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違うまま残る夏 担当:サイレント・レイヤー(Silent Layer)

ようこそ
サイレント・レイヤー(Silent Layer)ヴァルネスです

一枚の写真
それだけで、人の記憶は驚くほど違うものになります

誰かにとっては金魚すくい
誰かにとっては夕暮れの風
どれも間違いではなく、その人だけが持ち帰った夏なのでしょう

正しい思い出を探す物語ではありません
違うまま残る思い出に、少しだけ耳を傾ける物語です

それでは……ご覧ください

午後の陽射しが部屋をゆっくり照らしていた
扇風機が回る
麦茶の氷が、小さく鳴る

何も起きていない時間
そういう時間も、続いているだけで十分なのだと思う

陽菜乃:「よーし! 今日はアルバム整理するよ!」
光里:「えー、急になんで?」
陽菜乃:「夏だし! 暑い日は家の中で思い出巡り!」
影臣:「……それも、いいですね」
影乃:「私も久しぶりに見てみたいです」

陽菜乃が押し入れからアルバムを抱えてくる
影臣は自然と机を片付け、影乃は麦茶のコップを全員分並べた
光里だけは、待ちきれず一冊目を開く

光里:「うわっ! 見てこれ! 私ちっちゃ!」
陽菜乃:「かわいいじゃん!」
光里:「今もかわいいけど?」
影臣:「それは……否定しません」
光里:「お父さん、それ照れてるやつ?」
影臣:「……少しだけ」
影乃:「ふふっ」

笑い声はすぐ静かになる
誰かが話さなくても、気まずさはない
急がなくていい

この家では、沈黙も会話の続きをしてくれる
ページがゆっくりめくられる

陽菜乃:「これ、海行った日だ!」
光里:「あっ、それ覚えてる! お母さん転んでた!」
陽菜乃:「転んでないって!」
影臣:「砂浜で足を取られていましたよ」
陽菜乃:「お父さんまで!」
影乃:「私は、そのあと皆さんでスイカを食べた記憶があります」
光里:「あ、それは覚えてる!」

また一枚
また一枚
誰も急がない

時間をかけることを、誰も面倒とは思わなかった

光里:「……あれ?」
陽菜乃:「どうしたの?」
光里:「この写真」

手が止まる

提灯
浴衣
夕方の空

夏祭りの写真だった

陽菜乃:「懐かしいねぇ」
影臣:「……」
影乃:「……」
光里:「これさ、金魚すくいのあとだよね?」

誰も返事をしない
影臣は写真を見つめたまま
影乃も静かに考えている

陽菜乃は写真と三人の顔を見比べて、小さく首をかしげた

沈黙は長く続いた
でも、不安ではなかった
返事を急がない

考える時間を待てる

それは、この家が積み重ねてきた時間なのだと思う

影臣:「……この写真でしたか」
光里:「え?」
影乃:「お父さんも、何か思い出されたんですか?」
影臣:「いえ……思い出したというより、何か違うような気がしまして。」
陽菜乃:「えっ? そうなの?」
光里:「えー? 私、ちゃんと覚えてるけど?」

影乃は写真をもう一度見つめる
何かが引っ掛かる
けれど、その違和感には、まだ名前がなかった

まだ時間があります
思い出は、急がなくても逃げません
待つことも、一つの答えです

窓から入った風が、アルバムのページをわずかに持ち上げた
閉じるほどではない
けれど、流れが変わるには十分な動きだったのかもしれません

光里:「違うって、絶対に金魚すくいのあとだよ」
陽菜乃:「そうだっけ? 私はかき氷食べてた気がするけど」
光里:「食べてたのはお母さんだけじゃない?」
陽菜乃:「ひどくない? みんなも食べてたって」
影臣:「まず、写真に写っているものを確認しましょう」

光里:「出た。お父さんの現場検証」
影臣:「現場というほどではありませんが……提灯と、屋台がありますね」
影乃:「奥に神社の鳥居も見えます」
陽菜乃:「じゃあ夏祭りで合ってるじゃん」
光里:「だから言ったでしょ」
影臣:「夏祭りであることと、金魚すくいのあとであることは別です」

