見出し画像

【エッセイ】 お前には負けん

兄との思い出で、最も印象的なものは、私が幼稚園くらいの頃のことだろう。喧嘩したのか、ふざけていたのかは覚えていない。恐らく、兄はスピルバンというヒーローで、私はダイアナレディの真似でもしていたのだと思う。兄は、私の顔に飛び蹴りをくらわせた。私が泣くか、怒るかしようとしたそのとき、取れかけでぷらぷらしていた歯がぽろりと取れた。私は思わず兄に、「ありがとう」と御礼を言った。兄は得意げな顔をした。

兄は私より三歳年上で、かつてはスピルバンだったこともあるが、穏やかで静かな人だ。そして、常に私のライバルだった。 

兄は、市内の公立の普通科の高校を受験し、進学した。そこが一番近い、という理由だった。私も同じ高校を受験した。だって、同じ母の腹から産まれた兄に、能力で負けるわけにはいかない。

私が高校に入るタイミングで、兄は県外の国立大学に入学した。兄は理系だったが、頗る文系科目が得意で、英語に関しては学年一位を取る程だった。入学後、国語の授業で、先生が

「mashiroさんの兄ちゃんは、すごかったんだよ。あいつは、授業中ずっと外見てぼーっとしてる。課題もせん。なのに、当てると答えるから腹が立つ。頭が良いっていうのはああいうヤツのことを言うんよな。」

と皆の前で言った。兄が家で勉強している姿を見たことは、私もあまりない。テスト前と、受験の時期くらいだった。私は、勝たねばならぬ、と再度、気を引き締めた。 

しかし、どんなにそうは思っても、同じ母の腹から産まれても、――能力というのは不平等なもの。果たして、兄弟姉妹にこんな気持ちを抱えるのは私だけなのだろうか。 

高校三年の頃、数学の試験で追追追追試を受けたときは、流石に担任の数学教師に、「追試は普通1回だ!!!!」と叱られた。 

劣等感、というものを思い知らされるのは、いつも兄からだった。恐らく、兄は何とも思っていなかったと思う。

とは言っても、何としても兄に打ち勝たねばならぬという私の思いは強く、学部は違うものの同じ大学へと進学を果たした。ちなみに、担任からは「数ⅡBが10点台で入れる国立大学はない!!」と言われた。担任の言う通り、人より一年長くかかった。

兄は大学院まで進んだので、数年は同じ大学に通っていたのだが、ここに来て、兄にとある出来事が起こった。さぼり癖のある兄が、選択必修のドイツ語を落とし、留年したのだ。このドイツ語は、先輩たちも口を揃えて言うほど厳しい科目だった。そんなことを知らない兄は、普通にサボって、普通に落として、普通に留年した。親は頭を抱えていたが、私は一人ほくそ笑んだ。

一浪した私と、これで引き分けだと。

墓場に囲まれた私が住むアパートの隣のアパートに住む兄。研究室に泊まり込みも多く、夜中になると「飯作って〜」とふらりとあらわれる。近所の飼い猫のジュンコは、兄に妙に懐いて、いつも兄の足にまとわりついていた。彼女が出来たと浮かれていたが、同じ研究室の先輩に乗り換えられて落ち込んでいた。大学の裏門前の定食屋の塩唐揚げ定食が好きで、二人でよく食べに行った。一人暮らしの、一般的な兄妹よりも一緒に過ごす時間は長かったように思う。兄が最後に書いた修士論文は、内容も文章力も素晴らしかった。数年後に私が書いた謎が謎を呼ぶ修士論文とは、まるで完成度が違った。

私の劣等感は、相変わらずそのままだった。 

やがて、兄も結婚し、現在は横浜で暮らしている。家族で車中泊が好きで、お盆や正月は、九州まで丸二日ほどかけて運転をして帰省する。今年もその予定だったが、つい昨日のことだ。名古屋のサービスエリアで、兄は脳梗塞を起こした。現時点で命に関わることはないということだが、運転中ではなくて良かったと心から思った。

家族としてこんなにも心配なことはない。奥さんや、甥っ子のためにも、元気でいてほしい。そして、それが一番の願いだ。 


けれど、少しだけ。私の劣等感のためにも、今、兄に死なれては困る。まだスピルバンとダイアナレディの決着はついていないのだから。

                   

                 
                 
                                                                      mashiro     


兄のこともあり、急遽、記事を更新いたしました。
暑い日がつづき、皆さん夏の疲れも出てくる時期かと思います。身体の不調を感じられたら、どうか、すぐに休みを取られて、ご無理されませんように。

素敵なお盆休みをお過ごしください。



いいなと思ったら応援しよう!