を息子に渡し、何か買ってこいと平然と言えるその人間性。


穏やかで優しい「大祐」とは、全く別人の父親を演じていました。
まさに、見た目は一緒なのに中身が得体の知れない何かが入っているような違和感と恐怖。
コイツのことは一生かけても1ミリもわからないし、こちらがいくら言葉を尽くしたところで絶対何も伝わないとわかってしまう感じ。(1分もないくらいの短いシーンでしたが、あんな目をする演技をしていたら、窪田くんに負担がかかったろうと心配)


「大祐」の人生を見ていると、父親の罪を子供が背負わなければいけない理由なんて全くないことに気付きます。


これまで私は、犯罪を犯した人の家族が苦しむことになることも、ある種犯罪者の罪だと認識していた部分がありました。
自分が刑務所へ入ることや、自分の名前と顔が出回ることで永遠に過去の罪と向き合う必要があることはもちろん、自身の大切な家族を苦しませていること、そのせいで家族と2度と会えなくなることも犯罪を犯した人の罪であり、苦しみだと思っていたのです。


ただ、「大祐」の父親を見ていると、家族の苦しみは犯罪者の苦しみに繋がらないこともあるのだと気付きました。

「大祐」の父親は、「大祐」が死刑囚の息子になってしまったことでどれほどのものを失い、どれほどの苦しみの中で生きることになったのか、きっと何も気にしていない。
ただただ「大祐」が苦しかっただけで、「大祐」の苦しみはあの父親の苦しみに繋がっていない。
だとしたら、「大祐」の苦しみは、いったい何のためにあるものなのか。


自分の犯した罪で大切な人が苦しむのもその人の罪だよ、なんて偉そうに思っていた自分が恥ずかしい。


「大祐」は選べなかったのに。
あの父親の子供になること、
犯罪者の子供になること、
父親と似た顔になること、
それらは「大祐」の意思とは全く別のところで存在していて、はっきり言うと、父親の罪は「大祐」に全く関係ないんです。


映画の窪田くんや妻夫木くんを見ていると、「名前を偽っていた人」であったり、「犯罪者の息子」であったり、「ボクサー」だったり「弁護士」だったり、「在日韓国人」であったり、目の前の人を見る前にそういうカテゴライズをしてしまうことに重みを感じます。

無意識に、
あまりにも自然に「これはこういうもの」「この人はこういう人」と決めつけてしまう。
その罪深さ。
それが相手をどれほど傷つけているのか想像できていない悲しさ。

カテゴライズから逃れるためには違う「名前」と「設定」が必要になってしまった窪田くんの苦しみが切ない。


ラスト、妻夫木くんはバーで初めて会った男に「大祐」(窪田くんが成りすましていた本当の大祐)の経歴を語ります。愚痴を交えながら笑顔で話す姿に、ふいに不安な気持ちになりました。
そして妻夫木くんが名前を名乗ろうとしたところで暗転。

「大祐」の名前を名乗るのか、
「大祐」と名乗ろうとするけれど止めて自分の名前を名乗るのか、
迷いもせず自分の名前を名乗るのか。


主役が入れ替わるような不思議な構成


あらすじは説明しやすいのに、
何故か「どんな映画だったのか」うまく伝えられない気がする映画『ある男』。

他人の「名前」と「設定」がほしいなんて考えたこともないはずなのに、「大祐」の過去を辿りながら揺らいでいく妻夫木くんを見ていると、「もしかしたら私も他の人の人生を生きてみたいと思っている部分もあるのかもしれない」と、底が見えない深い穴を覗いているような気持ちになりました。

おしまい。

それにしても、仲野太賀がちょい役でビビりました。あれ、セリフなしですよね?
仲野太賀使ってセリフなし。
贅沢すぎ……!

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