第1章『始動』ー第4節:未完成の美 ― リオノワール―【ケンタウルスストーリーイベント】
前回のあらすじ
雨上がりの空気は、まだ道に残っていた
奴国の丘歴史資料館を背にした坂道は、ところどころに水たまりが残り、排水の癖で舗装が微妙に歪んでいる
私は無意識に歩幅を一定に保ちながら進んでいたが、前方でぴたりと動きが止まった影に気づき、減速した
黒鹿毛の馬体が、道の中央で静かに佇んでいる
まるで景色の一部のように自然で、しかし違和感ははっきりしていた
そのケンタウルスは、わずかに首を傾げ、路面を見下ろしていた
「……ここ、少し傾いていますわね」
振り返った彼女は、姫君のような気品をまとっていた
淡色の上着は雨に濡れた痕もなく整えられ、言葉遣いも丁寧だが、視線だけは道から離れない
「走りづらい、ですか?」
私がそう問うと、リオノワールは小さく首を振った
「いいえ。走れなくはありません。ただ、この歪みを無視して走るのは、美しくありませんわ」
彼女はそう言って、わざわざ一歩下がり、別の踏み位置を確かめるように蹄を置いた
遠回りになるのに、確実な場所を選ぶ
それは走るための行為というより、完成図を頭の中でなぞっているような動きだった
「あなたも……気づいていましたでしょう?」
私は一拍置いて頷く
確かに、気づいてはいた
だが私は「走れる」と判断して、通り過ぎようとしていた
「でも、止まらなかった」
私がそう言うと、リオノワールは柔らかく微笑んだ
「それは間違いではありませんわ。完成していなくても、街は動いていますもの」
その言葉に、私は少しだけ足元を見る
水たまりの縁、沈みかけた縁石、雨で露出した砂利
どれも、走ることを拒んではいない
「……併走、なさいます?」
彼女の問いは、提案だった
競う、という響きはない
だが、その場に留まる理由は、もうなかった
「はい」
私がそう答えると、リオノワールは満足そうに頷いた
その時だった
少し離れた場所から、足音が近づいてくる
「ちょうどいいところで止まってるね」
振り向くと、迷子さんがいた
いつものように、最初からそこにいたかのような自然さで
そして、彼女は今回の併走ルートを示す

「行き先は―JR春日駅―
完成していない街を、一番よく感じられる場所だから」
リオノワールは静かに頷き、私は無言で前脚に力を込める
道は歪みだらけだが、走る準備は、もう整っていた
後編を第1章『始動』のレースBGMと共にお楽しみ下さい
合図はなかった
だが、二人とも同時に踏み出していた
雨上がりの路面を、リオノワールは慎重に、しかし迷いなく進む
私は半拍遅れて加速し、彼女の横に並んだ
最初の下り坂で、違いはすぐに現れた
私は安定を優先し、わずかな水たまりもそのまま踏み抜く
対してリオノワールは、わざわざ左右に半歩ずつ位置を調整し、最も沈まない線を選び続けている
――遠回りだ
そう思った瞬間、私は自分でも驚く行動を取っていた
彼女の踏み跡を、そっくりそのままなぞり始めたのだ
速度は落ちる
意味もない
だが、路面の反応が変わる
「……なるほど」
思わず声が漏れる
走っているのに、道の構造が手に取るように伝わってくる
リオノワールは一切こちらを見ず、ただ前を見据えたまま言った
「完成していないものほど、正しい位置を選ばねばなりませんわ」
彼女は次の交差点で、急に進路を変えた
直線を捨て、わずかに角度のある道へ
勾配はきつく、距離も伸びる
普通なら、避ける選択だ
だが彼女は、その坂を“確認するように”登り始めた
一歩一歩、蹄の置き場を試しながら
まるでレース中に、地面の品質検査をしている
私は無言で追う
心拍が上がる
それでも、抜かない
坂を越えた瞬間、リオノワールが一気に速度を上げた
完成している直線
舗装が均一で、迷いのない道
ここで、彼女は走る
私は遅れを取り戻すため、無理に加速した
脚が軋む
だが、不思議と怖くはない
走っているのに、街の輪郭が浮かび上がる
歪み、傾き、整えられた部分
すべてが「まだ途中」だと教えてくる
JR春日駅が見えたとき、勝敗はほとんど同時だった
どちらが先かは、意味を持たない
止まった私たちは、同時に息を整える
リオノワールは静かに前を見て言った
「整いきっていない道ほど、走り手を試します
だからこそ、走れば街が見えてくるのですわ」
私はその言葉を、否定しなかった
初めてだった
走ることで、街を知ったと思えたのは
私は前脚に残る感触を確かめながら、静かに息を吐く
―まだ、この街は動いている―
そう思えたこと自体が、今回の収穫だった
次節へ
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