第1章『始動』ー第2節:強がりの夜色 ― アステリス ―【ケンタウルスストーリーイベント】
前回のあらすじ
JR博多南駅の構内は、走り終えた熱を逃がすには落ち着きすぎていた
新幹線の残響だけが、地面の奥にまだ残っている
私は無意味に歩いていた
脚を止めれば、次に何を走るか考えてしまう
それが嫌で、歩いている
「ねえねえ」
背後から、やけに軽い声がした
「さっきから見てたんだけどさ、あーた。もしかして、“一人反省会”とかやっちゃうタイプ?」
振り向くと、夜色の毛並みを持つケンタウルスの少女が、腕を組んで立っていた
口元には余裕の笑み。視線は鋭いのに、どこか落ち着かない
「……見ていたんですか」
「そりゃ見るっしょ。あんな真面目な顔で走ってたら、逆に目立つっての」
彼女は一歩近づき、私の白い馬体を値踏みするように眺める
「で? あーたが噂のノヴァ?」
「……ヴァイスノヴァです」
「へえ。地味なくせに名前は派手じゃん」
軽口
だが、言い終わった直後、彼女は一瞬だけ視線を逸らした
「私はアステリス。アスでいいよ」
「分かりました。アステリスさん。あなたは……」
「アス。二回言わせないで」
その言い方が、妙に必死で、私は少しだけ間を置いた
「併走、してみる?」
唐突に、アステリスが言った
「……今ですか」
「今じゃなきゃ意味なくない?ほら、走った直後って、いろいろ誤魔化せないし」
理由になっているようで、なっていない
それでも、彼女は笑っている
「怖い?あーしが?」
私は少し考えた
「怖いというより……理由が分かりません」
その答えに、アステリスは一瞬、固まった
すぐに笑ってみせるが、声が半拍遅れる
「理由なんて、後から作ればいいじゃん」
その時、迷子さんが現れた
「話はまとまったみたいね」
彼女は、当然のように言う
「今回は、博多南から春日神社までのコース」
迷子さんは、淡々と説明する
『この人も、強引だな……』
私は、心の中でそう思った

「最初は長い直線。その後、分岐を挟んで緩やかな上りが続くわ」
アステリスは、軽く笑う
「へえ、じゃあ楽勝じゃん」
だが、その声は、ほんの少し高かった
「最後は、神社の手前で下りに切り替わる」
迷子さんが付け加える
「そこで誤魔化す人も多いけど、“どう走るか”は全部、そこまでで決まる」
私は、アステリスを見た
彼女は腕を組み、余裕を装っている
だが、尾の動きが落ち着かない
「……併走、しますか」
私が言うと、彼女は一瞬だけ目を見開いた
「なに、今さら確認?」
アステリスは、少しだけ、強く笑った
「やめるわけないでしょ」
その言葉は、誰かに言い聞かせるようだった
私は、その背中を見て理解した
この併走は、勝ち負けの話じゃない
彼女は、試している
速さでも、持久力でもなく……
“最後まで一緒にいるかどうか”を
私は黙って、隣に並んだ
“走らない”という選択肢は、最初からなかったからだ
夜色の併走は、今、静かに始まる
後編を第1章『始動』のレースBGMと共にお楽しみ下さい
走り出した瞬間、アステリスは妙なことをした
いきなり、深呼吸を三回。しかも大きく
「ちょ、ちょっと待って。気持ちの準備!」
「……準備ですか?」
「当然でしょ。ほら、最初が大事だし?」
そう言いながら、彼女は私より半歩前に出る
出るが、速度は上げない
前にいるのに、置いていかない
長い直線に入る
脚が温まり、呼吸が揃ってくる
私は一定のペースを刻み、無駄な動きを削る
隣を見ると、アステリスは―妙に忙しい―
尾の位置を直し、耳を立て直し、姿勢を微調整
走りながら、やたらと身だしなみを気にしている
「……集中した方がいいのでは」
「してるし! これも集中!」
そう言って笑うが、声が少し揺れる
やがて、道は緩やかな上りに変わった
途端に、彼女の軽口が減る
「……ねえ」
「はい」
「ノヴァってさ、しんどくなったらどうする?」
質問の形をしているが、答えは決まっているように見えた
「ペースを落とします。最後まで走るために」
「……ふーん」
アステリスは、それ以上何も言わない
だが、脚運びが乱れ始める
上りが、確実に効いている
それでも彼女は、前に出ようとする
抜かなくていい場面で、無理に半歩出る
「アス」
私が声をかけると、彼女は一瞬だけ振り向いた
「なに? 心配?」
「……少しだけ」
「いらんし」
即答
だが、その直後、呼吸が一段深くなる
私は、少しだけ速度を落とした
本当に、ほんの少し
すると、彼女はすぐ気づく
「ちょ、今、落としたっしょ」
「上りですから」
「そういうの、ズルくない?」
「合理的です」
アステリスは、不満そうに唇を尖らせ――
そのまま、私の横に戻ってきた
並ぶ
逃げない
無理に前にも出ない
上りを越える頃、彼女はぽつりと呟いた
「……置いていかれるの、嫌なんだよね」
軽い調子で言おうとして、失敗した声
「勝てなくてもいいからさ。途中でいなくなられるのが、一番イヤ」
私は、少し考えた
「私は、最後まで走ります」
それだけ言うと、彼女は驚いた顔をして
すぐに、いつもの笑顔を作った
「なにそれ。真面目すぎ」
最後は、緩やかな下り
春日神社の灯りが見えてくる
アステリスは、最後に速度を上げた
勝つためじゃない
確かめるための一歩
私は、追いつく
並ぶ
抜かない
ゴールに近づくと、彼女は急に歩幅を揃えた
「……ね、ノヴァ」
「はい」
「ここまで来たならさ」
少し間が空く
「……いても、いいよね」
私は、即答した
「ええ。ここまで一緒に来ましたから」
春日神社の境内で、二人同時に脚を止める
静かで、風だけが通り抜ける
アステリスは、照れたように笑った
「そっか」
それだけ言って、空を見上げる
強がりの夜色は、確かに、ここにあった
次節へ
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