第3章『球技』第3節:静寂のラリー ー ノクターン ー【ケンタウルスストーリーイベント】
前回のあらすじ
アサガオノワルツと別れ、私はまだ少しだけ息の整わない胸を押さえながら歩いていた
「野球、サッカーと来て次は何の球技をやるんですか?」
「ノヴォ……もう完全にハマってるわね」
「いえ、そんなことは」
否定しながらも、少しだけ頬が熱い
「次は……テニスよ」
案内されたのは、テニスコートだった
「……もう驚きませんが、やっぱり広いですね」
白線で区切られたコートは、人間用のそれより明らかに大きい
通常が23.77m×8.23m
だが、ここは30m三十メートル×10m
ネットの高さも中央で1.15m、支柱は1.30mとやや高い。
私は頷く
「ほぼ……通常のテニスと同じだな」
そう思っていると、隣で迷子さんがきょろりと辺りを見回していることに気づいた
「迷子さん、どうされましたか?」
「いえ……ここで待ち合わせしていたはずなのですが……」
「待ち合わせ?」
やはり、今までの出来事は偶然ではないらしい
「何してるの?」
低く、静かな声が背後から落ちる
夜を切り取ったような黒鹿毛。切れ長の瞳は淡く光を映し、白と灰を基調にした軽やかな装いが風に揺れる。華奢に見えるが、立ち姿には芯がある。どこか儚く、それでいて地に足がついている
「ノクターン。貴方を探してたのよ」
「私を?」
「ノヴォ。彼女はノクターン。今回は彼女とテニスをしてもらうわ」
彼女は私をじっと見る
「よろしく」
「ヴァイスノヴァです。よろしくお願いします」
コート中央に立つ
人工芝は衝撃を吸収する仕様らしく、踏み込みが柔らかい
「ジャンプサーブは禁止よ」
迷子さんがさらりと言う
私は首を傾げるが、深くは聞かないことにした
「ほぼ通常のテニスと同じに見えますが」
彼女はラケットを軽く振り、ネット越しに言う。
「でも……やってみると意外と違うよ」
「そう……ですか?」
「広い分、間が長い。打つ前に考える時間がある。考えすぎる時間も」
彼女は一球、軽くボールを弾ませる
規則正しい音がコートに響く
「テニスは、止まる競技。止まって、選ぶ」
私は静かに息を吸う
テニスは走る競技ではない
だが、走らないわけでもない
ラケットを構える
体重移動を確認する。蹄の位置を丁寧に合わせる
「そんなに測らなくても、線は逃げない」
少しだけ、彼女の口元が緩む
「準備は大事なので」
私は真剣に答えた
彼女がサーブの構えを取る
ボールが高く上がる
静寂
次の瞬間、白い軌跡がこちらへ伸びた
私は反射でラケットを出す
金属音ではなく、乾いた弾力のある音
ボールが返る
「いい反応」
彼女の声は穏やかだ
ラリーが始まる
一往復
二往復
私は気づく
広い
そして、一歩が、長い
止まる
考える
打つ
走る競技とは違う緊張が、胸に広がる
ボールが再び跳ねる
私は前に出た
ラケットを振り抜く
白い球が、ゆっくりと弧を描いた
コートに、静かな風が流れ、次の一球が、こちらへ返ってくる
後編を第3章『球技』のレースBGMと共にお楽しみ下さい
ラリーを続けながらふっと私は思い出す
「すみません。ノクターン」
「何?」
「ジャンプサーブの禁止って迷子さん軽く言ってましたけど……何で禁止なのですか?」
彼女は、少しだけ空を見上げた
「ああ、説明するより体験したほうが早いよ」
「えっ、ちょっと待っ――」
言い終わる前に、乾いた爆ぜる音がした
気づいたときには、ボールがすでに後ろのフェンスに当たって転がっている
私はゆっくり振り返る
「……今、何が」
「通常のプロのサーブは約200km/hから240km/h」
彼女は静かに言う
「そして、今のサーブは約300km/h」
さらりと
「ジャンプサーブ……解禁する?」
「禁止でお願いします」
即答だった
彼女はわずかに頷き、次のサーブ前に立ち止まる
長い沈黙
トスを上げる
打点が高く、体幹の強さがそのまま球威になる
そして、ラケットが振り下ろされる
今度はかろうじて反応する
「……速い」
「高い打点は、誤魔化しが効かない」
彼女は静かに言う
ラリーが始まる
広いコート
30mの奥行き
私は直線加速で追いつく
リーチは有利だ
だが、急停止が難しい
彼女が短くドロップを落とす
「っ」
踏み込みすぎる
制動距離が長い
前に出た勢いのまま、私はネット際を通り越しかける
「……止まらない」
「止まらないのが、あなた」
淡々とした声
次は深いロブ
高く……遠い
私は追う
追いつくが、打点が合わない
それでも返す
ラリーは続く
十往復
二十往復
お互いに決めきらない
いや、彼女が決めにいかないだけだ
彼女は前に出る
一歩で距離を詰める圧
私はスライス気味に低く返す
体高のある彼女の足元へ沈むように
彼女は膝を落とし、静かに拾う
「低い球、嫌いじゃない」
「弱点では?」
「弱点は……燃やす」
意味が分からないが、妙に納得する
またラリー
時間が伸びる
私は次第に、走ることと“止まること”を交互に繰り返す感覚に慣れていく
加速。停止
前進。後退
ただ速いだけでは勝てない
ただ待つだけでも届かない
「……ここ」
彼女が一瞬だけ視線を落とす
私はそこへ打つ
彼女は、わずかに遅れる
ボールがコートに弾む
静寂
息が白く上がる
体験を終え、私は素直に言った
「通常のテニスと同じだと思ってました……けど、奥が深いですね」
彼女はラケットを肩に担ぐ
「同じに見えるものほど、違いは深い」
少しだけ、切れ長の瞳が和らぐ
「急がなくていい。テニスは、答えを出さない時間も競技だから」
風がコートを抜ける
私は、ラケットを握り直した
そして、走るだけでは届かない距離が、ここにはあった
次節へ
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