光里:「細かいなぁ」
影乃:「でも、お父さんのおっしゃる通りです。まだ決められる材料は少ないと思います」
光里:「影乃までそっち側?」
影乃:「どちら側というわけでは……」
陽菜乃:「じゃあ多数決にする?」
影臣:「記憶を多数決で決めるのですか」
陽菜乃:「家族なんだから、それくらい雑でいいじゃん」

光里:「賛成。私は金魚すくいに一票」
影乃:「私は……夕方の風を覚えています」
陽菜乃:「項目が違うのよ」
影乃:「すみません」
光里:「いや、謝るところじゃないけど」

会話の行き先は、まだ決まっていなかった
一つの写真から、いくつもの道が伸びている
どれを選ぶかで、この夏の形も少し変わるのでしょうね

影臣:「私は、神社ではなかったような気がします」
陽菜乃:「えっ、鳥居あるよ?」
影臣:「似た場所だった可能性もあります」
光里:「夏祭りじゃない可能性まで出てきた」
影乃:「お父さんは、何を覚えているんですか?」

影臣:「帰り道です」
陽菜乃:「帰り道?」
影臣:「光里が眠ってしまって、私が背負って帰りました」
光里:「私、寝てたの?」
陽菜乃:「寝てた寝てた。しかも途中で起きて、ラムネ飲みたいって騒いでた」
光里:「全然覚えてない」

影乃:「私は、そのとき何をしていましたか?」
影臣:「私の隣を歩いていました。何も話さずに」
影乃:「……それは、少し覚えています」
光里:「何その静かな思い出。私だけうるさいじゃん」
陽菜乃:「今と変わらないね」
光里:「お母さんにだけは言われたくない」

麦茶の氷が、また鳴った
小さな一致だった
けれど、一致したのは出来事ではなく、家族らしさのほうだったのかもしれません

陽菜乃:「私はね、この写真の日、かき氷こぼしたの覚えてる」
光里:「やっぱり食べてるじゃん」
陽菜乃:「そこじゃないの。影乃の浴衣にかかりそうになって、お父さんがすごい速さで避けたの」
影臣:「それは覚えています」
影乃:「私は覚えていません」
光里:「お父さん、そういうときだけ反応速いよね」
影臣:「娘の服が汚れるところでしたから」
陽菜乃:「私の服は?」
影臣:「……確認が遅れました」
陽菜乃:「そこは即答してよ」

光里:「お父さん、今ので……未来変わったかも」
影乃:「少なくとも、今日の夕食には影響する可能性がありますね」
陽菜乃:「影乃まで何言ってるの」
光里:「今日の夕飯、お父さんだけ冷ややっこ?」
影臣:「それは困りますね」

笑い声が部屋に広がった
そのまま話を終えることもできた
写真を戻して、次のページへ進むこともできた

けれど、影乃はもう一度、写真を手に取った

影乃:「……少し、おかしいです」
光里:「何が?」
影乃:「お母さんは、かき氷をこぼしたとおっしゃいました」
陽菜乃:「うん」
影乃:「でも、この写真の私たちは、誰もかき氷を持っていません」
光里:「食べ終わったあとじゃない?」
影乃:「それなら、光里お姉ちゃんが覚えている金魚も写っていません」

影臣:「……確かに」
陽菜乃:「じゃあ、別のときの記憶が混ざってる?」
影乃:「その可能性はあると思います」
光里:「でも、この写真を見たら思い出したんだよ?」
影乃:「はい。だからこそ、不思議なんです」

最初の兆しは、とても小さなものでした
かき氷がない
金魚もいない

それだけです

けれど、誰かがその違和感を拾ったことで、流れは少し変わったようですね

影臣:「もう少し、話してみましょうか?」
陽菜乃:「正解を決めるため?」
影臣:「いえ。皆が何を覚えているのか、聞いてみたいと思いました」
光里:「じゃあ私、最初から全部話す」
陽菜乃:「盛らないでよ?」
光里:「盛らんし」
影乃:「急がなくて大丈夫です。一つずつ聞かせてください」

