映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」感想
こうの史代氏の漫画を原作とする映画「この世界の片隅に」は、2016年に公開され大ヒットしました。その後、シーンを追加した長尺版「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が2019年に制作されました。
78回目の広島原爆記念日、私は祈りとともに「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を配信で鑑賞しました。
穏やかさの陰の緊張感
本作は、戦争を扱いながらも、主人公・すずの人柄も相まって、穏やかで時にコミカルな戦時の日常生活が描かれます。例えば、食料が足りないため、野草などを懸命に工夫して料理するシーンがあります。一家で食すものの、美味しくないとぼやく。そうした庶民の逞しさや悲哀を中心に描いている点で新鮮さがありました。
一方、表面上の穏やかさとは裏腹の緊密な構成こそ、本作の魅力だとも感じます。
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」では、すずの夫・周作がかつて愛していた遊女・リンの描写が増えています。すずが周作とリンの関係に気づくシーンは、伏線が鮮やかに回収される点で印象深いものでした。
本作は前半穏やかで、後半悲劇が起きていくと評されますが、前半部も夫婦間の緊張感を描いているのです。
運命の皮肉
物語は昭和20年に入ると、徐々に不穏さを増していきます。すずの住む呉への空襲が相次ぎ、やがて運命の8月6日がやってきます。
すずたちの生活が戦争によって壊されていく過程の筋書きも見事です。姪の晴美は、下関に疎開させようとした矢先、不発弾の爆発で死にました。
晴美を守れなかったすずは自分を責め、いったんは実家に帰ろうとしますが、広島行きは諸事情で遅れます。もしすずがスムーズに帰れていたら、8月6日の朝を広島で迎えていたはずでした。わずかな時間の差で晴美は死に、すずは生き延びました。あまりに残酷なめぐりあわせです。
すずが内に秘めていたもの
また、すずは「いつもボーっとしている」キャラクターとして描かれるため、「政治信条のような難しいことは考えずに日々を生きているのかな」という印象を持ってしまいます。しかし、この認識は誤りだと気付かされます。
8月15日に玉音放送が流れた時、周囲の大人たちはそれなりに敗戦を受け入れました。しかし、すずは「これまでお国のために頑張ってきたのは何だったのか」と珍しく激情をあらわにします。彼女の口から、国防婦人会じみたセリフを聞くとは思っておらず、心に刺さるシーンとなりました。
すずの幼馴染・水原は彼女を「普通」と評し、「いつまでも普通でおってくれ」と声をかけました。上記の考え方も、当時で言う「普通」だったのでしょうか。
まとめにかえて
ラストは戦争も終わり、やや未来への希望が持てるムードで終幕します。しかし、すずの妹・すみや伯父夫妻には原爆症の症状が現れており、その後の苦難を否応なく想像させる造りになっています。
いつの世も変わらない人の営みの尊さと、それを無情に押しつぶしていく戦争の悲惨さを、織物を織るように丁寧につくりあげた物語です。
