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【沈黙の頁で会いましょう】第3章 「朗読のペアレッスン」

第3章テーマは、認知共鳴仮説(Cognitive Resonance Hypothesis)
認知共鳴仮説は【人は、自分と“波長が合う情報”に共鳴しやすいという理論】というものです

しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります

それでは、第3章 「朗読のペアレッスン」をお楽しみ下さい

前回のあらすじ

図書館の一角
午後の日差しがゆっくりと傾く時間、閲覧室の奥にある“朗読ブース”だけが妙に明るかった
白い壁、マイク、机。まるで舞台の残り香のような空間

「今日のリハーサル、付き合ってもらえる?」

綾香は当然のように言った
手元の原稿を片手で振りながら

透は一瞬、返事をためらった

「僕が、ですか?」
「他に誰がいるの?」

淡々とした声。けれど、目だけが楽しそうに笑っていた

彼は観念したように頷いた

「……はい。では、読むだけで?」
「ううん、聞いて。あと、息を合わせて」
「息……?」
「朗読は呼吸で繋ぐの。ほら、試してみよう?」

そう言って、綾香は机の上に原稿を二枚並べた

「ここから交互に読むの。わたしの次があなた」

透は思わず姿勢を正した
この距離、近い。呼吸の音まで聞こえそうだ

朗読が始まる

綾香の声は静かに流れ出す
透はその残響が消えるのを待って、自分の声を重ねた
最初はぎこちない
が、二度、三度と繰り返すうちに、不思議なことが起きた

彼女の「息継ぎ」と、自分の「息」が合う
句読点の位置で、同時に喉が動く
読むたびに、リズムが重なっていく

綾香がふと顔を上げた

「……あなた、真面目ね」
「え?」
「わたしの声、全部コピーしてる」
「確認のためです」
「ふふ、そういう言い訳、嫌いじゃない」

声が揺れた
笑っているのに、どこか照れたようにも聞こえた
透は自分のペン先で、意味のない線をノートに描いた

朗読が再開する
“心が触れた瞬間、人は沈黙を選ぶ”―
―その一文を、綾香と透が同時に読んでしまった

目が合う
互いに止まる
重なった声が空気の中で揺れていた

綾香が小さく息を吐く

「……あなた、読まない方がいいのかもしれない」
「どうしてですか」
「心が、伝わりすぎるから」

透の呼吸が止まった
何か言おうとして、言葉が出ない
沈黙が、音よりも長く続いた

「……そんなこと、ありません」
「ほんと?」
「僕の声なんて、ただの確認用です」
「そう思いたいだけじゃない?」

透は苦笑した
冗談にしては、妙に胸に刺さる言葉だった

彼女は原稿を閉じた

「今日はここまで」

その声もまた、朗読の一部のように綺麗だった

透は、閉じた原稿を見つめながら呟いた

「……僕の声が、邪魔だったでしょうか」
「ううん」
「じゃあ、何がいけなかったんですか」

綾香は振り向かずに言った

「“合いすぎた”のよ」

その一言が、胸の奥で静かに反響した
まるで、朗読の続きを待つように

その日の帰り道、透は無意識に呼吸を合わせながら歩いていた
まるで、隣に彼女の“間”があるかのように

息を吸うたび、彼女の声が蘇る
吐くたびに、距離が近づく気がした

――気のせいだと、思いたかった

翌日の昼
館内の静けさが、妙に重く感じた
透は机に置かれた原稿をじっと見つめていた
昨日、綾香と交わした朗読の“呼吸”がまだ身体に残っている

“合いすぎたのよ”

その一言が、脳内で何度も再生されていた

――もう一度、確かめてみたい
そう思った時には、彼はすでに立ち上がっていた

綾香がいない隙を見計らい、朗読ブースへ向かう
扉を閉めると、世界が静寂に包まれた
マイクの前に立ち、昨日の原稿を開く

彼は一人で、ペア練習の“再現”を始めた

綾香の声の記憶を頼りに、句読点のタイミングを合わせる

「……ここで息継ぎ、そして……」

自分で指を鳴らしながらテンポをとる
誰もいないのに、誰かと話しているようだった

「――あなた、読まない方がいいのかも」

彼女の台詞を真似て、小声で返す

「そんなこと……ありません」

ブースの中で、ひとり芝居のような朗読が続く
もし誰かに見られたら、確実に誤解される光景だ
けれど透は真剣そのものだった

「……心が、伝わりすぎる」

彼は呟き、原稿を胸に抱えた
音ではなく、空気で会話している気がした

その瞬間――

「何してるの?」

後ろから声
凍りつく

振り返ると、綾香が立っていた
昨日と同じ無表情
だけど、唇の端がわずかに揺れている

「これは……その、復習でして」
「へぇ……ひとりペアレッスン?」
「……はい」
「律儀ね。私の声、勝手に再現してた?」
「……すみません」
「いいのよ。むしろ面白いわ」

綾香はブースに入ってきた

「じゃあ、続きをやりましょう。今度は私が合わせる番」
「え?」
「あなたが読む。私が呼吸を合わせるの」
「そんなことして、何になるんですか」
「実験よ」
「実験?」
「“合いすぎると、どこまで届くか”っていう」

透は戸惑いながらも、原稿を開いた

「では……始めます」

彼の声が、静かに空気を震わせる
綾香はその“間”に呼吸を合わせる
彼が息を吸うと、彼女も吸い
彼が声を落とすと、彼女も喉を震わせる

まるで音楽だった

「……ふふっ」

笑いがこぼれた
綾香だった

「どうしました?」
「だって……あなた、息止めてたでしょ」
「す、すみません」
「可愛いじゃない」

その言葉に透は耳まで赤くなった

「僕、真剣なんです」
「知ってる」
「笑うの、やめてください」
「やめない」

綾香の笑いは、どこか優しかった
笑っているのに、目だけは静かで――熱い

朗読の最後の一文を、二人同時に読んだ

「“言葉よりも、息が伝えることがある”」

沈黙
また、目が合う
音が消え、世界が止まったようだった

「ねぇ、真島くん」
「はい」
「もし、息が合うってことが“好意”なら……」

少し間をおいて、綾香は微笑む

「――図書館って、恋の発生源かもね」

透は言葉を失った
彼女は原稿を机に置き、軽く手を振った

「次は、あなたの“呼吸”を聴かせてね」

去っていく背中
静寂が残った
透は椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた

――合いすぎるって、こういうことか

窓の外、夕陽が差し込み
ブースのガラスに二人の影が、まだ重なっていた

次章へ

↓最後に、第3章のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓


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