写真はまだ、何も答えていない
それでも家族は、次の記憶を選び始めていた

答えはまだありません

ですが、風向きは変わったのかもしれません

結論から述べます
記憶が食い違っていること自体は異常ではありません
同じ出来事でも、注目した要素が異なれば、残る記憶も変化します

それも一つの要因です

影乃:「少しだけ、確認してもいいでしょうか?」
光里:「どうぞ、探偵さん」
影乃:「探偵ではありません」
陽菜乃:「じゃあ研究員?」
光里:「それっぽい」

影乃は返事をせず、写真を机へ置いた
スマートフォンで拡大しながら、一つずつ見比べていく
影臣も自然と隣へ座った

影臣:「何を見ていますか?」
影乃:「写っている事実です」
光里:「事実?」
影乃:「はい。思い出ではなく、写真そのものです」
陽菜乃:「私は思い出担当だから任せた」
光里:「私も」
影臣:「では、私は確認担当ですね」

役割が自然と決まった
条件が整理されると、会話も整理されます
役割を一つ加えるだけで、結果は変化すると判断します

影乃:「まず、提灯があります」
影臣:「鳥居も確認できます」
影乃:「夕方です。影の向きから見ても、それほど遅い時間ではありません」
光里:「そんなところまで分かるの?」
影乃:「推測です」
陽菜乃:「私は全然見てなかった」
光里:「私も」
影乃:「次に、この屋台です」

写真を拡大する
屋台の暖簾が少しだけ読める

影臣:「……焼きとうもろこし」
陽菜乃:「あっ」
光里:「金魚じゃない」
影乃:「はい」
光里:「じゃあ私の記憶、違った?」
影乃:「違うとは判断しません」

光里は首をかしげた
影乃は写真から目を離さない

影乃:「金魚すくいをした記憶が存在することと、この写真に写っていないことは、別の事実です」
影臣:「つまり?」
影乃:「別の場面が結び付いている可能性があります」
陽菜乃:「混ざっちゃったってこと?」
影乃:「その表現が近いと思います」
光里:「へぇ……」

誰も否定されなかった
だから、光里も安心して考え始めることができた
感情は否定する必要がありません

安心も困惑も、観察を続けるための要素になります

陽菜乃:「でも、私はかき氷こぼしたの覚えてるよ?」
影乃:「では確認します」
光里:「確認?」
影乃:「お母さん、その日、浴衣は何色でしたか?」
陽菜乃:「水色」
影乃:「写真では紺色です」

陽菜乃:「……あ」
影臣:「本当ですね」
陽菜乃:「じゃあ、かき氷は別の日?」
影乃:「その可能性が高いでしょう」
光里:「お母さんも混ざってたんだ」
陽菜乃:「人のこと言えないじゃん」
影臣:「私も確認します」

写真を静かに見つめる
数秒
誰も急かさない

影臣:「私は、光里を背負った帰り道を思い出しました」
影乃:「はい」
影臣:「ですが、その日は私服でした」
光里:「浴衣じゃないの?」
影臣:「違いました」
陽菜乃:「お父さんまで……」

影臣は苦笑した

影臣:「私も、二つの記憶を一つにしていました」
光里:「みんな一緒じゃん」
影乃:「ええ」
光里:「じゃあ、この写真って何だったの?」
影乃:「写真は一枚です」
光里:「うん」
影乃:「ですが、人は写真を見ると、その前後の出来事まで思い出します」

影臣は静かに頷く
影乃は続けた

影乃:「その前後が、人によって違うのだと思います」
陽菜乃:「なるほど……」
光里:「だから、みんな本当のこと言ってたんだ」
影乃:「そう考えるのが自然でしょう」

結論は単純です
原因は、記憶違いではありません
一枚の写真をきっかけに、それぞれ別の時間まで思い出したことです

写真という条件は同じでした
違っていたのは、その写真から続いていく記憶でした
それも一つの要因です

影臣:「写真は変わっていません」
陽菜乃:「変わったのは私たちか」
光里:「なんか面白いね」
影乃:「思い出は、一枚ではありませんから」

誰も間違っていませんでした
ただ、思い出す入口が違っていただけです

感情は誤差ではありません
ただし、制御不能でもありません

条件が変われば、結果も変わります

状況を整理します
写真は一枚
記憶は四つ

そして、完全に一致する答えはありません
問題は記憶の精度ではなく、それをどう残すかです

陽菜乃:「じゃあさ、この写真の説明、どうする?」
光里:「説明?」
陽菜乃:「アルバムに書いとこうよ。あとで見たとき分かるように」
影臣:「それは良い考えですね」
光里:「じゃあ『金魚すくいのあと』で」
陽菜乃:「違うって。かき氷の日でしょ」

