見出し画像

触れない距離#パテック杯

迷言です

いつも、楽しく拝見しております パテック 様より以下のコンペを実施されるという事で参加させて頂きます

・テーマ「恋愛」
・noteガイドラインに違反しない内容で形式自由(エッセイ、小説、詩など)

との事ですので #こんなヒロインどうですか より

をヒロインとした短編小説をお楽しみください


触れない距離


「近づかないで……それ以上は、遠くなるから」

夜の歩道橋は、風が抜ける
俺は足を止めて、その言葉だけを聞き返せなかった
目の前の氷室 麗華(ひむろ れいか)は、一歩分の距離を残して立っている
触れられるのに、触れてはいけない位置だった……

「いや……寒いから、もう少し寄っていい?」

俺はそう言って、一歩だけ踏み出す

「……だめ」

間を置かずに返ってくる

「なんで?」
「崩れる」

……意味が分からない

「崩れるって何が?」
「……距離」

……距離って、そんなものか?

風が強くなって、コートの裾が揺れる
彼女は動かない
ただ、同じ場所に立ったまま、こっちを見ている

「麗華……寒くないのか?」
「寒い」
「なら寄れよ」
「……だめ崩れる」

また、同じ答え

「崩れるって何だよ」
「……今の距離が、ちょうどいい」

その言い方が、少しだけ柔らかくて、余計に分からなくなる
俺はそれ以上、踏み出せなかった

沈黙が、長くなり、車の音が遠くで流れていく

「そう……言えばさ……」

俺は、なんとなく口を開く

「昼も、同じこと言ってたよな」
「……うん」
「近づくなって」
「……うん」
「なんでそこまで距離感を気にするんだ?」

少しだけ、間

「距離がある方が、ちゃんと見える」
「何が?」
「あなた」

即答だった

「いや……近い方が見えるだろ」
「違う」

また、短い否定

「顔の話じゃない」
「じゃあ何だよ?」
「……輪郭」

言葉が、少しだけ揺れる

「近いと、ぼやける」
「なら……遠いと、分かるのか?」
「うん」

彼女は視線を外さない

「近いと、触れるでしょ」
「……まあ」
「触れると、雑になる」
「何が?」
「……見方」

その言い方が、妙に真剣で、軽く流せなかった

「雑って」
「慣れる」
「それ、悪いことか?」
「……悪い」

小さく、でもはっきり

「慣れると、見なくなる」
「……」
「見なくなると、分からなくなる」

風が、また抜ける

「だから……」

彼女は少しだけ、間を置いて

「離れる」

それだけ言った

……おかしい

でも、否定しきれない感じが、少しだけあった

「触れたら何が変わるのか?」

気づけば、そう聞いていた
彼女は少しだけ、視線を下げる

「……雑になる」
「それさっき聞いた」
「同じだから」
「いや、だから具体的に」
「……曖昧になる」
「何が?」
「関係」

その言葉で、空気が少し変わる

「曖昧?」
「うん」
「近づくと、分かった気になる」
「……それ普通じゃないか?」
「違う」

麗華は強く否定した

「それは……自分が相手の事を理解しているはずと錯覚しているだけ」
「じゃあ遠い方がいいのか」
「……遠いと、分からない」
「どっちだよ」

思わず漏れる

「遠すぎると、見えない」
「じゃあどうするんだよ」
「……このくらい」

彼女は、ほんの少しだけ自分の位置を示すように、視線を落とした

今の距離

手を伸ばせば届く
でも、触れてはいない

「中途半端だな」
「でも……一番、はっきりしてる」
「そうか?」
「うん」

彼女は顔を上げて、まっすぐこっちを見る

「あなたが、あなたのままで見える」

……それは、少しだけ分かる気がした

でも……

「それで満足なのか?」
「……」

彼女は、答えない
ただ、視線だけが、少しだけ揺れる

「じゃあ……ずっとこの距離?」

しばらくして、俺は聞く

「……そう」
「それでいいのか?」
「いい」

短い

「……一番近い」

その言葉に、少しだけ引っかかる

「……触れないのに?」

彼女は、一瞬だけ目を伏せて
それから、また顔を上げる
街の光が、瞳に映る

「……これ以上近づくと、遠くなるから」

俺は、そこで初めて理解した
触れない距離の方が……関係が壊れないものがある……と

いいなと思ったら応援しよう!