見出し画像

第3章『球技』ー第1節:最短距離のフルスイングーノクスヴェイル【ケンタウルスストーリーイベント】

前回のあらすじ

「ノヴァ、まず野球からやってみましょう。WBCが近いし」

迷子さんが、いつもの調子で言った

「WBCって……」

私は口には出さない
走る以外の競技に踏み出すと決めたのは自分だ
今さら引き返す理由もない

野球場に着いて、私は足を止めた

「通常より少し……広いな」

両翼もセンターも、見慣れたそれより遠い
フェンスは後ろに下がり、ベースは丸く大きく、まるで踏みやすい目印のように存在感を放っている

マウンドは妙に硬質で、土というより、強化された地面のようだった

そのとき、背後から静かな声が落ちてきた

「当たり前よ。人と馬では身体能力が違うのだから」

振り向く

黒衣を纏った長身のケンタウルスが立っていた。青みを帯びた黒鹿毛の巨体
鋭い眼差しは夜の刃のようで、立っているだけで周囲の空気を引き締める
だが、その口元にはどこか余裕の笑みがあった

「失礼、私はノクスヴェイル。貴方がヴァイスノヴァ?」

「……ええ。ノヴァで構わない」

「結構。噂は聞いているわ」

「噂……ですか?」

「走ることにだけ異様に真面目だとか」

図星だった
私は小さく肩をすくめる

彼女はフィールドを示した

「ここは拡張仕様。通常の2倍くらいあるわ。マウンドは推進力に耐えるための特別仕様にしているわ。ボールも特殊耐衝撃仕様よ」

「随分と本気ですね」

「当然。私達の打球速度は、人間のそれと比較にならないもの」

彼女は淡々と続ける

「ピッチャーは体幹と馬体推進力を合わせれば、理論上160km/hから200km/h
バッターは体重五百キロ前後の回転運動で、打球速度は260km/hから320km/h
内野は横移動に優れるが小回りと急停止が苦手だけど、外野はほぼ無敵よ
走塁は内野安打が量産され、ダブルプレーは成立しにくいわ
バントはほぼ確実にセーフだから禁止。盗塁も止まれないから禁止よ」

「……危険ですね」

「ええ。でも合理的」

合理的、という言葉に彼女らしさが滲む

私はグラウンドを見つめた

広く遠い
だが……走れる

「私は走ることしか取り柄がありません」
「なら、走ればいいわ。最短距離で」

彼女はバットを軽く振った。空気が鳴る

「試しに、あなたが打席に立ちなさい」
「私が?」
「ええ。理論は実践してこそ意味がある」

私は頷く
特別でなくていい
ただ、与えられた場所で全力を出すだけだ

打席に立ち、足を均等に置く
蹄の位置を、丁寧に調整する

「そんなに測らなくても逃げないわよ」
「……走る前の準備は、大事なので」

真剣に言うと、彼女はわずかに笑った

マウンドに立つ黒い影が、静かに構える
風が止まる
私は、バットを握り直した

走るために、打つ
それは少しおかしくて、でも妙に正しい気がした

「いくわよ、ノヴァ」

次の瞬間、空気が裂けた


後編を第3章『球技』のレースBGMと共にお楽しみ下さい


軽くアップをしてから、私はバッターボックスに入った
深呼吸を一つ
蹄の位置を確認し、重心を均等に落とす
走るときと同じように、無駄な力を抜く

マウンドには黒衣の彼女
無駄のない所作で振りかぶる

次の瞬間……風が鳴った

「……え?」

私は確かに、ボールを見ていたはずだ
白い残像が、視界の端を横切った気もする
だが、気づいたときには背後で「パァン」と乾いた音が響いていた

「いつ……ミットに入ったんだ?」
「今よ」

涼しい声が返る

冷静に考える。体幹と馬体推進力を乗せた速球は160km/hから200km/h
ちょっとした経験者が大谷選手並みの速球を普通に投げられる世界

……無理である

「すみません……打つのは無理です」
「合理的判断ね」

彼女の声が少し楽しげに揺れる

「……打つのは、難易度が高いですね」
「あなた投資不足ね」

何の投資だろう?
考えないことにした

次は内野守備を体験することになった
打席を終えた直後だ。正直、よくこの人達は打てるな、と半ば感心しながら立っていた

その瞬間

「えっ!!」

金属音のような打球が、視界を貫いた
さっきの投球より、さらに速い
反応しようと足に力を込めた時には、すでにボールは外野の彼方へ消えていた

私は呆然と立ち尽くす

「ごめん、ごめん、素人が内野やバッターは無理だったよね」

申し訳なさそうに言いながら、目はまったく悪びれていない。

内心『わざとだよな』と思いつつ

「そうですよね」

と、私は静かに頷いた

「じゃあ、外野守備をしてみようか?」

正直、ここまで結構怖い目に遭ってきた
あまり乗り気ではない

それでも

「……わかりました」

外野に立つ

「広っ!!」

思わず声が出た
当然だ。人間仕様では狭すぎる

そのとき、快音が響く
白い点が、青空を切り裂く

私は走り出した

蹄が人工芝を蹴る
体が自然に前傾する
呼吸が整い、風が頬を打つ

速い
けれど怖くない

ボールの落下点を、計算ではなく感覚で読む
走る。さらに加速する

地面の振動が心地いい
脚が前へ出るたびに、胸の奥が少し熱くなる

楽しい

気づけば、私は笑っていた

ボールの影に滑り込み、両腕を伸ばす
衝撃。重み。確かな手応え

転ばないように、しっかりと踏み止まる

「……捕れた」

胸の奥が、静かに高鳴る

走るだけではない
追うことも、守ることも、こんなに全力になれる

体験を終え、私は素直に言った

「外野守備以外は正直無理だと感じましたが……すごく楽しかったです」

ノクスヴェイルは、少しだけ顎を上げる

「当然よ。あなたは“走る資産”を持っている。活用しないのは損失だわ」
「資産……ですか?」
「ええ。あとは適切な装備と環境投資」

わずかな間

「そして……最終的には自分に課金しなさい」

私は小さく息を吐いた
広い外野を、もう一度見渡す
さっき走った軌跡が、まだ体の中に残っている

走る理由は、一つで十分だと思っていた

けれど

ボールを追って、風を裂いて
誰かの打球を捕るために走るのも……悪くない

次節へ


*この節の登場ケンタウルスはこちら


いいなと思ったら応援しよう!