光里:「それ別の日だったじゃん」
陽菜乃:「金魚も別かもしれないじゃん」
光里:「それはまだ確定してないし」
影乃:「お二人とも、同じ条件になりましたね」
陽菜乃:「どういうこと?」
影乃:「自分の記憶だけは残したい、という条件です」

光里:「影乃は?」
影乃:「私は夕方の風を残したいです」
陽菜乃:「全員同じじゃん」
影臣:「私は帰り道ですね」
光里:「お父さんも混ざってるやつじゃん」
影臣:「はい。ですが、覚えていることに変わりはありません」

誰か一人の記憶を採用すれば、説明は簡単になります
しかし、簡単であることと適切であることは同じではありません
不足しているなら、補えばいい

役割を分けるのが最善です

影乃:「一つに決めなくてもよいのではないでしょうか?」
光里:「どう書くの?」
影乃:「皆さんが覚えていることを、それぞれ書きます」
陽菜乃:「四人分?」
影乃:「はい」

光里:「写真より文章のほうが大きくならない?」
影臣:「別の紙を挟みましょう」
陽菜乃:「じゃあ私、紙持ってくる!」
光里:「私ペン!」
影乃:「私は内容を整理します」
影臣:「では、私はアルバムが傷まない方法を考えます」

役割は決まりました

陽菜乃は勢い
光里は行動
影乃は整理
影臣は保全

一人では不足します
四人なら、少しだけ形になります

陽菜乃:「紙あった!」
光里:「ペンもあった!」
影臣:「陽菜乃さん、その紙はレシートです」
陽菜乃:「裏が白いよ?」
影臣:「長く保存するものには向かないと思います」

陽菜乃:「細かいなぁ」
影乃:「でも、お父さんの役割としては正しいです」
光里:「じゃあこのノート切る?」
影臣:「それは光里の学校の提出用ではありませんか?」
光里:「……危なかった」
陽菜乃:「整理以前に生活が崩れるところだったね」
影乃:「影響範囲が大きすぎます」

最終的に、影臣が便箋を用意した
ただし、取りに行ってから戻るまで少し時間がかかった

陽菜乃:「お父さん、便箋どこにあったの?」
影臣:「廊下の棚です」
光里:「押し入れの横じゃなかった?」
影臣:「……棚には着きました」
影乃:「途中の経路は確認しないほうがよさそうですね」
影臣:「助かります」

方向は少し違っても、必要なものは持ち帰った
役目を果たしたなら、それで十分です

光里:「じゃあ書くよ。『私は金魚すくいのあとだと思う』」
陽菜乃:「私は『かき氷をこぼした気がする』」
影臣:「私は『光里を背負って帰った夜を思い出した』ですね」
影乃:「私は『夕方の風が静かだったことを覚えている』と書きます」

光里:「全部バラバラ」
陽菜乃:「でも、うちらっぽいじゃん」
影臣:「そうですね」
影乃:「正しい思い出を決めるより、この違いを残すほうがよいのかもしれません」
陽菜乃:「未来の私たちが見たら、また揉めるかな?」

光里:「絶対揉める」
影臣:「そのときは、また話せばよいでしょう」
影乃:「今より記憶が増えている可能性もありますね」
光里:「増えるの?」
陽菜乃:「私なら増やせる気がする!」
影乃:「それは少し心配です」

便箋は写真の隣に収められた
全員の記憶が、同じ場所に残った

一致はしていません

それでも、一緒に過ごした時間まで否定する必要はありません

陽菜乃:「よし、次の写真いこう!」
光里:「まだやるの?」
陽菜乃:「整理始めたばっかじゃん」
影臣:「まだ一冊目の三ページ目です」
影乃:「今日中に終わる可能性は低そうです」
陽菜乃:「じゃあ夏中に終わればいいよ!」
光里:「それ……来年まで残るやつ」
影臣:「急ぐ必要はありません」
影乃:「ええ。続いているなら、それでよいと思います」

最善は尽くしました
それでも、一人の記憶だけでは足りませんでした
だから四人で残したのです

不完全な思い出を、不完全なまま守る

それも家族が果たせる役目なのでしょう

物語は以上です
この物語をイメージした楽曲をラジオ風に仕上げました
興味がある方は下記リンクにて確認してみて下さい

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