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【色彩に揺れる恋の軌跡】第3章 「100回のノートと1回の笑顔」

第3章テーマは、努力ヒューリスティック(Effort Heuristic)
努力ヒューリスティックは【「努力して作られたものは価値が高い」と感じやすい心理バイアス】というものです

しかし、心理学に沿いながらも「冷静に考えるとおかしい行動」になる場合もあります

それでは、第3章 「100回のノートと1回の笑顔」をお楽しみ下さい

前回のあらすじ

高校に入ってからのパパは、相変わらず「研究」を続けていた
ただし、テーマは限定的

――対象:不破乃夢。観察期間:毎日
そして、タイトルはこうだ
《報告書 第1号 乃夢観察データ》

最初は冗談かと思った
けれど、翌日から彼は本当に毎日書いてきた
表紙には「研究ノート」と書かれた白いリングノート
ページを開けば、几帳面な文字でこう記されている

《観察記録:本日、乃夢は昼休みにメロンパンを選択。理由不明。前日はクリームパン。嗜好の揺らぎに注目》

……怖い

「ねぇ、神谷君。これ、なに?」
「共同研究の記録」
「え?共同……?」
「うん。感情変化の要因分析を二人でやる」
「つまり、交換日記じゃん」
「違う。研究」

どこが

そう思いながらも、私はなぜかページの空いた欄にコメントを書いてしまう
《メロンパンを選んだ理由:ただ食べたかったから》
《この観察、無駄です》

そして次の日――
《被験者N、回答を拒否するも筆跡から情動の安定を確認》

「……返せ!」
「フィードバックは貴重なデータなんだ」
「それ、恋愛じゃなくて監視だよ!」
「いや、観察だ」

彼の言葉の違いなんて、もう誰にもわからない
でも、そんな彼のノートには、どこか愛情のようなものが滲んでいた
私が落ち込んでいた日には、ページの隅に小さく「今日は色が薄い」と書いてある
たぶん、心の彩度の話だ

笑った日は、「観測成功」と書いてある
それを読んだ瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった
――観察されているのに、安心している自分がいた

ある放課後、パパが机にノートを置いて言った

「今日で観察百日目だ」
「……続けすぎでしょ」

「科学的に信頼性を高めるには、最低でも百回必要なんだ」
「それで? 結果は?」

「まだ結論は出ていない」
「どんな研究なのよ」

「君が笑う理由」

不意に心臓が跳ねた
あまりに真っ直ぐすぎて、少し恥ずかしくなった
私は、パパに気づかれないようにノートを閉じた

それからも日々は続いた
パパの書く観察ノートはどんどん増えていき、私のコメント欄も埋まっていく
まるでふたりだけの通信記録
内容は他人が見ればただの冗談みたいなのに、書いている本人たちは真剣そのものだった

《観察記録第76号:乃夢は今日、他の男子と笑っていた。理由不明。観測ミスの可能性あり》
《補足:あなたの視線が怖いです》
《分析:笑顔の共有対象は要検討》
《提言:もう少し優しく観測してほしい》

ページをめくるたび、どちらが研究者でどちらが被験者なのかわからなくなる
お互いに観察し合って、修正し合って
――冷静に考えれば、ただの変なカップルだった

でも、不思議と楽しかった
パパがノートを渡してくるたびに、胸の奥が少し明るくなる
白い紙の中で、二人の距離が少しずつ近づいていく

あの頃の私はまだ知らなかった
あのノートを失くした日のことを
そして、そこに書かれた「努力」と「笑顔」の意味を

――恋って、データにできない努力の集まりなのかもしれない
そんなことを思いながら、私は今でも時々、あの白いノートの手触りを思い出す

ノートが、消えた

放課後の図書室で、いつも通り机の上に置いていたはずなのに
見当たらない。机の下も、本棚のすき間も、誰かのカバンの影まで覗いたけれど、どこにもなかった
あの白いリングノート
パパが毎日、真剣に書き込んでいた“観察報告書”

「……嘘でしょ」

胸が、少しだけ冷たくなる
別に、あれがなくても生きていける
けれど、ページの隅に書かれた“今日の笑顔指数”とか、“色温度:あたたかめ”とか、あの妙に細かい記録が急に愛しく思えてくる

私は、半ばパニックのように教室へ戻った
机を開け、ロッカーを漁り、床に這いつくばって探した
――傍から見れば、完全に変な女子だ
でも、それでもいい。あのノートには、私の“毎日”が詰まっていた

「どこ……行っちゃったの……」

気づけば、声が震えていた
涙が一滴、床に落ちた
その瞬間、後ろから静かな声がした

「探してるの、これ?」

振り向くと、パパが立っていた
手には、あのノート
少しだけページが濡れて、角が丸まっている

「拾ったの?」
「うん、図書室の返却棚の下に落ちてた」
「……返して」
「だめ」

パパはそう言って、ノートを胸に抱きしめた

「努力は、君の価値を上げるんだよ」

その言葉の意味が、一瞬わからなかった
怒りよりも、戸惑いのほうが大きかった

「は? 努力? なにそれ、返してよ」
「君が頑張って書いたコメントも、泣きながら探した今の顔も、全部“データ”なんだ」
「ちょっと待って、それ、変態発言だよ」
「ちがう。研究成果」

……もう笑うしかない
この人の“真剣さ”は、どこかおかしい
でも、そんな彼が少しだけ誇らしげにノートを差し出した
ページを開くと、見覚えのある文字が並んでいた

《観察記録第100号:乃夢は、努力して笑う。けれど、その笑顔は努力を超えてしまう瞬間がある》

涙がにじんで文字が揺れた
いつの間にか泣いていたのは、私のほうだった
パパは何も言わず、私の隣に座る

「……なんでそんなに真面目なの」
「研究は継続が命だから」

「だから、恋愛を実験にしないでってば」
「でも、もう結果が出た」

「結果?」
「君が笑うと、僕の世界が明るくなる」

……そんなの、ずるい
科学でも、研究でもなく、ただの恋の告白じゃない
でも、その言葉の“温度”に、私はもう何も言えなかった

パパがノートをそっと閉じる
表紙の白が、夕陽に染まって薄い橙色になった
それは、努力と照れの混ざった色だった

私は小さく笑って言った

「じゃあ、次の報告書のテーマは?」
「そうだな……“乃夢の笑顔、継続観察”」
「また続けるの!?」
「うん。終わらない研究だ」

その瞬間、風がカーテンを揺らした
ノートのページがひとりでにめくれ、白紙のページが現れる
そこにはまだ、何も書かれていない
でも、これから書く未来が、なんとなく楽しみだった

――努力という名の恋は、不器用だけど、ちゃんと進んでいた
それを証明するノートが、今も私の本棚にある

次章へ

↓最後に、第3章のイメージ楽曲をお楽しみ下さい↓

高校生時代の乃夢のイメージソングも同時にお楽しみ下さい


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