【給料は維持費だ】働くだけでは報われない、資本主義のルール
まじめに働けば、いつか報われる。
この国で最も広く信じられていて、最も罪深い嘘だと私は思っている。先に言い切る。働くだけでは、報われない。頑張りが足りないからではない。運が悪いわけでもない。そういう仕組みの上で働いているからだ。
■ 給料は、成果の対価ではない
150年以上前に、この仕組みを骨まで解剖した男がいる。カール・マルクスだ。1867年に出た資本論の第1巻で、彼はこう見抜いた。労働者が売っているのは、労働の成果ではない。労働力という商品だ。そして、この労働力という商品の値段は、それを作り直すのにかかる費用で決まる。
労働力を作り直す費用とは何か。明日も同じ席に座って働けるだけの、食事と、住まいと、眠りだ。つまり給料の正体は、成果の対価ではなく、維持費である。
彼の理論のすべてが正しかったとは、私は思っていない。だがこの一点、給料の値付けの解剖だけは、今も現役だと思っている。成果を2倍にしても、給料は2倍にならない。維持費は、成果と連動していないからだ。おかしいのではない。最初から、そういう値付けなのだ。
■ はみ出した分は、どこへ行くのか
では、維持費を超えて生み出した価値は、どこへ消えるのか。マルクスはそれを剰余価値と呼んだ。行き先は決まっている。雇う側、つまり資本の側だ。配当になり、内部留保になり、資本を持つ者の取り分になる。
ひどい話に聞こえるだろうか。私は、ひどいとは言わない。これがルールだからだ。しかもこのルールブックは、150年以上前から誰でも読める場所に置いてある。読まずに卓についている人が、圧倒的に多いだけだ。
■ 気づかない人を、資本主義はどう扱うか
ここからは、きつい話をする。合わない人は、ここで閉じてくれて構わない。
働いて、貯金して、何も疑わない。それを誠実と呼ぶ人もいる。私は呼ばない。考えることを他人に預けた、ただの思考停止だ。
そして資本主義は、思考停止した労働力を、人としては扱わない。替えの利く部品として扱う。使えるあいだ使い、すり減ったら交換する。言葉を選ばずに言えば、摩耗したら捨てられる消耗品。ゴミと、扱いは変わらない。
もっと残酷なのは、貯金だ。維持費として受け取った現金を、疑わずに口座へ寝かせる。物価が上がれば、その現金は静かに目減りしていく。労働力を維持費で売り、受け取った対価まで削られる。二重に差し出しているのと同じだ。
腹が立っただろうか。それでいい。怒りは、気づきの入口だ。ただし、怒る相手を間違えないでほしい。怒るべきは、この文章ではない。誰も教えてくれなかったルールブックの方だ。
■ 資本主義を憎んだ男の、皮肉な地図
マルクスは、この構造を壊せと言った。150年以上たって、構造は壊れていない。むしろ地球の隅々まで広がった。
だが、あの解剖図の使い道は、革命だけではない。構造が変わらないなら、自分の立ち位置を変えればいい。維持費を受け取るだけの側から、剰余価値が流れ込む側へ。小さくてもいいから、資本を持つ側へ足を移す。
皮肉な話だ。資本主義を最も憎んだ男が残した解剖図が、資本主義を生き延びるための、いちばん冷静な地図になっている。私はその皮肉ごと、地図を使う側に立つ。
誤解しないでほしい。働くことを否定してはいない。労働は、資本を作るための最初の元手だ。私が突き放しているのは、労働だけに人生を預けて、考えることをやめた生き方だ。
すでに気づいて、給料の一部を資本に変え始めた人は、もう部品ではない。ルールを読んだ側だ。
■ ルールを読まない者から、取られていく
ルールを読まずに卓についた人から、順番に取られていく。カジノなら、誰もが知っている常識だ。資本主義という卓だけが例外だと思う理由は、どこにもない。
いま受け取っている給料は、成果の対価だろうか。それとも、明日も働くための維持費だろうか。給料明細を見ながら、一度だけ考えてみてほしい。もしよければ、コメントで聞かせてほしい。
内容と免責について
一般的な情報に、私個人の主観や解釈、偏りを織り交ぜて書いている。
状況の変化や新たな気づきに応じて、予告なく内容を追記・修正することがある。
特定の投資商品の購入や売却を推奨するものではない。
未来の利益を保証するものでもない。
本記事の情報によって生じた結果について、責任は負いかねる。
人によって最適な方法は異なる。
参考にする際は、君自身の判断と責任において確認してほしい。
