【エッセイ】干し芋のひとり歩き
大人になって、我も忘れて一心不乱に何かを作る。そんな機会は、ずいぶん少なくなった。どこか現実的で、心のどこかがブレーキを踏んでいたり、途中で生活が割り込んできて中断されたりする。
子どもの頃は違った。そこら中に、創作意欲を掻き立てる何かが転がっていた。拾い放題だった。
私には三歳上の兄がいる。兄は中学生の頃、とにかくよく寝ていた。時間さえあれば寝ていたし、時間がなくても寝ていた。
母から「万年床にするとキノコが生えるよ」と叱られても、竹輪耳で変わらず寝ていた。もはや布団と一体化していた。
そうだ。布団にキノコを生やしてみよう。
そう思った私は一番手近なティッシュを使って、キノコを作り始めた。軸、傘、ヒダの部分、その質感、色。ティッシュの二枚重なった部分を一枚にはがし、その感触を何度も確かめる。ハサミで切っては、丸めて潰し、色付けしては、また作る。
試作を繰り返し、とうとう最高のキノコを作り上げた。時間にして、二〜三時間といったところだろう。
昼寝している兄の布団の周りに、最高のキノコを静かに、二つ生やした。外された枕元の眼鏡の近くに、生やした。私と兄とは違い、キノコたちはなかなか仲の良い兄妹のようだった。
ドアの隙間から、そのときを待つ。
兄がモニョモニョと動き始め、眼鏡を探そうと手を伸ばす。足元からなので表情は見えない。
腹ばいになった兄が、何秒か、止まる。
止まる。
観察する。
触る。
そして、笑う。
状況を受け入れるまでが、わりと早い。
さすが万年床の主である。
私は兄の動向を一通り確認すると、ドアから離れ、サザエさんを見るためにリビングへ戻った。
ここ数年、何かに没頭することがあっただろうかと、記憶を遡る。
数年前、仕事のストレスが溜まりすぎて、同僚とひたすら干し芋の諺を作り続けたことがある。なぜ干し芋だったのかは、今でもよく分からない。たぶん、ストレスに晒され続けた同僚が干し芋を作り始めたからだと思う。
相当な数の干し芋諺が生み出され、それらを意味付きで整え、分類までし、最終的には故事成語まで誕生した。
冷静に振り返ると、業務より体系化していた気がする。
「本にしようか」などと二人で笑いながら、私たちは日々のストレスを創作で干していた。
けれど、ストレスの原因が解決されると、私たちの干し芋諺は生活の端へと追いやられ、そのままになった。
私の一番お気に入りの干し芋諺は、
「干し芋の大往生」だった。
正直、「狐と狸の干し芋叩き」と迷った。
あのティッシュのキノコも、干し芋諺も、今も私のどこかに、まだ干されたまま残っている。干すからこそ、長く残るのかもしれない。
干されたまま、風にさらされて。
あたたかい、おひさまの香りをさせて。
mashiro🍠
